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マスパセさんへ―返答の返答の返答(3度目)

こんにちは。マスク拒否して飛行機を降ろされたマスパセです。(@mask_passenger)

『財界さっぽろ』でご連載中の”コロナにかかったニート”先生から、、再々度ご下問を頂きましたので、ご返答いたします。

これまでのNoteは、その1(「後遺症がすごく辛い人へ」)、その2(「マスクしてほしい人の権利??答えはノーです」)にあります。(元記事は、その1その2

それに対して頂いた御感想は、こちらです。(「マスパセさんへ」)

私の返答は、こちらです。(「『マスパセさんへ』に対する返答」、続編

長くなってきましたね…。個人のNoteで議論するよりも、フォーマルに何らかのウェブ雑誌媒体で、双方の見解を両論併記で載せる方がいいかと思います。

マスクしない人の自由」vs 「マスクしてほしい人の権利
という感じで論説特集はどうでしょうか?
ご興味を持ってくださる編集者さん、ご連絡ください。

再度の問いかけとのことで、かなり長くなりました...。問い答えをそれぞれ掲載します。


問1:
承る=引き受けるという意味だと思っていたのですが、純粋な「聞く」「耳に入れる」という意味だけで使っていらっしゃったのですか?

答1:
お客様相談室に電話して「ご意見承りました」と言われた場合、その会社はお客様の意見を採用するということでしょうか。
(往々にしてお客様のご意見は社内で否決されますね…)

再問1:
そのベクトルでいうなら、ウェイターが「ご注文を承りました」で料理をもってこないことはないですよね。とにかくあの「承る」には、正しい意味はなかったのではないか。決め台詞を変えた方がいいです。

再答1:
客がパスタを注文して、ウェイターが「ご注文を承りました」と言って厨房に行ったが、「パスタの在庫を切らしていまして、うどんかラーメンならご用意できます」となることはあります。注文を聞きましたというだけで、その注文の品が出てくることは担保されません。

「承る」の意味は、「拝聴する、聞く」の意味があります。古語でも、元々こちらの意味が主流です。https://biz.trans-suite.jp/9352

問2:
後遺症について、辟易するなどというあなたの感想はこの議論に関係ありません。感じ方の問題ではなく「実際に重篤な後遺症は存在するし、コロナは危険」とお認めになったと思いますが、違いますか。

答2:
後遺症は存在する(ゼロではない)とは思いますが、1~100までのどの程度なのか、という「程度」を私は論点にしています。病気は、一人ひとりの感じ方の問題でもあります。軽度の頭痛がすごく辛い人もいれば、大病でも変わりなく働く人もいます。
そして、#感染したから伝えたい、の番組のような「コロナ感染者つらそう→皆で予防しよう」みたいな共感を誘う安易な啓発報道が、負の作用をもたらしていると考えています。

再問2:
私は程度ではなく「危険の有無」について聞きました。つまり「重度の後遺症もあるが、軽度の場合もあるのでコロナは危険ではない」と考えを変えられるのですか。はい・いいえでの明確な回答を期待します。
いいえの場合は、重度の後遺症が残りうることや、医療崩壊した現状も言及した上で、なぜ危険ではないのかご回答ください。
「辛そうだから予防してあげよう」でなく「自分も辛い目にあうし、医療崩壊などを招くから皆で自衛しよう」です。

再答2:
①②危険の有無についても、議論は上記と同じです。危険は存在する(=ゼロではない)とは思うが、1~100までのどの程度なのかの「程度」を私は論点にしています。

「はい・いいえ」の二分法の話でなく、はい100―いいえ1で数値化するなら、100の人も80の人も35の人も5の人もいるでしょう。

「危険」は一律の指標が存在するのでなく、人によって捉え方が違います。その考え方の違いを尊重し合える社会であってほしいと思います。コロナが危険だと思う人もいれば、経済の崩壊のほうが危険だと言っている人もいます。今の日本は「コロナ=危険」全振りです。多様性の時代において、本来、リスク観も生活観も人それぞれです。何か一つの価値観を強要するのは有意義でないです。


論点が2つ混在しています。
「自分も辛い目にあう」の部分は、その辛さの予見可能性に合わせて人ごとに対策をすればいいでしょう。
「医療崩壊などを招くからみんなで自衛しよう」の部分は、社会のためということになります。

個人的な予防策は個人が必要に応じて社会的な拡大防止策は(協力したいと思う範囲で)自発的にやればいいと思います。何らかの協力を強制することが、今の社会の大きな問題です。

