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【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第12話 ネパール

2004年7月10日 旅立ちから、現在 189 日目

馬車に乗って国境を越えネパールに入国した。

インド・ネパール国境


国境の宿で一泊し、翌朝、再び長距離バスに乗って首都カトマンドゥを目指した。
荷物や家畜と共に屋根の上にまで乗客を満載した今にも故障しそうな旧型のバスは、定刻を少し遅れて国境のバスターミナルを出発した。

国境からカトマンドゥへ向かうバス


ネパールは国土のほとんどが山岳地帯なのでインドに比べて急激に標高が高くなり、緑が増えて曲がりくねった山道が多くなる。
そんな道を走っている最中に、車掌はバスの窓から外にかかったはしごをよじ登って、途中から乗車してきた屋根の上にいる乗客から運賃を徴収しに行く。
その身軽な姿はまるでサーカスの曲芸を見ているようだった。
崖側にガードレールも無いのにもかかわらず運転手は全くスピードを緩めずに、カーレースをするかのように果敢に前を行く車を追い抜いていた。
私は運を天に任せて気持ちを落ち着かせようとしていたが、冷や汗が止むことは無かった。

一路カトマンドゥへ


ネパールとチベットの間には世界の屋根と呼ばれるヒマラヤ山脈が連なっている。
ふと見晴らしのいい峠に差しかかったとき、遠くの空になにか白いものが見えた。
最初は雲かと思った。それがヒマラヤ山脈だった。
それほど高い位置に雪化粧をした白い山脈が広がっていた。
8,000mを超える山々を擁するその山脈は、近づく者を拒むような圧倒的な威光を放っていた。
私は胸が高鳴り、その壮大な光景からしばらく目が離せなかった。

カトマンドゥの町は褐色のレンガを用いた木造作りの古い建物が密集していた。
町の中心部は首都とは思えない程こぢんまりしていたが、活気に溢れ、所狭しと大小多数のヒンドゥー教やチベット仏教の寺院が建ち並んでいた。
人々は皆素朴で親切だった。
現地のネパール人の中にインド系やチベット系の人々も入り混じって生活しており、この国は地理だけでなく文化的にも人種的にもインドとチベットに挟まれている国なのだということを改めて感じた。

路上の八百屋
カトマンドゥ郊外の街角
この広場の寺院は2015年の大地震で全て崩壊してしまった
スワヤンブナート寺院


季節は7月に入ったが、この町は標高1,300mを超える高地に位置しているため涼しくて過ごしやすかった。
連日40℃を超す酷暑のインドで苦しんだ私は、この町で今までの旅の疲れをゆっくりと癒した。


続く
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