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イートインで逢いましょう(第1/6話)/小説  創作大賞2024

【あらすじ】
 高校2年生のテツは、スーパーのイートインスペースで食事をしている。すると同じくイートインを利用する女性、タマキに声をかけられる。 

 彼女はテツに「買い過ぎたので、食べてほしい」と、おにぎりを一つ渡す。それを受け取り、食べるテツ。しかしそれ以降、彼女は会うたびに食べ物をくれるのだった。

 不思議に思い理由を聞くと、「いつもカップ麺だけで空腹そうだったから」と、タマキはそれが彼を気遣う故の行動であったと告白する。それを聞き、テツは自身がこの場所で食事をするようになった理由を話し始める。

 与えることと、与えられること。
 そして、人が人を思うということ。
 奇妙な場所で奇妙な出会い方をした、二人の話。


1.


「ねぇ、そこのきみ!」

 不意に声をかけられ、顔を上げる。テーブルの脇には女性が立っている。

 金曜の夜7時、近所のスーパーマーケット。
 この時間のイートインスペースは、いつも閑散としていた。

「…なんですか」

 イヤホンをはずし、僕は答える。不意を突かれ、まぬけな顔になっていたかもしれない。

「急にごめん。ちょっとお願いがあるんだけど」

 彼女はそう言って、何かをテーブルに置いた。

「これ、食べてくれない?多くて」

 視線を落とすと、梅のおにぎりがぽつんと置かれていた。今さっき店内の売り場で買ったのだろう、半額のシールが貼られている。
 ぽかんとする僕に、彼女は続けて言った。

「きみ、高校生でしょ。いつもここでカップ麺食べてるよね」

 僕が高校生であることは、きっと彼女でなくとも一目でわかる。ハーフパンツにジャージ、それに学校指定のスクールバッグ。誰がどう見ても部活帰りの高校生だった。
 そして彼女もまた、一見して仕事帰りの会社員という出立ちをしている。パンツスタイルのビジネススーツに、長くはないけれど几帳面に束ねられた髪。それに華奢な体には不釣り合いなほど、大きなビジネスバッグ。

 僕としても、彼女には見覚えがあった。部活が終わりこのスーパーに寄ると、しばしば彼女はこのイートインスペースにいて、売り場で買ったであろう、弁当やサラダを食べていた。
 とはいえ、あくまで「見たことがある」程度の他人だ。彼女から食べ物をもらう理由が無い。

「いや、結構です。悪いですし」と、丁重に僕は断る。
「違うの。深い意味はなくて」と、彼女は続ける。

「単純に食べきれないから、手伝って欲しいの。捨てるのも勿体無いしさ。ね?」そう言って、胸の前で手を合わせて見せる。

「お願い。人助けと思って。男の子だし余裕でしょ?」

 どうやら、他意は無さそうだった。

「はぁ…じゃあ遠慮なく、いただきます」
「うん。ありがと」

 そう言って少し笑うと、彼女は踵を返し出口へと歩いていった。僕は何の気なしに、その後ろ姿を目で追う。黒いビジネススーツは、皺も無く清潔だ。しかしその背中は一日の仕事を終え、蓄積された疲労を感じさせた。

 彼女が出口に近づくと、「ガー」という機械音と共に自動ドアが開く。ドアのむこうにはうっすらと夜の闇が広がっている。遠くではスーパーマーケット特有の底抜けに明るいBGMが鳴っている。
 自動ドアが閉まると、その姿はすぐに見えなくなってしまう。

 それが、僕と彼女の出会いだった。


 それからも、彼女とは何度も会った。

 僕に気づくと彼女は声をかけてくれる。といっても、「こんばんは」とか、「また会ったね、元気?」とか、そんな他愛もないやり取りだ。
 それは良いのだけど、不思議なことに彼女は必ず去り際に何か食べ物をくれるのだった。

「あの」

と、ある時とうとう僕は言った。

「さすがに悪いですよ。こんなにもらうの」
「気にしなくていいよ。助かってるんだから」

と、彼女はいつもの調子で言う。でも今日は僕も引き下がらない。

「というか、おかしいですよ。こんなに毎回買いすぎるって」
「おかしい?」
「はい、不自然です。自分で食べる量くらい分かるでしょう」
「…」
「これじゃ、まるで初めから僕にくれるつもりみたいな」
「ははっ」

