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バイト遍歴~区民プール(前編)~

浪人時代の2月中旬。大学への合格がなんとか決まった。「嬉しい」というよりも「ホッとした」というのが正直なところだ。詳しくは以下の記事で。

まるで刑期が終わったような感覚だった。私は「大学受験失敗」という罪で服役していたのだ。とりあえず娑婆を思い切り楽しむためと、鈍った体を整えるためにアルバイトを再開しようと思った。半年前までいたやよい軒に戻っても良かったが、違うアルバイトもしてみたいと思った。

色々と考えていると、家から自転車で5分の区民プールがアルバイトを募集していることを思い出した。この区民プールにはトレーニングジムが付いていて、そこは浪人時代にもたまに利用していた。

ある時トレーニングをしていると、お昼時でトレーニングルームには私とスタッフのIさんの2人だけになった。Iさんは「トレーニングが好きなら、ここでアルバイトをしない?」と誘ってくれた。その時すでにやよい軒でのアルバイトを始めていたので、私は断らざるを得なかった。その話を思い出したのだ。

私はすぐに区民プールへ電話をした。そして「以前、利用していた時にIさんにアルバイトに誘ってもらったのですが」と言うと、電話をとった女性スタッフは「Iというスタッフはウチにはいませんが・・・」という返答をした。私はすごく怖くなった。まさか幽霊と話していたのかと。だが、面接は当日に決まった。「後ほど、19時に区民プールへ来てください」と言われた。(※後で分かったことだがIさんは私と話した後に転勤になっていたそう。幽霊ではなかった。)

19時に行くと、巨大なヒグマのような男性が鎮座していた。そう、これがここのボス、N所長だ。180㎝くらいの身体は姿勢が良すぎて、逆に反り返っているようにいつも見える。ヒグマによる面接が始まった。特に珍しい質問もなく、普通のバイト面接だった。ヒグマ所長は「なんか、落ち着いてるな」と私に言った。褒め言葉なのかどうか分からなかったが、「ありがとうございます」と言った。

私は受験が終わった今、早く働きたかったので「早く働きたい」ということをアピールした。するとヒグマは「じゃあ明日から来れる?」と言った。あまりにも早いと少し思ったが、嬉しさの方が大きく、次の日から働くことになった。


そして私の区民プールアルバイトが始まった。区民プールには大きく三つの仕事がある。受付・プール監視・トレーニング室の三つだ。受付は基本的に女性スタッフの仕事なので、男はプール監視かトレーニング室の仕事になる。トレーニング室での話は後編にまわして、前編ではプール監視の話をしよう。

プール監視の仕事はその名の通り、屋内プールの監視をすることだ。25メートルプールの手前と奥に一つずつ、高さのある椅子が置かれており、2名体制でプールの監視を行う。海のライフセーバーは資格を持っているが、この監視員は資格が無くてもできる。

ただ、我々監視員が救助や救命のために飛び込みをするような場面はほとんどない。首から掛けているホイッスルを吹いたことも一度もない。主な仕事はコースごとに決められたルーム(歩くためのレーン、途中で立ち止まってはいけないレーンなど)を周知徹底すること、禁止事項(装飾品の着用や携帯電話の持ち込み)をお伝えするくらいである。

監視員の仕事は時間ごとの交代制だ。1セット30分~90分で構成されている。監視が1セット終わると、次のセットまで15分の休憩が入る。この休憩は何かのルールで義務付けられているらしい。(※監視員の集中力を保つため)休憩ではあるが。何をしていいわけでもなく、事務所に戻って、洗濯や掃除を行う。監視中は特に何も無ければずっと座りっぱなしだ。ただし、椅子に座らずに立って監視をしても良い。

基本的には皆座って監視を行い、たまに立つくらいだ。ただ、1時間に1回だけプールの塩素濃度を測る作業がある。2名いる監視員のどちらかが、席を外して、専用のプラスチックケースにプールの水を採取する。そして事務所へ行って、そのケースに薬品を入れる。すると塩素濃度によって水の色が変わる。サンプルと見比べてその色が塩素の適正量の色のから外れている時は職員にその旨を伝えて、塩素濃度を調整してもらう。

