『違法でなければいい』は本当にイイのか。
『違法だよ、あげる君』というCMをご存知でしょうか。
ネットへの無断アップロードを注意喚起するCMです。
私はこのCMにものすごく現代社会の闇深さを感じてなりません。
流れは、あげる君と言われる少年が、テレビ番組を録画してネットに投稿しようとするところから始まります。
すると、犬の警察?があげる君を脅します。
それ、違法だから。
懲役または罰金だよ。
捕まるよ?マジで。と。
あげる君の動機は
『僕はみんなのために法を犯すのです』
『捕まらなきゃいいんでしょ』
という理由。
犬の警察もあげる君もどうかしてます。
まず無断アップロードをやめてもらうために、脅迫って…昭和ですか。
平成を飛び越えて今は令和。
そういえば絵タッチも昭和風にしてるのはなにかの狙い?
もしこのCMによって違法アップロードの抑制につながったとしたら、その代償として『他人のためにやったのになんでダメなの』という疑問が解消されない。
ただ違法だからダメっていう抑えつけの教育。
まず、このあげる君の『みんなのためを思って』という気持ちの部分は称賛されて良い部分ではないか。問題は無断アップロードという行為の部分だけ。
この感情と行動をセットで判断するのは人格否定にもつながるため、教育ではやってはいけない行為。
パワハラやモラハラに当てはまる可能性がある。
つまり、このCMでの結果は『違法アップロードをした私という人間が悪い』というメッセージを送ってしまう。
感情と行動の部分は別々に考えて、感情の部分は消化できるようにしてあげなければ、他人のために貢献することをやめてしまいます。
やめてほしいならば、違法アップロードで困ってる人たちを写せばいいではないか。
もし他人のために貢献したいと思いがあるなら、その行為で苦しむ人がいることを知れば、行為を改めるかもしれない。
それでもやめないなら『他人のため』を装った『自分のため』かもしれない。それなら罰も覚悟の上だろう。
刑罰で抑え込めば必ず反発がくる。
抵抗するものははびこる。
『じゃあ、違法じゃなければいいんだろ?』
『見つからなければいいんだろ?』
という判断基準ができてしまう。
交通費ルールなどを厳しくして一定の効果があるのはわかる。しかし、法で管理する行為は危うく感じてしまう。
なぜかというと社会の変化が激しくなり、あらゆるところで法の整備が追いつかない時代だからだ。
そんな時代で、『違法でなければ良い』という判断基準を助長することがどれほど危険か。
もう法で決められた善悪は揺らいでいる。自分の頭で善悪を決めなければいけない。
違法まがいがまかり通る社会で、どれほど毅然としていられるか。高い倫理観や、人間性を育み、保っていられるか。
行動が悪ければ、考えも悪いと決めつける判断は思い込みなのか。
失言や間違いやミスをしたのは、その人の考えが間違ってるのでしょうか。人間性まで否定されるものなのでしょうか。
きっとその人のことを何も知らないはずです。
ただ一度のミスでその人のすべてを否定していないでしょうか。
私は思うのです。
これが一度も失敗は許されないという、生きづらい世の中の諸悪の根源ではないかと。
罪を憎んで人を憎まず。
考えは良いけど、行動がよくなかった。
丁寧に、丁寧に人の理解をしませんか。
どんな悪人も自分は善行をしていると考えている。
その善とされる感情はどんな人間であっても一定の理解はできるはずだ。
ここでいう理解とは、同意でもなく、賛同でもなく共感だ。
罰を与えるとするならば行動に対して行うべきだ。もしも彼らの善なる感情に罰を与えたなら、あなたは彼らにとって敵となるだろう。
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