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イートインで逢いましょう(第6/6話)/小説  創作大賞2024

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6.

 


 タマキさんからのメッセージは、実に簡潔だった。


色々ごめんなさい
少し落ち着いたので一度会いませんか?
一緒に夕食を食べましょう

 僕はその短い文章を何度も何度も読み返す。そして気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと返信をした。

ぜひ会いましょう。いつにしますか?

 そこから僕たちは幾度かやり取りを交わす。そうして日程は今週末金曜日の、夕方6時と決定した。「それで場所はどうしますか」と僕が聞くと、すぐに彼女からの返信はきた。

もちろん、例のイートインで会いましょう



 そこからの数日のは、正直よく覚えていない。日中の僕は頭に霞がかかったようで、授業の内容も何も一切入ってこなかった。
 そんな調子なので、部活動も仮病を使って週末まで休んでしまった。これまで真面目に取り組んできたためか、先輩も顧問の先生も誰一人として僕を疑うことはなく、寧ろずいぶん体調を気遣ってくれたので、僕はなんだか申し訳ない気持ちになった。


 時間の経過が永遠のように感じられた気もするし、あっという間だった気もする。ともかく、約束の金曜日がやってきた。


 この日も部活を休み、僕はすぐに帰宅した。
 そしてそのまま約束の時間までなんとか時間を潰そうとしたけれど、どうにもうまくいかず、仕方なく僕は約束より1時間も早く、スーパーへ向かうことにした。

 歩きながら、僕は彼女に会ったらどう声をかけようか考えた。しかしいくら考えを巡らせても分からなかった。そもそもこんなものに正解など無いのだと、僕は思った。
 なので僕はそれも諦め、代わりにかつてナオコさんに言われた言葉を思い出した。

「相手のことを思いやって、どうしたら力になれるかを考える」
「今までずっときみが、自然にやってきたことだよ」

 そうして想像したナオコさんの声は、少しだけ僕の心を落ち着かせてくれる。

 そうこうしている内に、僕は例のスーパーマーケットに到着する。
 ひとまず何か飲み物でも買おう…そう思って、ふとイートインスペースに目を向けた時だった。

 一瞬僕は、自分の見ている光景が信じられなかった。
 あまりに考えすぎて、幻覚を見ているのではないかとさえ思った。


 数え切れないほど僕たちが座ったイートインスペースの一角、端のほうの二人がけのテーブル。


 そこにはすでに、タマキさんがいた。



 考えてみれば、仕事着ではない彼女を見るのは初めてのことだった。

 細身のジーンズに、薄手のシャツをふわりと羽織ったような格好で、彼女は手持ち無沙汰な子どものように座っていた。その表情は僕が良く知る彼女よりも、少し疲れが取れたような、穏やかになったような印象を受けた。

 こちらに気づくと、彼女はあからさまに驚いた顔をした。

「え、早くない?」とタマキさんは言った。
「いや、そちらこそ!」と僕も思わず言った。

「いやだって…私が待たせるわけにいかないでしょう。普通に考えて」

 それはそうかもしれない。

「まぁ良いや。とりあえず…」と、タマキさんはこちらに向き直し、

「色々ごめんね。ご心配かけました」

 そう言って少し頭を下げて、恥ずかしそうに笑った。それは出会った頃に良く見た、懐かしい彼女の笑顔だった。

「こちらこそ、なんというか、その…良かったです」

 そんな煮え切らないことを言いながら僕も頭を下げた。
 なんだか目の奥がつんと熱くなり、僕はそれが彼女にバレないよう、しばらく顔を上げられずにいた。



「夕飯って、ここで買って食べるんですか?」と僕が訊くと、
「え、違うよ」と彼女はあっけらかんと言った。

「それじゃ、何か食べたいものがあるんですか?」
「ある、ある」と彼女は目を輝かせて言った。

「テツの作った煮込みハンバーグが食べたい」
「…ああ、前々回持ってったやつですか?」

 と僕は何でもないように答えて、しかし嬉しさから顔が綻びそうになる。 
 彼女は、僕の作ったご飯を食べてくれている。しかも、それを食べたいと言ってくれている。

「そう。あれ、すごく美味しかったなぁ。だから、また作ってよ。ここで食材買ってさ。作り方も教えて欲しいし」
「それは良いですけど…でも、どこで調理するんですか?」
「どこって、私の部屋だけど」
 そう彼女は言った。「一体何を言っているのか」とでも言いたげな、心底不思議そうな顔をしていた。

