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社会人5年目OLが国内MBAに行く話(前編)~活躍した新卒時代からキャリア不安を抱えるまで~

1年前は自分がビジネススクールに入学することになるとは全く思っていませんでした。つくづく人生は何があるか分からないですね。

ついに来週は入学式。これまでの道のりを振り返ってみます。


私は24年4月 立教大学大学院に入学します。
このノートは、入試~大学院生活~卒業後のキャリアまで書き続け、国内MBAのリアルを届けることが目的です。


はじめに…私の性格・向き不向き

たぶん典型的なESTJ
・働くことが好き、経済的にも社会的にも自立していたい
・計画を立ててその通りに実行するのことが好き
・マルチタスクをざくざく処理することでストレスを発散できる
・物事は即決
・目的志向
・感情に寄り添う < 正論話しちゃう(ここ本当に注意…!)


そもそもなぜMBAを意識し始めたのか

ずばり、自分のスキル不足に不安になったからです。
なぜ自分の実力不足を痛感することになったのか、これまでのキャリアを説明します。

新卒でパーソルキャリアに入社~華々しい新卒時代から2年で退社~

仕事が好きな両親のもとで育ち、昔からバリバリ働くことに憧れがあり、自分もそうなってみたいと強く思っていた。
”はたらいて、笑おう。”を掲げるパーソルキャリアにその想いが届いたようで内定をもらえた。
入社後もエンジン全開で仕事に情熱を注いだ。

私はキャリアアドバイザーに配属された。
キャリアアドバイザーは、転職したい顧客(個人)の転職支援をする仕事。
顧客の人生に与える影響が大きくやりがいがある一方で、人を相手にするため顧客の感情に振り回されやすい。
さらに「転職」という重要な決断だからこそ、顧客の周りにいる人の気持ちも考慮しなくてはいけない。
予期せぬ事態が起こりやすく、一般的には安定的に成績を上げることが難しいと言われる(例:転職を家族・友人・恋人に反対された/現職の上司に引き留めに合うなど)。 

私はそんななかでどうすれば好成績を残せるか考えた結果、自分の性格を活かして3つのアプローチをした。 

①数字を分析
自分の打率(カウンセリング→応募→面接→内定→内定承諾)を分析。
そしてその打率が下振れた場合でも営業目標をクリアできる水準でKPIを決める。
また、どの打率が低いのか・その要因は何かを徹底的に分析した。

②高速でPDCAを回す
打率を下げる要因の仮説を立てたら、先輩方に相談しまくって打開策を見つける。どんどん苦手をつぶしていく。

③時間が空いたらやることリストを持っておく
カウンセリングが突然キャンセルなるなどは日常茶飯事。
突如空いた時間を有効活用すべく、todoリストを持っておく。

その甲斐あってか、私は全国で表彰さたり、支社トップ成績を残したりと好調だった。周りからの賞賛の声もさらに私のモチベーションを上げた。

しかし、次第に私は"はたらいて笑う"には、転職以外の方法も無いものかと思い始めた。
職場を変えるのではなく、職場に変わってもらうことはできないのか。
当時はまだ働き方改革などもあまり言われておらず、「仕事は好きだけど残業が多い」・「健康を害してしまう」・「家族との時間がとれない」などの相談も多かった。
もっと日本の企業が健康的に働けるようになったらと思っていた。

転職活動

そんなときに、今の会社の新規事業である福利厚生事業に惹かれた。ヘルスケアから働き方改革を推進するものだ(「従業員が健康になることで働き方改革をしませんか?」と企業の総務や人事に提案する)。
「楽しく働くことを、転職以外の方法でアプローチできるかも!」と感じて転職を決意。

現職①~今までの自信が崩れ、できない自分と向き合い続ける~

ここで完全に予想外のことが起こる。
会社の戦略が変わったことで元々予定していた事業には携われないことになってしまった。
入社早々、ベンチャー企業の洗礼を受けることになった。

代わりに全く別の事業にアサインされた。
働くことに関わるものではなく、今まで社内で誰もやったことのない、0→1でつくる新規事業。
メンバーは社長・事業部長・私の3名。もちろん実務は全て私。