傍から見ると、「プール監視員は座っているだけで楽そう」と思われるかもしれないが、それはまったく違う。かなり体力を削られる肉体労働だ。まず、室内の温水プールであるので、室温と湿度がかなり高い。通年室温は40℃近くある。監視を数分していると汗がダラダラと出てくる。水中にいると、その暑さには気が付かないが、監視員はかなり暑い。

また、最短30分、長くて90分そこに座りっぱなしになる。長時間じっとしているのは、長時間動き回るのと同じくらい辛い。さらに、監視という人の命に関わる緊張感のある仕事を任されているので、精神的にも疲れる。90分1セットの監視の時は、頭がボーッとしてくることもあった。それは決して居眠り的な眠気ではなくて、暑さや緊張感によって気が飛びそうになっている感じだ。体力の無い人はプール監視員にはならない方がいい。

唯一の救いはプール内ではFM802のラジオが流れていたことだ。気が飛びそうになった時は、802に合わせて小さく鼻歌を歌った。アルバイトを始めた当時はLapsleyの『Hurt Me』BUMP OF CHICKENの『Butterfly』がよく流れていた。特に、『Butterfly』のイントロを聞くと、予備校生活が終わって、新生活の幕開けが来るような晴れやかなあの頃の気持ちを思い出す。


基本的には、利用者の8割は高齢者なので、ケンカやトラブルが起こることもほとんどん無い。極めて、治安のいいアルバイト先であった。1日の客層の動きは以下だ。

まず、9時に開館すると、プールでの運動を日課としている高齢者の方達が一斉に入場してくる。暇だから来る人、運動のために来る人、友達と話すために来る人様々だ。また、気さくに話しかけてくれる人、挨拶だけはしてくれる人、クールな人、始めと終わりにプールに一礼をする人など、様々いた。

10時になると30分間の水中エアロビクスの企画が始まる。職員が音に合わせてする動きを、高齢者の人たちが真似る。朝に来る来る人たちの7割はこれに参加する。エアロビが終わるとすぐに帰る人も多い。だが、参加する人たちは誰もがパワフルな動きを見せる。とても高齢者とは思えない動きだ。そんな姿をボーッと見ていると、私は「ああ、この人たちが高度成長期を支えてきたんだな。この元気が日本を復興に導いてきたんだな」という感慨深い気持ちになった。それと同時に脳内で「コンニチワ〜コンニチワ〜」というBGMが再生される。この中の何人が「月の石」を見たのだろうか。

エアロビクスが終わると、人は一気に減る。お昼時になると利用者が2〜3人しかいないことも珍しくない。あとは夕方まで主婦さんなどがチラホラと来るだけだ。

夕方の15時〜18時は基本的に子供の水泳教室の時間だ。幼児から始まって、小学生の低学年→高学年と続く。特に小学生の時間は数十人の生徒が集まってプールの5レーンある内の3レーンを使用するので、人が入り乱れている。適当な泳ぎをしていると、ヒグマ所長の厳しくも愛のある指導が生徒に入る。

プールの上階にはロビーがあって、そこから生徒の保護者が熱心に我が子の泳ぎをいや、頑張りを見つめている。習い事をさせて、立派に育って欲しいという熱心な保護者の視線を感じながら、私は監視をしていた。でも、確かにプールは習っていて損はないと思う。全身運動であるし、何より泳げた方がかっこいい。少なくともバイオリン等を習うよりは実用性が高い。

夜になると、仕事を終えたサラリーマンなどがやってくる。外が暗くなると、プール内の照明の都合でオレンジ色の幻想的な雰囲気になる。トライアスロンのアマチュア選手が数人で来て練習する日があったが、水をかく力がすごくて、圧巻だった。


このプールのアルバイトをしていてよかったのは様々な年齢の人と話す機会があったことだ。高齢者の人には戦争の話や昭和の話を聞いた。中年や若い人とはラーメン店の話など色々な話をした。小学生とはわけのわからない話をした。ここまで1日を通して、老若男女が自然的に関わりを持つ場所は実はほとんどない。年齢層が固定されているか、老若男女が集まっても匿名性の高いコミュニティしかない。

そう、区民プールにはそんなコミュニティを創出するという偉大な働きがあるのである。後編に続く。


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