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兄のご近所冒険に想う、子育ての「目を離す」とき

夏休み中、勉強は午前に終わらせると決めた兄。宣言どおりに事を終え、ゲームのお楽しみも経て、14時にはヒマ人になった。入塾以来、ここまでがっつりヒマ時間ができることもめずらしい。何をするのかなと思っていたら、「自転車で街を走りたい」と言い出した。

私も小学生の頃、同じ気持ちになったのを思い出す。生活圏外がどのようになっているのか知りたくなり、よく街外れまで自転車を漕いでいった。自分でルートを決めて、一人で自転車を漕いで行くというのは、未知の世界への冒険だ。あの頃のワクワク感は今でも覚えている。兄にもそういう想いが芽生えたのかと感動しながら、注意事項を山盛りに伝えて(いざとなるとかなり心配)、キッズ携帯を持たせて送り出した(GPS付きだからいざというとき助けに行ける。あれ?これじゃ冒険にならない?)。

持ち時間は45分と伝えた。そのくらいなら、週末ランニングで見知った場所辺りになるのではという、目論見を立てての時間設定である。さて、どこへ行ったのか。夕飯を作りながら、兄の居場所が気になってしょうがない。母の権限でGPSの地図を見る。以前、一緒に歩いたルートを再度攻めているようだ。突飛なところに行っていなくて良かった。東西南北に幹線道路があるので、渡るなと伝えたが、約束は守ってくれているようだ。やはり電車を観に行ったのだな。乗り鉄の兄にとっては、今は本当にかわいそうだ。近場の電車を眺めることしかできない。1月に相鉄線のJR乗り入れ車両を海老名から新宿まで乗り尽くしたのは、今となってはナイスタイミングだった。

話を戻し、結局母は、帰宅直前までGPSの地図から目が離せなかった。これはいかんと思った。兄の冒険をこっそり監視しているなんて、過保護が過ぎる。母が常にGPSを見ていることを知って旅立つ兄の心情は、冒険者のそれには似ても似つかない。安全の担保は、兄の冒険する心を阻害しそうだ。せっかく子が冒険心を育もうとしているのだ。母も子離れの冒険心を持たねばなるまい。子育て四訓の「手を離す」ことは順調にきた。今度はいつか訪れる「目を離す」訓練をするときが来たようだ。

半年後には10歳になる兄。子どもの成長は弛まず進んでいる。

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