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【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第6話 ラオス


2004年3月16日 旅立ちから、現在 73 日目

今にも動かなくなりそうな古びた乗り合いバスに乗って、ベトナム中部の国境からラオスに入国した。

国境近くの市場


この旅の数年前、まだ学生だった頃に私は一度ラオスに来たことがあったが、ラオスの風景は当時と変わらず東南アジア特有ののんびりとした田舎そのものだった。

ベトナム(特に北部)は文化圏的には中国に近いものがあったように感じたが、ラオスに入るととたんに東南アジア文化圏の色が濃くなってきた。
木造で高床式の家が目立つようになり、多くの人々が腰に布を巻いてゆったりとした民族衣装を身にまとっていた。

ラオスはその国土のほとんどが山間部で資源に乏しいため世界最貧国のひとつに数えられるが、そこに生きる人々は皆とても明るく笑顔が絶えなかった。
ベトナム人は好奇心旺盛で積極的な人が多かったが、ラオス人はシャイで控えめな人が多かった。けれども、こちらから声をかけると皆とても親切にしてくれた。

ラオスを往く


こののんびりした雰囲気と人々の優しさに東南アジアを巡る旅人たちは皆癒され、その誰に聞いてもラオスは人気の高い国だった。


東南アジアの河川といえばメコン河だ。
この河はチベット高原を源流にして中国雲南省、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジアを貫き、ベトナムから海に流れ出る総延長4,000kmを超える壮大な大河だ。
中でもラオス南部のカンボジア国境に近づく辺りになると川幅が数km程に広がる。
まるで海のようにも見えるその広大な面積の河には無数の小島が浮かぶという。
そして、その辺りには河イルカが生息していて、すぐ近くまで寄って見ることができるらしい。

学生時代の旅でラオス北部へは行ったことがあったので、今回の旅ではラオス南部のメコン河に浮かぶデット島という島を目指すことにした。

メコン河に沈む夕日


トラックの荷台にくくり付けられた長イスにラオス人と共に寿司詰め状態で座った。
彼らにとっても狭いはずなのに、大きな荷物を持つ僕が座り易いようにと更に少しずつ詰めて私のためにスペースを作ってくれ、ここへ座れと笑顔で言ってくれる。
彼らのそんな心遣いがありがたかった。

国境から丸一日かけてでこぼこの砂利道をトラックの荷台で揺られ、途中の小さな町で一泊した後、翌日更に小さな乗り合いバス(バスと言っても軽トラの荷台だが)に乗り替えてデット島を目指した。

その日の夕方近くになってようやく小さな船着き場に到着し、そこから小型の手漕ぎボートに乗って島に上陸した。

島への船着場
メコン河の漁師


この島には電気が通っていないため、自家発電機を持たない店や宿はろうそくで灯りを取っていた。
私はメコン河沿いの小さなバンガローに宿を確保した。

メコン河の支流で泳ぐ
自転車で島内を散策
島のレストラン
夕方 家路につく親子


当然この小屋にも電気は通っていなかったので、陽が落ちる頃になってろうそくに火を灯した。
隙間風でか細くゆらゆらと揺れるろうそくの炎が、広大なアジアの中を一人で旅しているちっぽけで不安定な今の自分に重なるような気がしてなんだか少しほほえましく思えた。

小屋の外では虫の鳴き声が鳴り響いていた。私はその鳴き声に誘われるように外に出てみた。
空を見上げるとそこには満天の星が輝いていた。
周囲には灯りが無いため星はとても明るく大きく見えた。
私はそのまま横になってその贅沢な夜空を眺めた。


そしてぼんやりと一人の友人のことを考えていた。

彼の名は尚也。
彼とは前回のラオスの旅の途中で知り合った。
同い年ということもあってすぐに意気投合し、夜遅くまで酒を酌み交わした。

当時、彼は京都大学の大学院でラオスの焼畑を研究しており、半年日本に住み、半年ラオスに住むという生活をしていた。
彼は将来このラオスで料理屋を開きたいと言っていた。
料理好きの彼は現地の食材を使った創作料理を現地の人たちや、そこを行き交う旅人たちに食べさせたいと熱く語っていた。

その後、彼は日本に戻り大学院を修了した後、京都の創作料理屋で数年間修行を積んで調理師免許を取得し、現在、あと半年後にラオスに店をオープンさせるというところまでこぎつけていた。
今回の旅で、彼とは次の国タイの首都バンコクで再会することになっていた。

彼が愛した国ラオス。親切な人々や美しい自然の中を旅して、彼がこの国に惹かれた理由が少しだけわかったような気がした。


続く
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