 僕は彼女がおかしいのか、自分がおかしいのか、わからなくなってきた。


 我々は購入した食材を手に、タマキさんのアパートへ向かう。

 牛丼屋に行ったあの日と全く同じ道を、我々は歩いた。僕からすればあの日以来彼女に料理を届けるために、数え切れぬほど一人往復した道だった。

 歩きながら、「なんか、懐かしいね」と彼女は言った。

 まったくその通りだと僕は思った。あれから2ヶ月程度しか経っていないことが、どうにも信じられなかった。

 歩くと少し汗ばむような気温が、夏の訪れを感じさせた。
 それでも時折風が吹いては、彼女のシャツの裾を揺らした。

 僕たちは色々なことを話しながら、ゆっくりと歩いた。話しながら時折彼女の方を見ると、夕暮れの西日が彼女を照らして、その輪郭に美しい陰影を映し出していた。
 その光景は、僕をどこか落ち着かない気持ちにさせた。


 まもなくして、タマキさんの住むアパートに到着する。
 彼女は、「いらっしゃい。どうぞ」と僕を招き入れてくれた。

 我々はすぐに台所に向かい、今買ってきた食材を広げてみた。

 ひき肉に卵、それにケチャップやソースといった調味料。牛乳もある。それから、たくさんの野菜。キャベツに玉ねぎ、それに真っ赤なトマト。
 それらは鮮やかで瑞々しく、生命力に溢れているように見える。

「2人前だと壮観だね」と彼女は言った。
「いや、2人でも食べ切れないですよ」と僕は言った。

 実際、それは2人前というには多すぎるくらいの量だった。その理由ははっきりしていて、彼女の食材の(特に野菜の)買い方は、極めて大胆だった。彼女は売り場の中で一番色つやが良く、大ぶりのものを手に取ると、全く躊躇することなくどんどん買い物かごへ放り込んでいった。

「良いの。食べるものって大事だから」
 と、彼女は満足気だった。なるほど、それが彼女の哲学なのだなと僕は思った。

「…じゃ、さっそく作ってよ。私見てるから」
「え、一緒に作ってくれないんですか?」
「そりゃ手伝うけど。メインはきみでしょ。今日はそれが見たくてテツを呼んだんだから」

 そんなことを彼女は、揶揄うような口調で言うのである。
 そうして、僕の人生で一番緊張する調理が開始した。


 結果的に僕たちは、協力しあって調理した。

 僕がハンバーグを作る間、彼女はご飯を炊き、スープを作り、簡単な付け合わせも用意しつつサラダまでも作った。その手際は見事で、いくつもの行程を同時に進行させる様子は、本当に料理が好きな人なのだと思わせた。

 調理をしながら、「料理、どれもおいしかったよ」と彼女は言った。
「ありがとうございます」と、僕は言った。

「特にどれが良かったですか?」
「ぜんぶ。ぜんぶおいしかった。優劣つけられない」
 そんな風に突然褒められて、僕はなんだか恥ずかしくなる。

「おいしかったし…なんか、救われたよ」
「救われた?」と、僕は訊き返す。

「そう。こんな私のためにこれを作ってくれるなんて、その人は優しいなぁ、幸せだなぁと思って食べたよ。そしたらなんか、涙出てきたよ。正直な話、いつも泣きながら食べてました」と、彼女はこちらに目を合わさずに言った。 