 そこまで言うと、彼女は愉快そうに笑った。テーブルには先ほど彼女がくれたカツサンドが置かれている。実際彼女からの差し入れは、日を重ねるごとに明らかにボリュームが増していった。

「バレたか。さすがに」
「やっぱり。そうじゃないですか」
「いや、ごめんごめん…でも、本当に悪気は無くて」
「いったい何が目的ですか?」
「ストップ。わかった、話すよ全部。ここ座っていい?」

 返事をするまでもなく、彼女はもう座っていた。

「話すけど…でも当然、それは食べてくれるよね?」

 そう言って彼女はにっこりとテーブルの上を指差した。僕は観念して包装を剥がし、カツサンドにかぶりついた。



「タマキと言います」と、彼女は名乗った。

「好きなものはペンギン、嫌いなものは残業です。よろしくお願いします」

 そう言って彼女は深々と頭を下げる。なんとなくこちらも会釈する。
「タマキというのは姓ですか、名ですか」と聞いてみたが、「さぁどちらでしょう」とはぐらかされた。

「ここから、電車で15分ほどの所で働いてるの」
「このスーパーは家から最寄りで、よく来るんだよ」
「疲れた日はここで適当に買って、イートインで済ませちゃうの」

 彼女は紙コップのコーヒーを啜りながら、そう説明した。僕はカツサンドを咀嚼しながらそれを聞いていた。食べながら、これはコンビニで良く見るような冷蔵のものではなく、店内のパン屋で作られたものだと気づいた。
 パンはふっくらして、キャベツもたっぷり入っている。カツも分厚い。空腹時に食べれば、さぞかし美味しいだろう。
 だけど、知らない大人の話を聞きながら食べるという異様さが落ち着かなくて、なんだか味もよくわからなかった。

「ええと…それは理解したんですけど、」

 と、僕はカツサンドを飲み下して言った。

「それで、なんで僕に食べ物をくれるんですか」
「本当にそれ、わからない?」

 その言葉に面食らっていると、彼女は落ち着いて答えた。

「だってきみ、いつも空腹そうな顔をしてるから」
「…」
「いつもカップ麺食べてるよね。あれ夕食でしょ?どうして食べ終わってすぐ、物足りない顔してるの?」
「してますか?」
「してるよ。『あーもう夕飯終わりか』みたいな。あのさ、君は高校生で、部活をやってるんだよね」
「ええまぁ、はい」
「何部?」
「陸上です」
「陸上部…」

 と、彼女は呆れた目をして言った。

「陸上部の高校生の夕食が、カップ麺だけで足りるわけないでしょう」

 予想外の展開に無言になる僕。しかし構わず彼女は続ける。

「というか量とか以前に、そもそも栄養が全然足りてないから。もっとちゃんとした食事を摂りなさい。お願いだから」
「…はぁ」
「君にはわからないだろうけど」

 指先だけでこちらを差し、彼女は言う。

「女の人っていうのはね、なんか、君くらいの子が空腹そうにしてるのが、一番我慢できないものなの」

 「えぇ…」と、僕は心の中で呟いた。なんという世話焼きな人だと思った。
 僕はただ、誰にも迷惑をかけず食事をしていただけなのに、見ず知らずの人にそんな事を思われていたのか…でも人と人との繋がりが薄れている昨今、赤の他人がここまで気遣ってくれるというのは、ありがたいことなのかもしれない。
 そんな事をぐるぐる考え、結果として僕はしばらく沈黙した。

「…何か、理由があるの?夕食を控えるような」

 また一口コーヒーを啜り、そう言う彼女に、僕も少しずつ自分のことを話し始めた。そうしないわけにはいかなかった。


 両親が離婚したのは、中学を卒業してすぐの頃だった。
 さして仲の良い夫婦とは思っていなかったけれど、それでも初めて父親から「離婚」の言葉を聞いた時は、それ相応にショックを受けた。

 もうずっと以前から、二人の間では離婚という結論が出ていたこと。しかし僕が成長するまでは離婚せず、協力し僕を育てると決めたこと。その期限として設定していたのが、「僕が中学を卒業するまで」であったこと。

