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子どもは自分の映し鏡

息子たちの順調な成長とともに増えているのが、口げんかだ。言葉で執拗に食い下がるようになった弟が、うざったくてしょうがない兄。4学年差というハンデを完全に忘れ、弟を全力で口撃しているときがある。以前はすぐに弟の形勢が不利になったので、介入して兄をたしなめていた。でも最近は、弟が互角に渡り合うようになってきたので、弟が泣き出すまでは放っておくことにしている。

ケンカの内容は変わらず気になるところ。素知らぬ顔でそっと聞き耳を立てるのだが、弟をおとしめようとする兄の口ぶりにゾッとするときがある。私が兄に感情的に怒ってしまう際のそれとそっくりなのだ。

「やめてって言ってるのにやめないから、怒ってるんだよ僕は!ふつうに話してもわからないんだったら、怒るしかないでしょ?僕の言ってることわかるよね!?」

まったく同じことを、兄に幾度となく言ってきた。同じ過ちを繰り返しがちな兄のことは、かなり怒って育ててしまったふしがある。最初の子どもで具合が分からず、「ちゃんとしつけをしなければ」と躍起になっていたからなのだが、その反面、日々怒りの感情が湧き起こる自分が怖くもなった。

どんなときに怒るべきなのか。判断軸を持たねばと危機感を抱き、考えたのが、「お母さんが怒るときは、何度言ってもわかってくれないときだよ」という台詞。口酸っぱく言って兄に知らしめながら、自分にも言い聞かせていた。私が怒るときは、何度話しても行動が改善しなかったとき。二度三度話してわかるときは怒らないこと、と。

けれども、コンディション不良に身を任せて怒ってしまうときもあるので、それは必ず謝るようにしている。そのおかげか、兄は謝るのが上手だ。小4ともなるとそう簡単に白旗はあげなくなったが、最終的には自分の落ち度をちゃんと詫びることができる子に育っているように思う。

子どもは親をよく見ている。受けた言葉や態度のひとつひとつを余すところなく吸収している。小さいときにはわからなくても、自分で自分をコントロールできるようになってきたころに、過去の蓄積物が表出するもんだから、怖いったらありゃしない。

兄の出産後は専業主婦期間が長かったので、私と二人でいる時間が長かった。「〜でしょ」「〜よね」という語尾になってしまうのも、私の影響だと思っている。子どもの中に自分を見るとはこういうことだ。あぁ、怖い。兄弟げんかのたびにヒヤヒヤがとまらない。




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