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『人生100年という時代に生きる』

「6月末で退職させてください。」
のちにこの退職発表は'Masuwo事変’と呼ばれた。

 2016年8月台湾駐在生活を終えて、本帰国。台湾時代は私にとって闇と光の時代だった。酸いも甘いも、多くを経験し多くを学んだ。人として、母として、妻として成長した時間だったと思っている。

 闇には、蓋をしたいと思うことも、二度とあんな体験したくないと思うこともあるし、光にフォーカスすれば、それはそれはキラッキラの青春のような時間、出会い、体験があふれてくる。
 しかし、総括するとそれは「いつも台湾の人々のやさしさに助けられた」ということなんだと思う。勝手にそう思っている。
だから、台湾の人が日本に来た時には「今度は私が!」と勝手に恩返しを夢見ていた。それが私なりの「日台を繋ぐ」方法だと確信していたのである。

 帰国して2か月後、私は再就職を決めた。2015年できたてホヤホヤ、おそらく戦後すぐくらいから残っていたであろう長屋の一角にある、小さな事務所を構える小さな会社だった。
社員は当時社長入れて6人。社長、社長妻、社長同級生が立ち上げたインバウンドの旅行会社で、これからの成長が楽しみであり、いろいろ挑戦させてくれそう、そう思ったのでジョインすることを決めたのである。台湾への恩返しをしたい!それが一番の動機だった。

 日本のインバウンド業界は訪日外国人の増加により順調に成長。私の勤める会社も、毎年順調にゲストが増えた。私も、中国語ツアー事業を一人でたちあげ、中国語と苦手なITを駆使して、プロモーションから営業から、ガイドから全部こなした。仲間が増え、事業が広がりを見せていくなか、契約社員から正社員になり、チームリーダーとなり、自分の成長と会社の成長が比例していくことがやりがいでもあった。

 ところが2020年、未曾有のコロナ渦により訪日外国人はゼロ。会社は20人の社員を抱えた状態で、売上ゼロになった。大ピンチ・・・!!

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 あれから1年がたち、まさか自分が会社を辞める決断をするとは。
(会社都合ではなく、100%自分都合)やめた理由は5個くらいあったけど、一番は「手に職つけておきたい!」「もっと魂燃やしたい」だったかも。

 これまで、マネージャーという立場で物事を判断したり部下の教育したりわりとチームをマネージメントすることが多かったのだが、これからの時代いろいろな引出し、仕事の経験、スキルがあったほうがいい!!というのはずっと思っていたこと。
 また、コロナによって1社だけで仕事をすることの不安定さに不安を感じつつ、それならば人生において色々なことにチャレンジしたっていいじゃないというポジティブな自分もいたのである。

人生一度きり、いつどうなるかわからないからこそ、本気でやりたいことに進みたい。
まだまだ未熟な自分が成長できる場所に身を置いて修行したい。
平和な世の中で、ボケないようにアンテナ張って生きたい。
先人に感謝、仲間に感謝、家族に感謝を忘れずに生きたい。

「40にして惑わず」である。そう、これまでの経験を土台として持ちながらおばさんになっても挑戦、夢に向かって猪突猛進したらよいのである。
無限寛廣的可能就在我面前。(無限の可能性が目の前に広がってる)

「勇気とともにあれ!ハレルヤ!」ってエレカシのみやじも歌ってる。




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