「だから、ありがとう。あれは本当に助かりました。ありがとう」
「…」
「あ、でもタッパーが凄い数になってるから、今日全部持って帰ってね」

 そう言ってこちらを見る彼女は、もう笑っていた。


 そうして、1時間もすると、料理が並んだ。

 僕がメインで作った煮込みハンバーグに、サラダにスープ。そしてご飯。量もたっぷりあって、実に豪勢な夕食だった。僕たちはゆっくり時間をかけて、それらの料理を食べた。

「おいしいなぁ」と、彼女は何度も言った。

 穏やかな時間だった。

 ここにはとりとめのない話と、温かいご飯と、笑顔しかなかった。誰かと話をしながら食べる食事がこんなに楽しいということを教えてくれたのは、目の前にいるこの人だった。


 やがて料理をすっかり平らげてしまうと、僕たちは満腹になった。我々は何を話すでもなく、しばらくぼんやりとしていた。


 そのうち、彼女がぽつりと
「私、がんばらないとな」と言った。
「これから、どうするんですか」と僕は訊いた。

「まずは仕事を辞めるよ。それから親にも一度会わないと。あとはこの部屋をどうするか考えて…あ、次の仕事も探さないとね」
「なんというか…やることがたくさんですね」
「うん。でもひとつずつクリアしていかないと」
 そう言いながら彼女は、無意識に少し髪を触る。

「結局、自分でなんとかしていくしかないんだよ、私たちって。何か困難が起きて、たとえそれが理不尽でも、誰か助けてくれるわけじゃない。自分でその状況に向き合うしかないの。耐えるのも、逃げるのも、抗うのも、何を選ぶにも責任が伴って、それは自分が引き受けるしかないんだよ。自分が選んだことなんだから」

 タマキさんがそう言うのを、僕はただ黙って聞いていた。

「高校生のきみには、社会は素晴らしいって、大人になるってこんなに素敵なことなんだよって、そう言ってあげたかったけど…でも、難しいね」

「俺、言うほど子どもじゃないですよ」と僕は言った。

「あと1年で18です。成人ですよ」
「でも、お酒飲めないじゃん」
「はい。でも投票は行けます」
「たしかに。投票行けるね」

 そう言うと彼女は、愉快そうに笑った。
 つられて、僕も笑った。



 それから、何度か季節が巡った。

 僕は高校3年生になり、人並みに受験を経験した。そして苦労して足掻いた結果、なんとか比較的学費の安い公立大学への切符を手に入れることができた。
 父は思いの外喜んでくれ、下宿代や生活費についてはある程度面倒を見てくれると言い、僕を送り出してくれた。

 今では僕は実家を離れ、大学の近くのアパートで一人暮らしをしている。

 …そういえばあの後、一度だけタマキさんとナオコさんと3人で集まった。

 どういう経緯か全くわからないけれど、「ペンギンを見に行くよ!」と息巻くタマキさんによってナオコさんの車に乗せられ、僕は有無を言わさず地元から離れた大きな水族館へと連行された。
 ナオコさんの運転は予想外に荒く、車内には緊張が走ったけれど、それでも我々はこの旅行で色々な話をして、そして大いに笑った。

 2人とは、今でもたまに連絡を取り合っている。あれ以降も僕は定期的にタマキさんと落ち合い、話をしたり食事をしたりした。

 しかしその後間もなくして、タマキさんは例のアパートを出ることになった。

「一度、実家に帰るよ」と、彼女は言った。
「不本意だけどね。大丈夫、一回体勢を立て直したら、またすぐに出るつもりだから。実はうまくいけば、ナオコと一緒に暮らせるかもしれないんだ」

 そういう彼女の目は輝きに満ちていて、僕は心底逞しいなと思った。

 彼女が引っ越してからも、数ヶ月に1回は会ったりもしていたけれど、さすがに僕が大学への進学を理由に引っ越してからは、タマキさんと会う頻度も年に1回程度まで激減してしまった。


 …僕たちの関係をどう呼ぶべきかは、正直今でもよくわからない。


 我々は2人とも、お互いを大人・子どもだと自分に言い聞かせ、一種の線引きをした上で、接していたような気がする。
 あの時の僕がすでに成熟した大人だったらと、今でもたまに思う。タマキさんが僕を高校生ではなく、自分と同じ大人の一員として見てくれていたら。僕たちは今頃、一体どんな関係だっただろうか。

 しかしそれでも、とにかく我々は互いを尊重して、互いを気遣い合うことのできる稀有な関係だった。その事実だけは変わらない。


 …そして今もなお、互いがこの関係性を望んでいることも。


 僕は玄関に座り、靴を履く。音を立てて軋む扉を開くと、日光が暗闇に慣れた目に眩しくて、僕は目を細める。



 今日こそが、約1年ぶりの彼女との約束の日だった。


 トントンと靴の踵を整えながら、僕は彼女との待ち合わせ場所へ向かう。


【完】



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