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幸せのカテゴリー(短編小説『ミスチルが聴こえる』)



 朝起きると、凛が朝ごはんを作っている。まだ十二歳なのに、凛は料理が上手だ。僕は顔を洗って目を覚まし、凛の横に立って「今日は何を作ってるの?」と聞く。「目玉焼き」凛はフライパンに目をやりながら答える。「何か準備する?」僕が聞いても、「大丈夫」と言うだけ。凛は、あまり愛想がない。だから反応も薄い。僕は自分用の冷たいコーヒーを淹れて、それを立ったまま飲み干す。胃がキンと固まった気がして、ヒリヒリする。凛は目玉焼きを皿に乗せて、横にソーセージを二本添える。それをテーブルに置いて、自分用の牛乳を注いで、やはり立ったまま一気飲みする。空になったグラスをシンクに置いて、自分用の白米を炊飯器から茶碗によそってテーブルに置く。僕もしゃもじをもらってご飯をよそる。そして、二人して向き合って座り、「いただきます」と言ってご飯を食べる。食事中は特別会話をしない。ただただ、咀嚼音と時計の針が動く音だけが部屋に響く。ご飯を食べ終わると、凛は小学校へ行く準備をして、僕は会社へ行く準備をする。先に凛ちゃんが家を出ていく。僕は玄関まで行って「行ってらっしゃい」と言うと、「行ってきます」と小さく言って凛は出ていく。僕は一人になって、少し寂しい気持ちになる。
 これが、幸せだろうか。
 本当は、凛にも母がいればよかったのだろうと思うことはある。ただ、三年前に病死した妻のことを忘れられずにいる。夜に酒を飲みながら夜空を見ると、いつも妻の顔が浮かんで涙が出てくる。だから、他の女性と再婚なんて絶対にできないし、したくもない。
 だけど、それは僕のわがままかもしれない。凛にとっては、たとえ新しい母だとしても、母性が欲しいと願っているかもしれない。今、僕にとって一番大事な存在は凛だ。だから、凛の幸せを最優先に考えるべきだ。
 話してみよう。そして、もし欲しいと言うなら、僕は全力で凛の新しいお母さんを探そう。


 夜。仕事から帰ってくると、凛が「おかえり」と言って、僕の手を引っ張った。「どうしたの?」僕が聞いても、凛は何も言わず、ただ僕をリビングに誘導する。
「え?」
 すると、そこに三つのショートケーキが置かれていた。その横に、『お誕生日おめでとう』と書かれた画用紙が置いてあった。
「お誕生日……」
 五月二十三日。僕は、思い出した。
「まさか、江梨子の」
「お母さん、ケーキ好きだったから」
 凛はほっぺを指先でさすって、寂しく、だけど温かい気持ちを表に出していた。
「たとえ死んじゃっても、私たち三人は家族だから」
 僕は相当ひどい勘違いをしていたらしい。僕にとって大切な存在は、凛にとっても大切だった。なのに僕は、自分のことばかり考えて凛が抱く本当の気持ちを無視していた。
「そうだよな。僕たちは三人だから家族なんだよな」
「うん」
 たとえ姿が見えなくても、江梨子は僕らを見守っている。それでいいじゃないか。
「食べようか」
「うん」
 幸せは人ぞれぞれの形がある。僕と凛の場合は、これが幸せだと思いたい。

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