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イートインで逢いましょう(第4/6話)/小説  創作大賞2024


第1話

第2話

第3話


4.


 その女性は、どこか異質だった。

 どこが異質かというと、まず第一に、スーパーマーケットにいながら彼女は買い物に一切関心が無いように見えた。入店して辺りの様子を伺うと、彼女は売り場に目もくれず、迷いのない足取りで僕のいるイートインスペースに直行した。

 うすいブルーのシャツに、すらっとした細身のパンツ。肩まで伸びた長い髪は後頭部の高い位置で束ねられ、綺麗なラインを描き背中へと流れている。女性らしさと清潔さを感じさせる装いはいかにも仕事のできる社会人という印象だが、オフィスをそのまま抜け出してきたような姿の彼女は、買い物客で溢れる夕方のスーパーマーケットではどう見ても場違いだった。

 そんな彼女をぼんやり眺めながら食事していると、不意に目が合った。彼女はこちらに気づくと、テーブルの傍までやってきた。端正なその顔には、どことなく不安そうな表情が伺えた。

「あの、違っていたら大変申し訳ないんだけれど」そう前置きをして、
「きみ、タマキという女の人を知らない?」と彼女は言った。

「知っています」と、僕は即答した。
「あぁ、やっぱり」と彼女は続ける。

「きみがあの、テツくんね?」

 僕が頷くと、その顔には安堵と期待の色が浮かんだ。

 期待しているのは、僕も同じだった。彼女が誰かわからないけれど、ようやく事態が動き始めるかもしれない。僕は期待と緊張で鼓動が少し早くなるのを感じた。

「はじめまして。私はナオコって言います」
 と、彼女は名乗った。

「突然だけど、ご一緒して良いかな。少しお話をしましょう」



 向かいの席に座ろうとした彼女は、ふと「あ、でも何も買わないのって良くないよね」と言って、売り場へと消えた。
 しばらくして、彼女はペットボトルを2本手にして戻ってきた。1本がコーヒーで1本が緑茶。「これ、どうぞ。お近づきの印に」と言って、彼女は緑茶の方を僕に差し出してくれた。
 そして「さて、正直何から話せば良いかわからないけれど」と前置きしてから、彼女はざっと説明を始めた。

 タマキさんとナオコさん、二人が高校時代からの付き合いで、今でも定期的に連絡をとるほど親密な仲であること。
 しかしここ数ヶ月、タマキさんの仕事は多忙を極め、全く会えない日々が続いたこと。
 そしてここ3日ほど、唐突に連絡までもがつかなくなったこと。
 いてもたってもいられず、今日は仕事を早く上がり、彼女のいるはずの街に来たこと。

 そこまで話すと、「突然こんな話をしてごめんね」とナオコさんは謝った。

「でも私今、とても心配しているの。タマキが連絡を放置するなんて、今まで無かったから。あの子に何かあったのかもしれないと思うと、なりふり構っていられなくて…」

「気にしないでください」と僕は言った。

「ということは、これから会いに行くんですね?」
「そうしたいところなんだけど」と彼女が言った。

「困ったことに、住所がわからないの。あの子、引っ越したばかりだったから」と、彼女はため息をつく。「だから、ここで手詰まり。残念だけど…」

「俺、わかりますよ」
「え?」
「タマキさんのアパート。俺、多分わかります」

 僕はタマキさんと二人で牛丼屋へ行った日のことを思い出した。帰り際、彼女が指差した方向には、それほど大きくはない集合住宅の建屋があった。それを僕は昨日のことのように思い出すことができた。

 ナオコさんはしばし呆気にとられていたが、すぐに
「テツくん、私をそこへ案内してくれる?」と言った。
 その問いに、僕は黙って頷く。



 夕暮れ時、僕はナオコさんとあの日タマキさんと歩いたのと全く同じ道を辿っていた。

 辺りはすでに暗くなり始めていた。街は一日の終わりの気配を漂わせ、ひっそりとしていた。歩きながら僕は、普段の自分の動線にない道を二度も、それも全く別の見知らぬ女性と歩くのは、なかなか奇妙な体験だなと思った。ナオコさんの歩くスピードは思いのほか早く、僕は遅れてしまわないよう努めた。