 父親がそんな話をするのを、僕はどこか他人事のように聞いていた。隣に座る母は、ずっと俯いていた。

「…申し訳ない」
「ごめんなさい」

 と、二人は僕に言った。それは親から子へというより、社会人が取引先に頭を下げるような、そんな謝罪だった。

「それで、テツはどうしたい?」
「え?」
「お母さんについていくか、このままお父さんと一緒に暮らすか」

 そう言う父の声は、どこか感情が欠落したように聞こえる。

「もちろん俺たちは、それぞれテツと暮らしたいと思っている。だがこれは、お前の人生に関わることだ。テツ自身に決めてほしい。…まあ、突然こんなこと言われても困るだろう。今すぐ決めろとは言わないから、よく考えてくれ」

 そう父は言った。隣に座る母の肩は、微かに震えていた。

 結局、僕は父と一緒にここに住み続けることを選択した。転校せず今までの生活を続けられるという事は、僕にとって何より最優先事項だった。
 それに、金銭的なこともある。母は働いていたけれど、仕事は継続するのだろうか。仮に続けるとしても、それで母子二人食べていくのは、どう考えても厳しい。養育費の受け取りとか、そういうことで本人たちの望まぬ繋がりを続けさせるのも、気が引けた。

 父と二人きりの生活が始まると、すぐに家事の問題に直面した。
 父は月に一度、多すぎるほどの食費を渡してくれた。父の帰りは遅く、食事も会社の近くで適当に済ませることが多かった。ということは、僕はこのお金で自分の食事をなんとか工面しなくてはいけないのだ。買うにせよ、自炊するにせよ、行動を起こさずして夕食にありつけることは無い。それも毎日、365日。

 使われなくなったキッチンには物が積まれるようになり、日を追うごとに料理をする環境からかけ離れていった。洗濯は週末にまとめて父がやってくれていたけれど、それも乾燥機に入れスイッチを入れるまでで、僕たちはそこから、その日の服を選んで着るという有様だった。
 部屋の隅には綿埃が目立つようになった。気づいた時には掃除機をかけてみるものの、そもそも床に積まれた物が多く、気休め程度の効果しか無いように見えた。どれだけ掃除機をかけても、部屋は以前の整頓された状態からは程遠かった。
 「母親が家にいて、家事をしてくれる」という当たり前に思っていた事が、一体どれほどありがたいことだったのか、僕は思い知った。

「余った食費は好きに使って良い」と、父は言った。だから僕は受け取った食費をできるだけ節約し、残りを貯金しておくことに決めた。
 夕食はコンビニ、スーパーの弁当と色々試し、最終的にはカップ麺に落ち着いた。これが最も安上がりだったし、スープもあるのでそれなりに満足感がある。
 一日の終わりにスーパーへ行き、カップ麺を購入して食べる。ついでに翌日学校で食べるパンやらおにぎりも買ってしまう。最終的にそんな生活が定着した。家に帰ってしばらくすると腹が減ることもあったが、そんなときはやはりスーパーで買ったパンとかカップ麺を食べた。

 そんな具合に、高校に入ると同時に僕の生活はいささか変化したけれど、一年も経つ頃にはその生活にも案外慣れてしまった。
 「家に母親がいないこと」と、「食事を自分で工面すること」。これらの変化に、僕は一年かけて少しずつ順応していった。


 そこまで一気に話して、ふと視線を上げた。

 タマキさんは、すでに空になったコーヒーの紙コップをじっと見ていた。話し過ぎただろうか?と、僕は思った。少し前まで見ず知らずの他人に、ここまで話すつもりはなかった。
 少しばかりの沈黙の後、「そっか」と彼女は言った。

「ご両親が離婚、ね。それは大変だったろうね。子どもからしたら」
「はい。まぁ…でもしょうがないです。当人同士の問題なんで」
「当人って、きみだって当事者じゃん」
「いや、はい。そうなんですけど」
「…変なの」

 そう言って、彼女は少し笑う。そして、
「それで『テツ君』は、明日もここにくるの?」と続けた。

「あ、はい。またここで買って食べます」
「そっか。私もそのつもり」
「はい」
「時間は?7時くらい?」
「それくらいでしょうね」
「オッケー。じゃ、明日の夜7時にここでね」
「…はい?」

 そう言うと、彼女は立ち上がった。

「明日夜7時に、この場所で。…あ、私が来るまで夕飯は買わないように」

 念を押すようにそれだけ言い残すと、彼女は「ばいばい」と小さく手を振り、そのまま行ってしまった。一人残された僕はしばらく呆気に取られ、その場から動けなかった。


第2話

第3話

第4話

第5話

第6話


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