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コーヒーを飲みながら、その先を想う。

コーヒーショップをやっていると、お客さんからいろんなお話を聞かせてもらう機会が多い。時折、お客さんの悩みや辛い状況にも耳を傾けることになる。

今回はそんな話を聞きながら思うことを僕なりに綴りたいと思う。

自営業をやっていると「時間が自由になっていいですね」ということをよく言われるし、正直なところ、自営業になる前は僕自身も時間の使い方は「自分次第」だと思っていたのでそう言う意味では「自由」だと思っていた。

でも、実際に自営業として仕事をしているとすぐにわかるのだけれど、自由の時間なんて皆無

僕はサラリーマン時代も仕事人間だったので、会社にいて仕事をしている時間が多かったのだけれど、それでも「自由な時間」はある程度あった。でも、今は本を読む時間さえもままならくなってしまっている。「自分の時間が欲しい」という理由で自営業を志す人もいるみたいだけれど、それは多くの場合叶わない。そういう理由であればサラリーマンでいた方が良いと僕は個人的には思う。

先日、お店にやってきた若い男性が「残業ばっかりで嫌になるんです。会社に行くのが辛い。」と話してくれた。休みの日は疲れを取るためだけの日になってやりたいことが何もできない、と。

サラリーマン時代、僕は死ぬほど仕事をした。10年くらい前だから今ほどコンプライアンスも厳しくなくて(法律は厳しかったとは思うけど上の人はさほど気にしてない感じだった)、1ヶ月の残業時間は"給与明細には乗っていない形"で繁忙期は100時間前後はあった。僕が30歳前後の頃の話だ。当時は先日の男性のように「何でこんなに残業代も出ないのに、仕事をしなくちゃならないんだ」と思うことも多々あった。

でも、自営業として働く今となっては「あの経験があってよかった」と心から思っている。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」ではないけれど、社会人としての基礎力を養う上では重要な経験であったように思う。心や身体を壊しては元も子もないけれど、それでも若いうちに負荷がかかる環境に身を置けることは感謝すべきことなのかもしれない。体力があって、頭も柔らかい若いうちなら、いろんなことを吸収しやすい。

それに、自分で自分に負荷をかけるのってとても難しい。筋力と同じように生きていく上での必要となってくる様々な力は、ある程度の負荷をかけることでしか養われない。だから、否応なく負荷がかかる環境というのは自身の成長を志す人であれば、歓迎すべき環境だと思う。自分で自分に負荷をかけるというのは、自分自身で出来る人なら良いけれどそんなこと出来る人なんてめったにいない。

だから「やりたいことが全部やれて充実しています」という若い時代も良いけれど、「仕事で精一杯になってしまってやりたいことが何もできない」ともがき苦しむ若い時代も長い目で見ればとても良いことだと思う。僕は個人的には後者の方が、将来の飛躍度が高い気がしている。丹田へ力を溜め込み「ここぞ」という時に発揮できる底力のようなものが、そういう環境でこそ自然に養われていくと思うからだ。

かくいう僕自身もかつてのそういう経験があるからこそ、自営業になってからの時間の使い方に創意工夫が自然に出来るのだと思う。もしあの経験がなくて自営業になっていたら、時間に追われる日々に「こんなはずじゃない」と頭を抱え込むことになっただろう。

自由な時間なんてないし、若いときに自由な時間なんてあっちゃダメなんだ、と半ば開き直りに近い形で僕はこんなふうに思っている。40代の今だって十分に若い。

でも自由な時間がないからと言って、日々が充実してないわけではない。
充実度からいえば、サラリーマン時代の100倍はあるだろう。いや、比較なんかできないほど、今の方が充実感がある。僕は楽がしたくて自営業になったわけではないし、"楽しい"という概念を多くの人は間違っているような気がしてならない。

40代になった現在だって、日々、いろんな壁にぶち当たる。
そして、それを打破するために、もがき苦しんでいる。

30代と40代で、苦しさはそんなに変わらない。けれど、30代の僕が不器用なりにきちんと苦しみをくぐり抜けたからこそ、今の僕はこの苦しみから得ることができるものに自然に目を向けることが出来る。
だから、その苦しみ自体が楽しいと感じるのだ。

いつも書くことだけれど、やはりヴィジョンがどこにあるかなんだと思う。

ダイエットをしている人の前に、甘いおいしそうなイチゴのショートケーキが出されたする。そのときに、イチゴのショートケーキを食べることで得られる一瞬の快楽に目を向けるのか、それを我慢することで得られる少し先の未来の"理想の自分"になれることで得られる快楽に目を向けるのか。わかりやすくいえば、こういうことである。

どちらを選ぶか、もはやこれは生き方、あり方の問題である。
自分でどちらを選ぶかという問題であって、他者から選ばされるものではない。

間違っても苦しみを苦しみのまま、自分の中に取り込んではいけない。
そんなことをしてしまったら、身も心も持たないのは目に見えている。
そうではなくて"苦しみの向こう側"が、どんな状況下においても存在するんだということを僕たちはもっと自覚するべきなんだということだ。

それに自覚的になれると、人生はもっと面白く楽しいものになると信じている。だから、少し「しんどいな」と思ったら、5分でも10分でも、コーヒーを傍に"向こう側"に意識を向ける時間を持つことがとても大切なことだと思うんだ。コーヒーには美味しいということ以外にも、そういう効能もあるのだから。


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