 道中、ナオコさんが思い出したように、
「君とタマキって、どういう関係だったの?」と言った。

「以前からあの場所を使っていて、たまに会うと一緒に食事をする、そんな関係です」と、僕は注意深く答えた。

「そんなたまに会うだけの高校生が、なぜ彼女の家を知ってるのよ」
「話すと複雑なんです」と、僕は困って言った。

 たしかに彼女の抱く疑問は、至極もっともだった。我々の関係性は客観的に見れば、とても奇妙なものだと思う。
 あれこれ考えるのもなんだか億劫で、僕はタマキさんとの出会いから直近のやりとりまで、可能な限りぜんぶ話してしまうことにした。

 彼女がなぜか食べ物を毎日のようにくれたこと。その後強引に牛丼屋に連れて行かれ、彼女の選んだ定食を一緒に食べたこと。そこで彼女が食の大切さについて話をしてくれたこと。一方で最近はスーパーで会う頻度が明らかに少なくなり、僕としても心配していたこと。

 話しながら自分でもわけがわからない関係性だなと思ったけれど、ナオコさんは熱心に聞いてくれた。

「じゃあきみ、あの子の家に行ったわけじゃないんだ」
「まさか」と僕は慌てて言う。

「家の場所を指差して教えてくれただけです。それも話のなりゆきで」
「ごめんごめん、変な意味じゃないのよ。それにしても…」と、彼女は少し呆れたような表情をする。

「あの子、君にがっつり入れ込んでるじゃない…」

「すみません」と僕がなんとなく謝ると、
「いや、テツ君が謝ることじゃないよ、この場合」とナオコさんは言う。

「きみは高校生で、私たちは大人だからさ。私たちがしっかりしないといけないの」
「…彼女が僕にしてくれたことって、何か良くないことだったんでしょうか」と、思わず僕は言う。

「タマキさん自身も言っていたんです。親密になりすぎるのは良くないって。僕はその辺りが、どうもよくわかりません」
「それは私にもわからないわね、正直なところ」と、ナオコさんが言った。

「結局のところ私たちは、何が正しいのかなんてわからないのよ。だから、正しいと思ったこと・・・・・・・・・をやるしかないの。これによって誰か傷つく人はないかって、常に注意を払いながら…私が君との関係を忠告したことだって、逆にあの子を追い詰めていたかもしれないわね」そう言って彼女は、少し悲しそうな顔をする。

「たぶん、ただ純粋に俺のことを心配してくれていたんだと思います。タマキさんは」
「うん、それもわかるよ」と、彼女は少し微笑む。

「あの子、昔からそうなんだ。いつも人のことばかり気遣うの…自分だって大変なのにね。それで最後は自分の問題が膨らんでしまって、どうにもならなくなって、それを私が手助けしたりして。そんなことばかり」

「優しい人ですね」と僕が言うと、
「そう、優しいの」と彼女も言った。

「でも、今回はそれが良い方に働いたかもね」
「え?」
「だって君がいたから、私はあの子に会いに行ける。一人じゃ辿り着けなかった。あの子が君に与えていた日々があったから、君もタマキのことが心配で、あの場所に居続けたんでしょ?」とナオコさんは前を向いたまま言った。僕は黙って頷く。

「そんなあの子だから、私はいつも力になりたいのよ」


 やがて我々は、目的の場所に到着した。

 それはベージュの外観をした二階建てのアパートだった。古くも新しくもないその建物は、見るからに一人暮らしの社会人向けの集合住宅といった佇まいだった。

 さほど大きくないアパートで、部屋は全部で6つしかない。僕たちはこの中からタマキさんの部屋を探さなければならない。
 階段の一階部分を見てみると、各部屋の集合ポストがあった。ポストにはネームプレートが入っているものと、入っていないものがあった。

「あっ」と僕は思い出したように言った。

「俺、タマキさんの苗字を知りません」
「一ノ瀬」とナオコさんが言う。

「一ノ瀬 タマキ。それがあの子の名前だよ」

 僕はもう一度ポストを見る。104号室のポストのネームプレートに「一ノ瀬」という文字が細い筆致で書かれていた。

「ありますね」と僕は言った。
「うん、行こう」とナオコさんは歩き出した。

 104号室の扉は、すぐに見つかった。

 ナオコさんは、まず扉の脇にあるインターホンを押した。返事はない。
2度、3度と続けて押してみるが、結果はやはり同じだった。インターホンの機械音が、扉の向こうでむなしく反響した。

