適応障害と診断された私が、今後生きていく方法について、自分なりに考えてみた 1

 

 こんにちは、蒼乃真澄です。本当に突然ですが、先日このnote内に『泳げないよ、ママ』といったノンフィクション混じりの文章を載せました。ぜひお読みいただきたい、と推せるほどではないですが、ちょっとでも見ていただけたら嬉しいなと思います。『泳げないよ、ママ』は、一言で言うなら過去の自分のトラウマをまとめたものです。一度傷つけられた心はもう癒えることなく、社会的にも精神的にも浮上することなく沈んだまま人生を終えるのだろう、と夢も希望もないお話になっています。

 さて、どうして私がここまでネガティブな心情を吐露したのか。理由は簡単で、まさしく今、私が精神的にブッ壊れているからです。ただいきなり壊れたわけではなく、ジェンガの如く自分を形成するブロックが段々と引き抜かれていき、ある日突然音を立てて崩れていきました。今は見るも無残な残骸だけがそこら中に散らばっています。

 では、そのブロックは何故引き抜かれてしまったのか。脆くなっていく原因を自分なりに考察してみました。

1、「過去のトラウマ」

 私は過去に様々な悪しき経験をしてきたせいで、心がボロボロになってしまいました。例えば、容姿についてのからかいですね。中学生から高校生の頃、私はひどく太っていました。目つきも悪かったからか、ついたあだ名は「朝青龍」でした。朝青龍さんは偉大な功績を残された方ですが、当時の私はそう呼ばれるのがすごく嫌でした。痩せれば良いのでは? と考える人もいると思いますが、当時の私はとにかく食べることが好きで、食事の時間が一番幸せとすら感じていました。『いっぱい食べる君が好き』なんて軽快な歌が流れるCMを思い出しますが、当時の私は食べることでストレスを発散していました。これは完全に悪循環ですね。今から思うと、「食欲、抑えられたんじゃないの?」と悔やみますが、悔やんだって後の祭りですね。

 あとは致命的に運動ができなかったことですね。これも大きなトラウマになっています。私は何をやってもダメで、まるで絵に描いたような運動音痴でした。射撃が上手なのび太くんの方がマシかもしれません。だから体育の時間のたびに、同級生に馬鹿にされ、自分でも恥ずかしい思いをすることが多々ありました。これは今でも引きずっていて、「どうせ努力じゃ何も解決しない、この世で成功するには才能と運と環境だ」と恐ろしいくらいに捻くれた考え方になってしまっています。本当に夢も希望もありゃしないですね。

 おまけに絵が下手、字が吐き気を催すほど下手(母親談)でした。勉強はまあまあできましたが、正直それ以外のスキルが欠けていて、特に義務教育時代は本当に苦労しました。今でも、私が書いた鳥を魚って馬鹿にしたあの先生は許せません。今話題のYouTuberで、ゆたぼん(少年革命家?)がいますが、私は正直羨ましい生き方しているなあって思ってしまいます。彼みたいになりたいとは全く思いませんが、少なくとも学校に苦しめられた私からすると、彼みたいな生き方もアリだとは思いますね。


2、コミュニケーション障害

 私は昔から、人前に出ると途端に頭が真っ白になってしまい、言葉がしどろもどろになってしまいます。頭では「これを話そう」と考えるのですが、いざ言葉に出そうとしても出ない。だから会話が成り立たず、ほとんど友達ができない。そんな絶望的な少年時代でした。これは今でも変わらず、ビジネス的な会話はかろうじてできますが、世間話はまるでできません。相手の話を聞いてそれに頷く。つまり相手が一方的にボールを投げ続けている状態になってしまうのです。正直、私ももっと会話をしたいのですが、脳がついていかないんですよね。これには本当に困っていますね。そのせいでだんだんと人が離れていく。私も気まずさから逃れるために避けるようになる。やっぱり悪循環ですね。


3、人間不信 人間恐怖

 上記の理由もあって、私はだんだんと人間不信になり、人間が怖くなってしまいます。そのせいか、極端に人間と関わりを避けようとしたり、迷惑をかけたくないと強く思い、全部自分で抱え込んでしまうことが多くなりました。すべてを自己完結で終わらせる方が気が楽なのです。「怒られたらどうしよう」といった次元ではありません。「コミュニケーション取れないからどうしよう」と、社会で生きていくには致命的な欠陥を背負って生きている状態です。これは結構疲れるもので、社会人になると余計に精神的にも疲労が溜まっていく一方でした。知らない人たちと一から仲良くなって、チームで仕事をするのがほとんどの会社ですからね。私からすると地獄そのものでした。結局、新入社員で入った会社もこれら精神的な理由が原因で早々に離脱してしまいました。新卒カードを失った私は、二十三にして社会からドロップアウトしてしまった感じですね。

 余談ですが、私にも数人友人がいます。彼らは本当に良い友人なのですが、彼らが一生懸命社会で働いている姿を見ると、自分がクソな存在にしか思えなくなるんですよね。大学まで行って新卒で入った会社を辞め、今はアルバイトで生きている。別にそれでも良いと思う自分もいれば、「どうして私は普通の社会人になることができなかったんだろう」といった後悔なのか絶望なのか、そんな気持ちにさせられますね。人と比べるな、と言うのは簡単ですが、これだけ可視化された世界で比べないのは不可能だろうと私は思いますね。

 これ以外にも、過度な妄想をすることが多く、嫌なことがあると妄想の世界に逃げてしまいます。妄想の世界の私はしっかり自立していて、世界的にも有名って設定でやらせてもらっています。これはその場限りの快楽で(まるで麻薬のよう)、現実に引き戻されると恐ろしいくらいに自分が惨めに思えてきます。描いていた未来の自分像とは程遠く、何もできない無力さに苦しめられます。ひどいときには自殺衝動が発生し、夜な夜な街を徘徊することもありました。その度に家族に連れ戻されるのがオチで、もはや滑稽だとしか言いようがありません。 

 こんな感じで、色々な方面からブロックが引き抜かれた私は、今から三週間ほど前に病み、そこからバイトにすら行けなくなりました。これはヤバイなと思った私は、観念して心療内科に行くことにしました。そこで過去の経緯を相談をした結果、先生からは『適応障害』と診断されました。自分で調べた言葉をまとめて簡単に説明すると、適応障害は過度なストレスによって体調を崩し、そのせいで行くべきところに行けなくなるようです。まさに今の私ですね。軽い鬱症状が出ることもあり、うつ病にも似ていますね。なるほどな、と思ってしまいましたね。つまり過去の自分、現在の自分、未来の自分と葛藤し、その度に自分にストレスを与え続けた結果、私は壊れてしまったみたいです。

 とりあえず今回はここまでにして、次回は本題に入ります。

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