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暗くなる寒い夜に

1月1日に起こった令和6年能登半島地震から、7日経った。落ち着いた日は1日すらなかった。揺れていない時も、なんとなく揺れているような感覚が消えない。

もし大地震がまた起こったらすぐ逃げられるようにいろんなことを考えてしまう。考えれば考えるほど、休める場所がない。楽になる環境が見つからない。命を失った人のことを思うと、複雑な気持ちになる。悲しみが溢れる中で、自分は生き残って申し訳ない気持ちもある。たった一瞬で、人生のバランスが崩れる。

困っている人のために具体的な行動をすればするほど、悲しみが膨らむ。食べる時も申し訳ない気持ちになる。温かいシャワーを浴びる時も、申し訳ない。目から涙が流れないけど心で泣いている。その涙は、1番痛く刺される。

大地震の当時は長い夜だった。非常に暗かった。ありがたいことに、アパートの電気は通っていた。けど、そのありがたさに何も思わなかった。電気を付けても暗い。

リュックに重要なものをまとめて、揺れるたびに、玄関に飛んで。玄関はこんなに広いのかとそこで初めて、気がついた。玄関の暖かさがあった。傘と靴だけの場所だと勘違いしていた。外と中の薄い線だ。その線は、生きていると無くなり、命の危機を感じると現れる。安心と不安。はっきり分かれる。でも、今回は暗さが消えない。

1日の夜は、外でも中でも暗い。白い照明の玄関は、暗さに負けていた。

コタツと玄関の旅を数えると長旅のよう。玄関の白い壁、鉄で作られたポストの部分、緑っぽい床に、自分も並んでいる。コタツに戻る時に、リュックを床に置かずにずっと持ち歩いていた。

静かな夜。一人ぼっちの夜。部屋の照明より、空気の暗さの方が目立っていた。

暖房の音も耐えられないほど、静けさに耳が痛かった。消してジャケットを着たまま、ベットに座った。座った状態でも無意識に、リュックの持ち手を全力でギュッとしていた。この行動には生き残るための本能の意味も含まれているにこと気がついた。

暗い夜に少し慣れたと思ったころ、強めの揺れがあった。電気を付けたまま、玄関に歩き出した。靴を探さなくてもすぐ履けた。暗い玄関の中で靴が僕を待っていたようだ。数秒でドアを閉めて道へ。ここで新しい暗さがあった。

暗くなった寒い夜と出会った。しばらく、家に戻る勇気がなかった。近所のスーパーに行こうと決めた。地震直後は店内が荒れてしまい片付けのためトイレのみの使用可だったから、向かう前に電話して確認して、営業再開していて安心した。

スーパーの入り口にたどり着いたところで、イタリアでニュースを見ていた母親から電話があった。
そっか、逃げて色んなことがあって母親に連絡しなかった。
母親の震える声を聞いた瞬間、「すぐ電話しなくてごめんね」としか言えなかった。寒い夜の中で母親との会話して、嬉しいと同時に悲しい。悲しいと同時に嬉しい。心配させてしまって、2019年の春から会ってない母親に「ごめんなさい」としか言えなかった。新たな揺れのような気持ちになった。

電話を切ってスーパーに入った。買いだめするたくさんの人がいた。一瞬店内を見て何も買わず、家に帰ることにした。帰りながら、朝までどう過ごそうかと、空を見ながら呟いていた。アパートで過ごすのが不安だけど、玄関だけは安心だ。
避難場に行こうと思った時もあった。でもそこまで困っていないから、困っている人に迷惑をかけないでおこうと思い止まった。ここから長い夜が始まった。

この2024年は、暗くなる寒い夜は僕にとって心の傷だ。

Massi


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