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真しろ、渡英修行、完のお知らせ~ましログらし10

1 はじめに



Abbey Roadにて

2023年7月5日。約9ヶ月ぶりに、真しろは、ユーラシア大陸東端にある島国、日本の地を踏んだ。ほぼ1日前に見上げたロンドンの空は雨だったが、東京も小雨だった。遠く離れた国でも天気が同じであることがなんだか真しろは嬉しかった。


真しろは今9ヶ月の修行(留学)を終えて、日本に帰国したばかりだ。今回の記事では、「渡英修行完のお知らせ」と題して、修行中にどんな事をしたのかや反省点、思い出などについて簡単に振り返ってみる。最後には、今後の展望についてもふれる。


2 修行のハイライト


よく言われることだが、思えば長くて短い9ヶ月の修行だった。始まった当初は、初めての中長期留学で、とても長いのだろうと思っていたが、そんなことは全くなかった。


10月から12月ごろまでのいわゆる修行初期のころは、異国での生活に慣れたり勉強に付いていったりすることに精一杯で、毎日の生活を送るだけで全てのキャパが埋まっていた。日本では実家暮らしで、家事に慣れていないだけでなく、一人暮らしとはいえ、キッチンを他の修行仲間(学生)と共同で使うストレスや、日本語が通じない不安など、正直苦しいことの方が多かった。加えて寒さも厳しく、ストライキも不定期で行われたので、どこかに遊びに行くにも難しい状況だった。メインの活動である勉強だってかなりハードだった。しかし、そんな苦しい日々の中でも、ハロウィンに始めて異性の人とダンスを踊ったり、大学の花火大会を楽しんだり、時ロンドンに遊びに行ったり、少しずつ料理を始めたり、日本人サークルに所属して友達を作ったり、クリスマスの行事を楽しんだり、充実した日々を過ごすこともできた。


大学でクリスマスランチが振る舞われた時の様子


1月から3月にかけての修行中盤は、生活にも慣れてきて、ある意味平坦な日々を過ごしていた。勉強面では、少しハードな授業を取って力試しをしたり、ずっと習いたかった師匠(先生)の下で勉強させてもらった。生活面では、調理器具を買い揃えて自炊にたくさん挑戦したり、サークルのイベントに自分から参加してみたり。

就活のことを考え始めたり、少しずつ趣味の時間を取れるようになったり、余裕ができ始めた。やっと、自分の思い描いていた修行の生活が実現し始めた時期だった。まだ長い長い冬のさなかだったが。


旅行サークルのイベントで訪れた教会


4月から6月にかけての修行終盤は、正直とにかくむちゃなことばかりした。4月はとにかく修行の最終課題に追われてあっという間に過ぎた。そのあとは、自分への誕プレにボローニャへ行ったり、英国やヨーロッパを1人で旅してみたり、友人とドイツへ行ったり、さまざまな挑戦をした。100%を超えるたくさんの思い出を作ることができた。修行ももう終わりというころ、ヨーロッパにやっと短い夏が来た。


3 修行で得た物


一人でヨーロッパを旅したときにTGVともに撮影


この修行で得た物は、言葉にできないほどたくさんある。しかしその中でも3つに絞ってここに記しておく。


1点目は、言語学者の小童として、そして1人の人間としての広い視野だ。日本で生活していたころには考えられないほど、真しろが9ヶ月を過ごした修行場(エセックス大学)ではたくさんの言語が行き交い、たくさんの文化が混交していた。エセックス大学だけでなく、修行中に訪れたさまざまな町で、自分の知らない言語や文化、人間性に触れることができた。はるか昔、英語を伸ばすために、そしてステータスのために留学したいなんて考えていたけれど、わざわざお金をかけて異国の地で過ごす事の意味は、言葉を選ばずに言えば、そんな陳腐な物ではないと気づいた。日本語を話す人が日本人で、19歳が大学生で、男はこうあるべきで、障害のある人はこう生きるべき。型にはまったプロトタイプだけが書かれた人生の文法書を見つめ続けていた真しろにとって、この9ヶ月は、自分の文法書をアップデートすることのできた時間だった。自分の目の視野は0だけれど、少なくとも自分の人生の視野ぐらいは広がったはずだ。


