見出し画像

教師の弱点/指導の果てに/叱ることと繊細さ

Twitter連投をご紹介

@atsushi_h


学校の先生の弱点は、子や親から本当の気持ちや意見が聞きづらいこと。

これをわかっていないと、
例えば子どもがいうことを聞き、したがってくれていると、
あたかもうまくいっている、と勘違いしてしまう。

自分のやり方が、実は、子を痛めているかもしれない。それを自覚できるか否か。


で、ここが無自覚なので、
指示命令強制、管理統制の手法が、
どれほどまずいのか、に気づけない。

子どもたちは、痛み苦しみ、傷ついているかもしれない。


ただ、学校には行く。授業は受ける。

日本の多くの場所では、学校に通うのは普通のこと、どんな不具合があっても学校には通う、または親が通わせる、という、わりと似たような感覚が強い。

ボイコットやデモをしないのは、多くの日本の大人のあり方をみてもよくわかるだろう。


つまり、学校の先生は、
自分の指導技術や指導の成否に如何に関わらず、
子どもたちは通ってくれるのである。

だから、自分の指導によって、
ものすごーく悩みや違和感、不具合を抱えた子の、その存在に、気づくことすらできない。

先生という職は、非常にやっかいな職だと思う。


実際のところ、県内数千人の小中学生の勉強を見てきて、
そうした子たちをリアルで見てきた。そしてそれを、違う手法で支えてきた。

近年は特に、違和感や課題、メンタルの問題を抱えた子が大きく増えた。自覚症状がない子も含め、ほとんど全員に近いと言ってもいい。


先生は、自分の評価を正しく知ることができない。不幸な仕事だと言っていい。

だから、この仕事には、何よりも、「繊細さ」が必要だ。

このことは、長く、記事でも書いてきている通り。


たくさんの先生を面接し、雇用し、トレーニングしてきた。

その中でも、今、どうにもならないのは、
横柄な人、上から目線の人、熱血やパワーで押し切る人、思い込みが強く柔軟さに欠ける人、だ。

繊細さに欠けるの特徴なのだ。


民間の場では、学校とは違い、
子もゆるく反発もするしクレーム
も出る。
さらに、親御さんには容赦はない。

先生同士では実力にOKを出していても、子や親には認められないという先生も出てくる。

もちろん最後に、子や親は去っていく。


去っていく、というところがポイントだ。

学校の先生にはここがない。

多くの子たちは、先生の指導があまりにも自分たちにとって違和感があっても、それこそ傷ついても、
簡単には、学校に行かないという選択ができない。

だから、ちゃんと席に着いて授業を受けてくれるのだ。


しかし、
それゆえに、ここが弱点となるということだ。

細心の注意を払えるだけの繊細さがなくては、つとまらない。

自分の指導は、果たして、適切であろうか。教育として、学習指導として、または人間形成として。

そういう問いを失ってはならない。


特に今、最も気をつけなければならないのは、現代の子どもたちの特性だ。

未来を生きる彼ら彼女らには、従来のような子ども像は当てはまらない。

特性は大きく異なり、価値観は未来のそれなのだ。

だから、かつての指導スキルのほとんどは、ほぼ無効化したと言っていい。


現代の子どもたちの特性が変わり過ぎて、過去優れていたスキルも形骸化。

叱るも怒るも諭すも、もはや過去のもの。

それはすでに気を使って部下に声をかける上司が、それでもなお、パワハラ扱いされる現象として、すでにあらわに。

ここで述べる子たちはさらに下の世代なのだ。


叱るも諭すも、つまり、そのような大人の上からの見方、
いわゆる指導、上からものを言う姿勢、は、
現代の子たちが最も苦手なもの。

どんなに冷静でもスキルがあっても、それは過去のスキルでしかない。


ではなぜ、まだこれが子どもたちに通ずると勘違いする大人が多くいるのか?

それが、学校では本当の声が聞けないから。

本当にそれを受け入れ、学べたのか。

それとも、

本当は、嫌で仕方ないが、
学校だから、先生だからと言う理由で、子どもたちが従っているだけなのか。


ここに、学校の中の先生が気付けない。

特に、子どもたちの新たな特性、ここをじっと見つめ、理解していなければ、
安易に、
叱らねばならぬ、叱り方云々、というような、子の特性を無視したことを叫び続けてしまう。

新たな特性を知り、深く理解すれば、教育現場でできることはまだ、残されている。


これが指導だと言わんばかりに、上からものを言う人たちが気づかないのは、

子どもたちが、
学校に通う義務感によって、やめたり、去ったりしないから。

もちろん、不登校は増え続けているけれど。

繊細な仕事、細心にすべき仕事。

そして、客観評価が得にくい、難しい仕事。


もちろん僕自身は昭和世代。叱るも怒るも諭すも、スキルとしても実体験としても知っている。

数千人の子を集めた授業スキルと指導スキルの中に、かつてはしっかり埋め込まれていた。
それが意図的に怒りを伝えるものから、冷静に指導するものまで、一通り、実践してきている。


激しい民間の競争の中、一人勝ちするようなことは稀で、その体験に恵まれるほどに、親子そろって、強く支持をもらっていたことは事実。

その上で時代は変わり、
子どもたちの特性が変わり、
叱るも怒るも諭すも手放した。


かつての集団講義型授業と、そこにある指導スキル。

かつてのそれらはそれなりにわかっている。

その上で、子どもたちは今、新たな特性のもとで、新しい未来を作り出そうとしている。

古い大人の価値観では理解できない、と投げ出すことなく、

ちゃんと理解して、未来を支えていきたい。

( Twitter連投より おわり)



 


記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。