問3:
感染拡大が、あなたのいう公助のシステムを崩壊させるのですが、感染拡大防止に努める気がないというのは大きく矛盾しませんか。

答3:
矛盾しません。
公助のシステムにおいて、崩壊しないように制度を設計するのは政治家の努めです。個人一人ひとりが協力するならすればいいし、協力しない人がいることも想定すべきでしょう。
自治体のごみ処理能力が追い付かない場合、例えばごみ収集日を減らすとか指定ごみ袋制にするとか、色々な制度設計がなされています。しかし、それを進めると逆に不法投棄が増えます。資源の最適化効率的な制度の構築は、為政者の腕の見せ所です。

システムが崩壊しないように皆で協力しようと呼びかける「小さな為政者」こそが、社会の隅々まで統治権力を行き渡させる息苦しさを演出します。

再問3:
どんな組織も末端の協力なしには、何も成し遂げられません。長らく責任ある立場を努めているマスパセさんならご存知ですよね。違いますか?

政治家は努めているそうですが、医療は崩壊しています。交通事故での救急搬送でも、受入先がないそうです。マスクをしない、帰国直後に出歩く、…非協力的な方がいるから感染が拡大します。ゴミの話を使うなら「自由にゴミを捨てたい、部屋がゴミだらけになるから嫌だ、だからゴミ収集日は守らない」がマスパセさんの行為です。マスクはできないですものね。でも最低限の配慮はすべきだと思いますが如何か。

大体この期に及んで自分たちの会食を言う政治家に、どれだけ期待しているか。期待できないと多くの人が気づいたからこそ、自衛に努めています。「政府がなんとかしてくれるから、制度崩壊を招くけど、何とか責任はとってくれるし保障してくれるから、自由にしよう」と言っていますよ、マスパセさんは。

再答4:
全員進んで協力する組織は、残念ながらあり得ません。例えば、何かプロジェクトを発案し、会議にかけても積極的に賛成してくれる人もいれば、消極的な人もいます。私が部下に仕事を頼んでも、自身の仕事で手一杯、残業したくないと断られることもあります。一つのプロジェクトを推進する際、会議でもともと消極的だった人に仕事を振っても、そんなに良いエフォートは返ってきません。まずは上司の私が自分でやれることを自力でやる、手伝ってもらえそうなことがあれば仕事を振る、というのが基本です。それが仕事を成功させる秘訣です。

コロナ対策でも、まずは自分自身で感染予防をする、他人に無理に協力を強いない社会のせいにしない、というのが基本です。自分がコロナ感染予防に強い情熱を持つなら、N95マスクをし、医療用ガウンを着用すればいいことだと思います。自分の身は自分で守るのが、まさに個人の自立性・主体性です。

ゴミ収集の例で言うと、収集日を削減すると、逆に不法投棄が増えます。罰則強化で不法投棄を取り締まろうとすると、警備コストがかかります。つまり、制度設計が非効率だと全体の利益も達成されません。

実務的な観点からすると、罰則導入は悪手です。一つひとつ取り締まりをすると、警察資源を膨大に消費します。コロナでも、安易に「罰則導入を」と言う人も多いですが、具体的な制度を作るには難点が多いと思います。

私は、マスクは健康上の理由でできません。その他の感染予防策については自分が必要と感じる範囲で行います。誰かに「配慮」を要求されるからではなく、自分が必要と感じればする、そうでなければしない、というだけです。世間にはさまざまな効果の怪しい対策が溢れています。皆の不安解消のために対策を無理強いすることは、社会全体の損失です。

政治家は会食したらいいと思います。国民の模範たる立派な姿を訓示するのが政治家の仕事でなく、国の礎となる制度をしっかりと設計してくれればいいと思います。夜にストレス解消して毎日しっかり仕事してもらいたいです。

個人は、危機の時代にあっても、天賦の権利と自由を享受すべきだと思います。そしてそれを保障するのが政府の役割です。

問4:
あなたがマスクをしないのは自然現象ではありませんし、感染拡大は人間の行動の変容によって防げると思いますが、いかがでしょうか。

答4:
私がマスクをせずに自然に呼吸をするのは、生来の権利です。

再問4:
感染拡大は人間の行動の変容によって防げると思いますか。はい、いいえの回答を期待。

再答4:
はい、ゼロではないでしょう。しかし、
第一に、防げる程度が曖昧。完全に防げる100から、わずかに防げる1まで、1-100のグラデーションです。
第二に、仮に防げるとしても、予防しないのが人間の性(さが)です。塩分の多いカップラーメンを止めれば、高血圧を予防できるでしょう。でも、毎晩、ついお湯を沸かしてしまうのが人間の性というものです。