「タマキ!タマキ!」と、ナオコさんは扉の向こうへ何度か呼びかけた。やはり返事は無い。彼女は少し考えてから、ドアノブに手をかける。

 鍵は、開いている。

 ナオコさんは扉を開け、「タマキ!そこにいるの?入るよ!」と、奥へ向かって呼びかける。少し待って、やがて何かを決心したように彼女は靴を脱ぎ、奥へと行ってしまう。

 僕は、少し迷う。しかしすぐに、先程のナオコさんの言葉を思い出す。

「結局のところ私たちは、何が正しいのかなんてわからないのよ。だから、正しいと思ったことをやるしかないの」

 そうして僕は、ナオコさんの後を追って奥へと進む。

 キッチンに面した廊下を抜けて、一番奥の部屋。そこに、彼女はいた。

 暗い部屋で灯りもつけずに、タマキさんは壁に寄りかかって座っていた。彼女はただ呆然としているように見えた。手元には真っ暗な画面の携帯電話が、無造作に投げ出されていた。

 彼女があまりに動かないので、僕は一瞬息を飲んだ。思わず最悪の事態を想像し、全身に嫌な気配が走った。

 しかし、「タマキ」とナオコさんが呼びかけると、彼女の口がかすかに動いた。


「…だめだった」
 消え入りそうな声だった。


「私、自分なりに、なんとかやってみたんだけど」


「結局、うまくできなかった」


「私、いろんなものをだめにしちゃった」


 それはきっと、心から傷ついた人の発する言葉だった。その声からは一切の感情が感じられず、それが尚のこと痛々しかった。
 ナオコさんは何も言わず両手を伸ばし彼女を抱きしめた。

「タマキは、だめじゃないよ」小さな小さな声で、彼女はそう言った。

「遅くなってごめんね。ひとりでつらかったね」

 しばらくすると、細い肩が僅かに震え出した。彼女は声を出さずに泣いているようだった。


 ナオコさんは何も言わず、いつまでも彼女を抱きしめていた。抱きしめながら自身も何かを悔いるような、辛そうな表情をしていた。


 僕は自分がひどく場違いな存在のような気がして、いたたまれない気持ちを感じながら、その場に立っていた。



「テツくん」と、しばらくしてナオコさんが言った。

「本当に悪いんだけど、今日はもう帰ってもらえるかな。あとのことは大丈夫。私がなんとかするから」

 僕は黙って頷く。彼女の言うとおり、今この場で僕にできることは何一つないように思えた。僕は無言で頭を下げ、そのまま廊下へと引き返した。

 玄関で靴を履いていると、「テツくん」と再度呼び止められた。

 ナオコさんが駆け寄り、「忘れるところだった。これ、私の連絡先」と、僕にメモ用紙を差し出した。通話アプリのIDと思われる文字の羅列が、そこには書かれていた。

「良いんですか?」と僕はびっくりして言った。
「うん、良いよ」
「でも、どうして?」
「信用してるからよ」と彼女は平然と言った。

「私はあの子を信用してるし、あの子はきみのことを信用してる。私自身、きみに会ったのは今日が初めてだけど、信用できると思っているし、なんなら好感を持っている」

 そんなことを、彼女は冷静な口調で淡々と述べた。

「君は若いけれど、落ち着いて自分の考えを言えるし、人のことを気遣うことができる。たとえそれがどんな間柄の相手であってもね。そういう人を、私は信用するの。年齢に関係なく」

「でも」と、僕は呟く。

「この件で俺にできることなんて、もはや何もないような気がします…」
「まさか」と、ナオコさんは言う。

「君にできることはあるよ。というか、君にしかできないことが」
 そういう彼女の表情は、極めて真剣だった。

「タマキは君に何かを与えた。そして君もタマキに何かを与えていた。それがたとえ意図したものではなかったにせよ、ね。そういう繋がりって、簡単には切れないものだよ」

 彼女の声は穏やかで、しかし確信めいた響きがある。僕は彼女の言ったことについて、自分なりに考えを巡らせる。

「あの子はちょっと危なかったけど、今日私とテツくんが偶然出会って、そして見つけることができた。だからもう大丈夫」
 そう言うと彼女は、僕に手を差し伸べた。それが握手を求められていると気づくのに、少しだけ時間がかかった。

「あの子は、ここから回復するの。だから手を貸してね」

 様々な思いを巡らせ混乱しながら、それでも僕は手を伸ばし、その握手に応じる。


第5話


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