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もと鳥取市歴史博物館学芸員・やまびこ博士こと佐々木孝文による城跡や近代文化史に関する論考等を、不定期に掲載していきます。
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#鳥取

資料紹介「飯田年平上記絶版建議」

 結構誤解されているのだが、明治以降の国家神道は、幕末の尊王攘夷運動のバックボーンとして強く支持された平田派国学を継承したものではない。乱暴に言えば津和野・鳥取系の、西洋技術の導入すら是とする現実路線の国学者たちが、長州閥の政治権力と協力して基礎を構築したもので、宗教の外側に国家神道の儀礼システムを置こうとするものである。それによって、神道を宗教でなくすことによって、国家儀礼としての神道行事に、宗

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鳥取市本町四丁目稲荷大明神社資料について

(鳥取地域史研究 (4), 2002)

 本町四丁目の稲荷大明神社は、旧城下町各所に見られる稲荷の小祠の一つである。鳥取城下町にも江戸時代に多数の稲荷が勧請され、現在もその多くが残存しているが、鳥取大火・鳥取大震災という二度の近代の災害などのため資料の多くは失われている。本町の稲荷は当初からの棟札等が残存している僅少な例である。
 これは、鳥取大火に際して小谷嘉資氏が危険を顧みず搬出したことと、

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城下町都市の近代化と近代和風建築

城下町都市の近代化と近代和風建築

(『鳥取県の近代和風建築』所載。2006)

1,はじめに

 鳥取市の中心市街地は、いわゆる「城山」である久松山を背景に、袋川と、それと直交する三つの街道を基本骨格とする、江戸時代の城下町をもとに形成されている(1)。

 現在の市街地は、当時と比較すると、JR鳥取駅や国道沿いに同心円状に拡大しているが、中心部分の町割や街路はむしろよく原形をとどめているといってよい(2)。

 しかし、そのよう

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いま、そこにある城下町(未定稿)

いま、そこにある城下町(未定稿)

 観光ガイドやパンフレットなどを見ていると、「城下町鳥取」、といったようなフレーズが目に飛び込んでくることがある。鳥取砂丘、温泉と並んで、「城下町」というのが鳥取のセールスポイントである、ということなのだろう。

 しかし、このフレーズには、実際に市街地にすんでいる方、特に若い世代の方などは、多少の違和感を覚えるのではないだろうか。鳥取城跡に石垣はあっても、建造物が残っているわけではない(明治10

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鳥取の権現祭 ―池田仲博の十二葉から―

(『鳥取文芸』33号、2011掲載)

             佐々木 孝文

 鳥取の権現祭については、すでに中村忠文氏をはじめ、多くの先学による著述がある。鳥取東照宮の成立の経緯や権現祭の歴史、祭礼行列を特徴付ける麒麟獅子舞などについてはより詳しくそちらで触れられおり、詳細はそちらをご覧いただくに如かないので、本稿では、本筋から少し離れて、近代の権現祭、特に祭礼行列をめぐるエピソードを紹介す

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