問5:
感染拡大を自然現象ととらえ、ありのまま受け入れるというなら「人類は自然に淘汰されるべき時を迎えている」というようなことをお考えなのでしょうか。

答5:
「ありのまま受け入れる」と誰も言っているわけでなく、危機への対処が強調されるあまり、個人の権利や自由が制約されることに警鐘を鳴らしています。

最終的に人類が淘汰されるかは知りませんが、そういう危機意識の演出こそが問題です。

再問5:
マスクをせず、なんの自衛もせずに出歩くことは「ありのままウイルスを受け入れる」ことです。ありのまま受け入れることには反対ということで間違いないですか?
だとしたら、問題は「強制」「差別」というところにあると思いますが。それなら私と意見は近いと思います。

再答5:
私は、感染防止策を否定しているのでなく、一人ひとりが、必要と感じる範囲で、自発的にやればいいと思います。例えば、野菜を多く食べて免疫をつける等も立派な予防策でしょう。マスクをしていないから自衛していないと決めつけ、相手を否定したり、何かを強制したりするのでなく、個人の主体性を尊重することが大切だと思います。

問6:
「マスク未着用は刃物と同じか」の答えが本文中に見られなかったので、あらためて教えて頂けないでしょうか。

答6:
本文中に答えはあります。これはTBSの『グッとラック』さんでの発言です。

再問6:
すみません。あまりに不明瞭だったもので。…(以下略)

再答6:
きちんと本文を読んで頂ければ、該当箇所は読み取れると思います。本文で、私は「過大なレトリック」と評しています。

問7:
少数派だからではなく、とても危険だから歩み寄ってくれといっていましたが、そこはいかがでしょうか?危険でないとお考えですか?

答7:
論点が錯綜していると思います。マスクしてないのが危険なのか、ウイルスを移すことが危険なのか、

前者は、行為の帰結でなく、非協力の意思そのものを咎めることになります。いわゆる、モラル警察ですね。
また後者でも、マスク以外にも、会話の有無、換気の状況、発話方法、など様々なファクターがあります。

・マスクをしていなかったがウイルスを移さなかった場合
・マスクをしていたがウイルスを移した場合
であれば、例えば、咎められるのはどちらでしょうか。

(私は、ウイルスを移した・移されたとの関係を持ち込むべきでないとの見解ですので、仮に誰かに移ったとしても帰責性はないと考えます。)

「危険だから歩み寄ってくれ」は、話が飛んでいると思います。
例えば、(ウイルスを移すCT値を大幅に越える陽性者などの)「明白かつ現在の危険」でない限り、想像上のリスク可能性でモラルを押し付けることは妥当でありません。ノーマスクへの偏見を助長するだけです。

再問7:
「ウイルスをうつすことが危険なので、マスク非着用は危険」です。確かにマスク以外のファクターはありますが、マスパセさんはどんな配慮もする必要はないと言った。ウイルスを移すことも、マスク非着用も危険でないと考えるか?
「危険だからやめてくれ」の、どこがどんな風に話が飛んでいるのか。
私自身、自分は罹っていないと思って出歩いた結果、友人を濃厚接触者にしました。お互いマスク・消毒・距離感などに配慮していたから、友人は感染しませんでした。想像でなく現実に発生するリスク。それでも配慮する必要はないか。

再答7:
それだと「マスク未着用そのものが危険」という前者の見解になりますね。それならば、具体的な帰結ではなく「非協力の意思そのものを咎める」ので、私は賛同できません。

ウイルスは自然現象で「移した・移された」の関係を持ち込むべきでないとの立場からすると、「ウイルスを移す」ではなく「ウイルスが移る」と表現すべきです。人間の帰責性を見出すべきでありません。

マスク未着用は危険か否かについては、危険だと感じる人がいれば自衛の対策を取りましょう。

具体的なウイルス転移の危険性ではなく、抽象的なリスク可能性の話になっているので、話が一気に飛びすぎです。

対策をしたから感染を防げるわけでもなく、対策をしなかったら感染するわけでもない、リスクの問題です。そのリスクをどう評価するかは、結局、個人の価値観です。配慮したい人は配慮すればいいと思います。

以上をまとめると、
・自己感染予防は、個人が必要に応じてやればいい。むしろ、それこそが人間の主体性。
・社会的な感染拡大防止策は、協力したい人が自発的に行えばいい。協力の強制は不適切。
・ウイルス感染に過度の帰責性と注意義務を見出す風潮が問題。
・リスクにまつわる価値観は人それぞれ。一つの価値を社会全体で強要すべきでない。

返答が長くなりましたが、以上です。それでは、晩酌を!

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