2点目は、楽しく生きるための方法を考える柔軟さだ。毎日が挑戦ばかりの修行中、正直に言えば、帰りたいと思ったことや、自分が修行を始めたことに後悔しそうになったことは数知れないほどある。そんなときに、どうすれば毎日を自分がより楽しく生きられるかを考えて、それに基づいてなりふり構わず行動できるようになった。楽しいことばかりが人生ではない。でも、嫌なことばかりが人生でもない。それなら、嫌なことばかりに思えても、より楽しく生きる方法は見つかるはずだ。お金や時間を無駄に使ってしまうこともあった。体にむち打った生活を送ったこともあった。やるべきことをほっぽり出して自堕落な生活を食ったこともあった。しかし、今を楽しいと思えたとき、そこにあったはずの後悔が霞んでいくのだ。過去にはたくさんの希望があって、その全てを叶える事はできなかったけれど、何もかなわなかったわけではない。修行を終えて今心に残っている喜びが自分の全てなのだ。そう思える気持ちを手に入れられたことは、修行の大きな成果だ。


3点目は1番重要だが、支えてくれる人たちへの感謝だ。修行前、家族や友達、仕事や学業でお世話になっている人たちの存在は当たり前と思っていた。しかし、異国での修行の中で、彼らの存在は自分にとって大きな力になっていた。いつも心配して電話をかけてくれる家族のことをうざったいと思うくせに、電話をするとついつい長時間話をしてしまい、電話越しに聞こえる日本の朝のニュースが心地よかった。日本で元気に過ごしている友人たちのことをどこか望郷の念で見つめていたけれど、時々送ってくるメッセージや、時々かけてくる電話でたくさん笑わせて励まして温かい気持ちにさせてくれる彼らの存在は暖かかった。時差が違う中で連絡をくれる仕事仲間や学業仲間の人たちを見て、自分の何かしなきゃと焦ってはみるけれど、焦っても解決しないから1つ1つできることをやろうとも思わせてくれた。どうせ自分は1人で生きていくんだなんて思い上がった考えは、この9ヶ月で、どこかに置いてきてしまったみたいだ。支えてくださった皆さん、ありがとうございました。


4 修行の自己評価


修行の公式的な成績はまだ届いていないけれど、今回は自分の自己評価について記しておく。


正直修行に行く前、自分は留学に対してものすごく高い期待値を設定していた。イングランドに行けば日本にはない物が全て手に入って、見えない世界が見えると思っていた。しかし、当然のことながらそんなことはなくて、言ってしまえば、ごく当たり前の生活と、自分がしている勉強を、異国で行うだけのことだ。その期待値が満たされるかどうかは、自分の行動次第だったのだ。


修行の初期ではその期待値に甘んじて、そして生活の厳しさを言い訳にして、自分から行動することを避けていた。しかし待っていても何も起こらないことを知って、中盤からはさまざまな行動に出てみた。そして、今ここでしかできないこと、わざわざ異国まで来て修行してできることは何かを考えて、最後まで諦めない行動を取れた。もし初期のような生き方を続けていたら、何も得られずに無駄な9ヶ月を過ごしていたかもしれない。


定量的に言えば、100点満点中70点ほどだろう。厳しい評価と思われる人もいるかもしれないが、むしろ自分としてはこれぐらいでちょうどよかった。満たされなかった残りの30点は、未来への貯金に変えればいい。


5 今後の展望~おわりにに変えて


最後に、今後の自分の展望について可能な範囲で記しておく。個人的なこととしては、言語学者の小童として得た経験を生かして大きな成果物を残すとともに、自分の未来についてもより現実的に考えていきたい。修行が終わったということは、日本に帰ってきた今が現実なのだから。


そして、この真しろが書き綴ってきた文字列は、修行中に始まったもので、イングランドについて発信することが中心になっていたので、もうお役御免になっても良いのかもしれない。しかし、ここから新たに自分の言葉を記すことで、ますます自分の足跡を付けていきたい。このジグザグな足跡の先にある物が見たい読者諸氏は、どうか一緒に歩いてほしい。


それでは今日はこの辺で。Have a nice day!


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