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【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第7話 タイ

2004年3月27日 旅立ちから、現在 84 日目

ラオス南部のメコン河に浮かぶ島に1週間滞在した。
ろうそくの灯りや、バケツに穴を開けただけの水シャワーにもすっかり慣れ、たとえ電気も何も無くても幸せな時間を過ごせるのだということをその島で身をもって体験した。
日が経つにつれ、その何もない島の生活がどんどん居心地良くなってきてしまったが、そろそろ重い腰を上げて次の場所へ移動しなければならない。

次の国はタイだ。
タイは私が学生時代に初めて行った外国だ。その初めての旅の感動があったからこそ、今もこうして外国を旅している。
その後何回もタイを訪れたが、この国に来る度にその初めての旅のことを思い出し、その都度、今回の旅でも素晴らしい出会いや、新しい発見や、心を揺さぶられるような感動に恵まれますようにと願った。

ラオスに別れを告げてタイに入国した。

タイとラオスは文化的に似ている部分が多いためか、国境を越えても劇的な変化は少なかったが、町が近付くにつれ道路脇には有名企業や王室のきらびやかで大きな看板が次々と立ち並びにぎわいを見せ始めた。

町の中心部に着くとその足で直接駅に向かい、首都バンコク行きの夜行列車の席を確保した。

国境の町の駅


国境の町から乗った夜行列車は朝方にバンコク郊外に差し掛かった。
線路沿いには古い民家が密接して立ち並び、そこで生きる人々の生活を車窓から垣間見ることができた。
その風景を見ていたらなぜか懐かしく感じた。
私が生まれるもっと前の日本の風景もこんな感じだったのだろうか。
今やバンコクは東南アジア最大の都市へ発展し、町の中心部には高層ビルや高級テナントが立ち並ぶが、路地裏にはまだまだ古き良き東南アジアの町角が多く残っていたりして、その絶妙なバランスがこの町特有の居心地の良さを醸し出しているのかもしれないと、車窓から入る風に吹かれながら思った。

バンコクの安宿街 カオサンロード


バンコクで数日間ゆっくりと今までの旅の疲れを癒した後、タイ北部の少数民族の村などを巡った。

タイ北部の村 川で遊ぶ子供たち
子供のお祝い


そして、次に向かう国のビザを取得するため再びバンコクに戻り、ミャンマー大使館とインド大使館に赴いてビザ申請手続きを済ませた。

数日後、無事に両国のビザを取得した後、バンコクから長距離夜行バスに乗ってタイ南部の島に向かった。

タイの南部には楽園と呼ぶに相応しい島々が浮かぶ美しい海が広がっている。
今までにその中のいくつかの島に行ったことがあったが、中でもタオ島という島が好きだった。
開発されて高級リゾート化が進み、私のような金の無い旅人には縁遠くなってしまった島がいくつもあったが、タオ島は小さな島で、まだそれほど開発が進んでいないため、手つかずの自然が多く残されていて、物価も安く島民も皆気さくで親切だった。

真っ白な砂浜、青く透き通る海、生い茂るヤシの木、もぎたての果実、浜辺のバンガロー、西の海に沈んでゆく大きな夕陽…。

楽園の島
島の夕日


そして、この島はスキューバダイビングの島としても有名だった。
海の中には地上とはまた違った異次元の世界が広がっている。
それらひとつひとつを毎日たっぷりと堪能した。

スキューバダイビング


タオ島での生活も1週間が経とうとしていたある日、木陰から出てきた子供たちが突然私をめがけて水鉄砲を撃ってきた。

そういえば今日からソンクラーンだった。

ソンクラーンとはタイの旧暦の正月のことで、4月半ばの数日間、人々は水を掛け合って新年を祝う。
この時期は水浸しになるのを覚悟で外出しなければならないのだ。
むしろこのような祭りのときには彼らと共に一緒になって楽しんだ方がいい。
その日私はタイ人と一緒に島を練り歩き、バケツで水を掛け合って、ずぶ濡れになりながら彼らと共にソンクラーンを祝った。

今回の旅の出発前、日本で正月を祝い、1月後半に中国で春節(中国の旧正月)を祝い、2月に中国雲南省のチベット文化圏の村でチベット正月を祝い、そして4月にここタイでソンクラーンを祝った。
毎月のように正月が訪れるのはなんだか不思議な気分だったが、これから向かう国々にはどんな祝日や祭りがあるのだろうと世界地図を広げながらこれからの旅に想いを馳せた。


続く
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