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後遺症がすごく辛い人へ―コロナにかかったニート@covid_neetさんへの応答

こんにちは。マスク拒否して飛行機を降ろされたマスパセです。(@mask_passenger)

Twitterで”コロナにかかったニート”さんからご自身の体験談の記事を言及頂いたので、応答します。コロナに罹患されたとのことで衷心よりお見舞い申し上げます。

コロナ後遺症は、根拠ある現象か、蜃気楼か。

新型コロナは、まだまだ科学的に分かっていない点も多いため、後遺症の有無や様態については慎重な検討が必要です。もちろん人それぞれ体験談はあり、それを共有することは有意義です。ただ、結局、体験談として世に出やすいのは極端な話であり、その話の持つ位置づけを理解することも必要です。(犬が人を噛んでも話題にならないが、人が犬を噛むと話題になる。)

コロナ後遺症があるか否かというと、あるでしょう。どんな病気でも、事件に巻き込まれても、その後の時間に影響が生じるのは自然なことです。しかし、その程度がどうなのかは科学的な検証が必要です。それは人により様々です。人体は人ごとに異なり、一つの反応でもそれにどのような作用が起こるかは様々であるからです。ウイルスが体内に一定程度あるのですから、予防接種と同じように副作用が生じるとも考えられます。恐れ過ぎず、見くびらずというのが大切です。

一般化は避けますが、個人的な印象でいうと、実際の感染による後遺症よりも、精神的な疲労による影響もやはり大きいのではないかとも思います。コロナがメディア等で過大に取り沙汰されることにより、実際の病理学上の症状よりも肥大して後遺症的反応が生じているのもあるでしょう。後遺症の現象を額面通りに受け取らず、精神的な面での影響も割り引いて冷静に考えてもいいと思います。

コロナ罹患は自己責任か

よくコロナ罹患は自己責任か?と問われます。人それぞれリスク判断や感染症防止方法、例えばマスクを着用するか否か、に色々な考え方があると思います。これほど価値観が多様化した時代には、一つのコロナ観を観念することはできません。その中で、個人がそれぞれ自由の主体として、自ら判断し感染予防をすればよく、罹患した場合も(法の範囲内で)自由裁量を行使し対処すればいいと思っています。

ですので、罹患するのもしないのも自由です。「コロナ罹患は自己責任」という原則を持つことは、感染現象は他人や社会のせいでないと理解することにも繋がります。今の世間の思想潮流では、マスクを着用し「他人に移さない」注意義務が過度に課されています。ウイルスは移るものであり、移した・移されたとの関係を持ち込むべきではありません。その注意責任を過度に課していることこそが、マスクの強要や様々な社会の歪みを生じさせています。

感染は自己責任。その上で社会として福祉の手当てを。

では、罹患が自己責任だとすると、それは全て個人が自分で対処しないといけないことかというと、それは全く違います。元々の身体の状態がどうであっても、行動がどうであっても、社会として必要なケアを与えることは福祉の理念として当然のことです。福祉とは、単に可哀想な人を助けるパターナリズムではなく、社会を生きる一人一人が権利としてケアを要求することです。ですので、感染現象は自己責任、そして感染した場合は必要なケアを権利として与えられる、原則になります。

後遺症のケアを、福祉の内容として認めるかどうかについては、今の社会状況を考えると感染者に寄り添うことは必要だと思います。ただ、休業補償をする場合、一企業で完結するものであってはならず、国の制度を巻き込むことになります。私も社会人として責任ある立場の仕事を長らくしていると、自分が休むことで業務に穴を開けてしまいます。その部分の保障は会社が負うのではなく、リスクを遍く分配して社会保障の範囲で対処すべきだと思います。しかし、その場合、他の疾患での対応とのバランスを取る必要も出てきます。色々な病気がある中で、コロナ後遺症だけを特別扱いする理由はありません。この辺りは、一面的な個人の感想ではなく、社会的な議論が必要だと思います。

まとめ

以上をまとめると、
・コロナ後遺症には、科学的な検討とともに、精神的な面での影響を割り引いて考える必要
・リスク判断や感染症予防についての考え方は、個人の主体性に委ねてもいい。
・コロナ罹患は自己責任。他人や社会のせいではない。
・その上で、感染者に寄り添い、福祉的ケアの提供を。
・コロナ後遺症だけを特別扱いする理由はない。

最後に、コロナにかかったニートさん、くれぐれもお大事になさってください。

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