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イタリア人は時間泥棒?それとも、、、

こんにちは、日伊通訳マッシ(@massi3112


イタリア人が時間にルーズだということは皆さんご存知だろう。実際にはまさしくその通りで、約束の時間に平気で30分遅れるというのは日常茶飯事だ。もちろん人によるが。
ただここで皆さんに知っておいて欲しいのは、イタリア人のルーズさにはあるルールがあるということ。日本人とイタリア人がなかなか相入れない「時間感覚」について今日は書く。

結論から書くとイタリア社会では約束の時間+15分から30分、というのが暗黙の了解。地域差によるけど、南に行けば行くほどこのプラスの時間は増えていく。口では「9時に集合ね」と言っていたとしてもあくまでそれは建前で、9時と言われれば9時15分〜30分、遅い時で9時45分になる場合もある。たとえば1時間相手が遅れてきたとしても、もちろん気にしないのがイタリア人。大事なのは会うことだから、結果的に会えて楽しい時間が過ごせれば問題ない。さらにこのルーズさはイタリア全土で共有されていて9時きっかりに家のチャイムを鳴らそうものならきっと「早かったね、、」と怪訝な顔をされるに違いない。というかまずチャイムに出ない可能性が高い。

日本人にとっては約束の時間が決まっているのだからその通りにくればいいのに、と思われがちだがそうではない。約束の時間は必ず過ぎなければいけないのだ。逆に、約束の時間の15分〜30分後が実際に会う時間だと計算すれば問題ない。
なぜそんな面倒なことを?と聞かれたら少し困る。うまく言葉で説明できないからイタリア人の血がそうさせるとしか言いようがない。たとえば日本人として畳に靴を履いたまま上がれないのはなぜ?と聞かれたら説明できるだろうか?もちろんマナー違反だからだと思うけど、しようと思えば不可能ではないのになぜかとても罰当たりな気がする。(僕はイタリア人だけど気持ちがわかる。以前日本在住まもない伊人の友達は自宅の畳を土足で上がっているのを見て心が痛くなった。)

かと言って不思議なのは、本当に重要な約束の時間は守ること。仕事でイタリアにいた時にイタリア企業の社長は日本企業とのテレビ電話会議の予定時間をしっかり守っていたし、日本で伊人のお客様はイタリア行きの飛行機に乗るための集合時間には間に合っていた。僕が思うにただの遅刻(伊人にとっては普通)と本当の遅刻の区別がはっきりしているのだと感じる。していい遅刻としてはいけない遅刻をうまく使い分けて生活している。なぜこのような文化が広がったのかというと、イタリアではまず車がないと生活できないくらい交通の環境が整っていない。道は混むしバスは時刻表なんて関係ないし電車も大体が遅れてくる。そもそも約束の時間に間に合うように家を出たところで間に合わないのはわかっているから大体この時間に会おうという目安の時間としての考え方なのではと思う。あとはイタリア人の適当な性格が加わって「イタリア人は時間にルーズ」というイメージが付いたのではないだろうか。

もちろん僕はこの日本ではそのようなことはしない。日本人は時間を守ることは人として当たり前、守らなければ信用を失うことを保育園や幼稚園の頃から学んで知っている。当たり前のこととして誰もが時間に正確に動いていることはすごいことだと、日本に来たばかりの頃は思っていた。今では電車が時間通りに来なくて遅延するとがっかりするし、友達と会う30分前には集合場所について待つ時間をワクワク過ごしている。時間を有効に使えて素敵な文化だと思う反面、イタリアでの時間のルーズさとなにもかも非効率的なのになぜかいつも楽しいイタリア人としての生活が懐かしく感じる。

Massi

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