事業内容もさることながら、事業創造の経験が全くない私はそもそも0→1で事業をつくるために何をどう進めていいのかさっぱり分からない。

本来は必要なタスクを洗い出し、スケジュールを引き、担当を振り分けるのは私の仕事だが、私の業務の精度が低く、事業部長に巻き取ってもらうことになってしまった。

さらにまずいのはここからで、私に振られた仕事は、
「ブランド名の案出して」
「PLつくって」
「集客施策考えて」
「SNSの運用して」
などだった。

そのときの私が思ったことは、

「ダメだ、とにかくわからない。」
「何から始めていいのかも分からない。」
「私の実力では、できない。」

社会人になって初めて、できないと感じた。

見よう見まねでやってみるが、まともな素案をもっていけなくて上司に詰められまくる。
役に立てなくてオフィスでは空気と化す。
会社のトイレやエレベーターなど、ふと一人になった時に涙がこぼれてくることもあった。
虚しかった、心が折れそうだった。
パーソルで表彰されたことは完全に過去の栄光になってしまった。
悔しい・悲しい・転職しなければよかったなど色んなネガティブな気持ちが湧いていた。

私はとある本で、「本当に辛いのは人から何か言われた時ではない。自分で自分の能力を疑うときである。人からの言葉はあくまで能力を疑うきっかけに過ぎない。」と読んだことがある。
まさにこの時その言葉を思い出していた。自分は本当は何もできない人間なのではと思ってしまっていた。

そんなとき、協業先の企業の状況が変わり、サービスローンチの時期が大幅に早まることとなった。
そうなると上司・部下などと言ってられず、3人でとにかく手分けして進めていくしかなかった。
私は戦略立案など上流の業務はできなかったが、大量の調整業務・細かなタスクをこなすことでは力を発揮した。
私が社内外の大人数とやりとりをし、抜け漏れなく、徹底的に業務を管理することで、上司2人には上流業務に専念してもらった。

そんな私を見て、社内でも少しずつ信頼されるようになった。
そしてサービスもなんとかスケジュール通りにローンチした。


現職②~自分の今後のキャリアを考える~

完全に順序が逆だが、事業立ち上げ後にセミナーや書籍などで事業創造について勉強した。
その結果、少しは成長しマーケティングや戦略など上段の素案も一応つくれるようにはなった。
上司とも議論ができるようになり、私の案が採用されることも多くなった。
その後しばらくして、プロジェクトメンバーの変更・増員などがあり、私はプロジェクトを統括する立場になった(責任者は役員、役員直下に私)。

気づけば転職から約1年半経っていて、無我夢中で事業をつくってきたが、改めて自分のキャリアを考えてみた。
客観的に見れば、私は人材紹介の営業⇒事業企画のキャリア。

しかし、事業企画ができますと言えるのか?それは引き続き自信がなかった。
何とかこのサービスにおける正解らしきものは模索してきたが、「一般的な中長期戦略の立て方は?」、「他の業界・会社だったらどうすべき?」、「他の上司だったら別の判断になっていたのか?」など聞かれても答えられない。応用が効かない状態である。

『何でもできるけど、何にもできない。』

私のなかでずっとこの感覚がある。
所詮私は独学で何とか身に着けた少しのスキルで戦っているだけ。
損益管理・マーケティング・サービス開発・新規集客・リピート率向上・採用&育成…全て浅くは知っているけど、その専門領域の人と戦えるスキルではない。

いっそのこと、プロマネを目指そうかな?とも思った。プロジェクト全体の指揮をとり、各タスクは詳しい人に任せる。まさに今自分がやっている仕事に近い。プロマネで生きていくならpmbokをとりたいけど、本当に自分がプロマネを生涯のスキルにしたいのか?はわからなかった。

私はwill・can・mustだとcanがトリガーになるタイプ。できる・得意であると楽しくなって、もっと極めたくなる。
しかし今は自分の強みが明確に答えられない。どんな道で生きていったら良いのかわからない。そんな時期が続き、今後のキャリアに不安を覚えた。

『経営をちゃんと学ばなくては』
『自分のスキルを上げたい』
『今の状況を変えたい…!』

そんな思いから、MBAという選択肢ができ始めた。



後編に続きます。

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