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KANさんの訃報を受け、驚くほど心が乱れた


凄くショックだった。


虚を突かれた思いがした。

それほど、死の気配とは全く無縁と感じていた。


恥ずかしながら、僕は今年3月に公表されたという彼の病気のことを知らなかった。僕のこれまでの彼に対する関心というのは、その程度のものだった。

だからこそ、今回の訃報に触れてこれほどまでに心乱れたことは、自分自身予想外のことだった。



僕は正直にいうと、彼が「愛は勝つ」によって一躍名を馳せた時期とは、やや世代がズレている。1990年、当時自分は、物心もつかぬ子供だった。


ようやく少しの分別を持って音楽を聴き始めたのは中学時代だろうか。だから、当初彼へのイメージは「愛は勝つの一発屋?」みたいな、失礼極まりないものだったと思う。


それでも、「どうやら僕の敬愛するアーティストは、皆彼を慕っている」と気づくのに、そう時間はかからなかった。


草野正宗が、桜井和寿が、aikoが、山崎まさよしが。


皆、異口同音に彼への愛、また彼の音楽の素晴らしさを語った。

そして何よりライブで彼と共演するとき、誰もが本当に楽しそうな顔をしていた。思い出す限り、皆一人残らず笑顔だった。特に記憶に鮮明なのは、apBank Fesでの桜井さんとの共演の数々だ。

なぜか彼は、毎回何かしらのコスプレをしてステージに出てきた。


あるときは警察官、
あるときは学生、
あるときはアメフト選手。


偉大なる先輩ミュージシャンの盛大な出オチは、観客のみならず共演者をも、一人残らず笑顔にさせた。今になって思うと、それは彼なりのエンタメで、美学で、ミュージシャンとしての姿勢だったんだと感じる。


「音を楽しもうよ!」


そんな声に出さぬ呼びかけが、ステージの彼の言動の全てからは滲み出るようで、それはおそらく同じステージに立つ共演者にも一人残らず伝わっていた。

ミュージシャンとしての大先輩にそんなことをされては、後輩たちはただ笑って彼に続くしかない。桜井さんだって同様である。そうして作り上げる「音楽」は、音の喜びに満ち溢れていて、観客全員を幸せな気持ちにした。


だからこそ、彼を知る人は、誰もが一人残らず彼のことを愛した。愛さずにはいられなかった。



少し前に、藤井風についての記事を執筆した。

記事中で、楽曲「帰ろう」の考察にあたり、

「幸せに死ぬには、どう生きたらいいの?」


という、藤井風本人が提示したテーマに触れた。

その時以来、そのテーマは僕の心のどこかに引っかかっているのだけど、今回の件を受け、やはり考えずにはいられなかった。

思うに、おそらく幸せに死ぬというのは、その人が死んだ時、まわりの人々が悲しみ、涙し、思いを馳せてくれるということなんじゃないかと思う。


今、どうだろう。

KAN氏の訃報に触れて、どれほど多くの人々がショックを受け、心を痛め、彼に思いを寄せているか。SNSでわざわざ検索するまでもない。


その理由も、今ならわかる。
きっとみんな、「彼に対して良い思い出しかないから」だ。


記憶の中でKANという人は、周りに笑顔を、楽しさを、幸せを。常に与える人だった。だから皆、常日頃から彼の情報を追っていたわけではない僕のような人間でさえも、今彼のことを思い、心を痛めているのだ。


「幸せに死ぬためにどう生きたら良いのか」


そのヒントが、少しわかった気がする。

願わくば僕も、出会った人たちに何か優しいものを与えられる人になりたいと思う。去り際に、何か温かい感情を残せる人でありたいと思う。


それは、現実で触れる人たちはもちろん、こうした文章を通じて触れる人たちも同じ。


これまでも気をつけていた所ではあるけど、今はよりいっそう、読む人にプラスの感情を残す文章を書きたいなと思う。



決して傷つけず。
願わくば、少しの彩りになるような。


そんな記事を書いていきます。
だから、心配ないからね。


今まで多くのものを与えてくれて、ありがとうございました。


彼は幸せに生きた人だったと確信しています。



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