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育児観は、人生観~ブリコラージュな1歳女児育児事情~

0  育児前夜


わが家は今、アラフォー夫婦で、絶賛一歳女児の育児中。

「育児」と一言で言っても、おそらく家族構成や居住環境、文化や価値観などで千差万別だと思う。

日本ではまだまだ子どもの主な保育者は母親のことが多いけれど、便宜的に「専業主婦(主夫)」や「ワーママ」などとくくってみたり、働いていれば「フルタイム」なのか「パート」なのか…

夫が育児にどれだけ関われるか(関わっているか)は、「ワンオペ」などの言葉で伺い知れたり…

「育児」と言えば、何となくその大変さやすべきことの煩雑な状態を想像したり、ママ同志で、あるいは職場などで子育て中と聞けば同僚の男性に対して、「大変ですねぇ…」などと、少し苦労が滲み出たような微笑を浮かべて労い合ったりしてしまう。


正直、私たち夫婦も、娘を授かり育て始めるまでは、「育児」の実際が何だか分かってはいないまま、ただ未知のものに対して、それを現在進行形で実践している人たちに対して、「毎日大変なことをされていて…すごいなぁ」という、非常にザックリとした感想を抱く程度だった。

それが、いざスタートしてみれば、わが家はわが家なりに、結果的にはかなり個性的な育児になっているのではないかなぁ、と思うようになった。


1  無月経からの不妊治療、断念…からまさかの出産


一度は、「このまま変わらない夫婦2人の生活だねー」と、不妊治療すら完全に諦めていた。

不妊治療専門クリニックに通った時期もありました。排卵誘発の注射の身体的なしんどさと、排卵してからも行く度に先生の「まだダメだ」発言の精神的負担のダブルパンチで、はじめたばかりの農業の肉体疲労も合間って、当時はかなりしんどかったのです…

ひょんなことから消化器系の不調でかかった先生の見立てで処方してもらった漢方を1ヶ月服薬したところ、20代前半からかれこれ10年以上、自然には起こらなかった月経が戻ってきて、、、


無月経のままだと、将来的に骨粗鬆症のリスクが上がるため、産婦人科には定期的に通っていました。

主治医の女医さんの方から、「タイミング法で、挑戦してみますか?」とまさかの提案を頂き…

2度の初期流産も経験。


3度目の妊娠の経過は順調で、自然分娩で産む気マンマンでしたが、破水から陣痛促進剤を入れてから、最後は緊急帝王切開に。

手術中に急激に寒気と痛みが襲ってきて、全身震えが止まらなくなり、麻酔を追加し、ヒーターで緊急的に温めてもらったり。


一度は死をも覚悟しましたが、、、

産まれてみれば、すこぶる元気な女の子でだった。

臍の緒が左足に絡まっていて出てこられなかったのですね…子宮口がなかなか開かなかったのに加え、途中から陣痛の合間にも右腹を引っ張られるような痛みが加わり、呼吸が苦しくなりパニックに(汗)  胎児の心拍数が下がったり、私も熱が出て、羊水汚濁の危険もありました。促進剤で陣痛間隔は3分台まで行っていたので、お産のフルコースを経験した感じでした(苦笑) 


ほんと、無事に産まれてくれて良かった。


2  わが家の育児= 娘の個性 × 夫婦のこれまでの人生  ×  夫婦の価値観   


Uターンで地方在住10年以上、兼業農家。

新規就農で始めた有機農業では生計立たず、夫は冬は蔵人、妻はパートタイマー(半年間の小学校勤務を無事終了)。

転職活動は並行して行っていたので、4月(明日)からはベンチャー企業の進学塾勤務(事務方)の私。

以前記事の通り、世帯年収は数字的には心許なく、娘が生まれてから、悩んだ数はいざ知らず…


それでも、私たちが金銭的余裕より、今現在の時間的な自由を選択して暮らしているその理由が、わが家の育児観と大きく結び付いていると思われる。

そのために、わが家の個性や特徴的と思われる属性などを列挙してみたい。

・貧乏

・自然派志向

・過疎の進む地方都市在住

・妻の地元にUターン

・祖父母の持ち家を間借り

・ローン含む借金なし

・夫婦共に早稲田卒、低キャリア

・有機農業や加工品販売、日本酒づくりで地元の土地や人と関わってきた

・町内会に積極的に参加

・夫の働き方=自営(農業) + 季節労働者(サラリーマン)

・妻はパートで、下げない転職に成功中(自分の意志で正社員への雇用替え可)

・地元でやたら顔が広い(農業、行政、飲食関係など)

・「夫婦内ワークライフバランス」実践中

・よく話す夫婦だと、周囲から頻繁に言われる

・夫は内向的、ゆっくり動いて思慮深く、安定穏やかタイプ。日常詩人で、職人気質。職場や町内会、親類の間でも周囲からの信頼が篤い。

・妻は広報運動家タイプ。急激に内向的になる時期もあるが、基本的には人と会い、新しい刺激を受けて、常に空気を入れ換えていたいタイプ。人間関係に悩み続けてきた一方、調整スキルが向上し、多様な形での人脈づくりが進んでいる…どちらかというと貪欲で新しいことにも意欲的。落ち込みやすいが、時に創造性を発揮。

・今は農耕民だが、夫婦共に放牧民の素質あり。



こんな2人が育児をはじめてみたところ…

現状、主観的には次のようなスタイルになっている(と思われる…たぶん)


3 わが家の育児


特殊なことをしているとか、凄いことをしているとかいう自慢の類では全くなく、それはただ単に、私と夫の生活の中に、そのまま娘を迎え入れている、ということの結果に過ぎないと思う。

(第一、年収が少ないという時点で、ある価値観の人たちにとっては何の自慢にもならないと思うので…)

私たち夫婦の属性や価値観、2人でつくってきた生活が持つ時間の流れ方や文化の中に、新しくちいさな人が加わり、今のところ彼女が一番「弱く、保護し守られるべき存在」だから、結果的に彼女に多くを与え、大人の生活を柔軟に変化させ、今のところそれが私たち家族の「暮らし方」になっている。


「育児」は「暮らし方」に多く重なる部分があると感じている。


ざっくり大きく括って、一言で表現しようとするならば、わが家の育児は、

ブリコラージュ

である。


私が勝手に尊敬している内田樹氏が師と仰ぐ思想家、レヴィ= ストロースの著書『野生の思考』に出てくる概念である。


身近にあるモノや考え方、価値観や思考法(もちろんそれは、様々な育児法やペアレンティングを含むわけだが)までもを、私たちはひとまずストックしておく。

それが何であるか、どう使用すべきか理解している時も、その時点では理解不能であったり「不必要」というレッテルを貼りたくなったとしても。

(特に夫は、大学で舞台をやっていた時から、実際に使用用途不明なものを拾ってきて、後から創作物や舞台セットに生かすのが得意だった笑)

このことは育児の面で、わが家での具体的な実践として、「おうちモンテッソーリ」であったり、「廃材利用の遊具づくり」「手作りおもちゃ」であったり、「手作りの料理」ということになるかも知れない。



出産直後にモンテッソーリ教育に偶然出会い、関連書籍をいくつか読み、子をよく観察し、発達段階や敏感期に気づき、タイムリーに必要十分な環境を整えられるように配慮してきた。

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しかし、費用面での折り合いと、厳格にすべての理論を実践する、というまでには至っていない。


例えば、モンテッソーリ教育の原則に忠実かつ厳格であろうと、パーフェクトな環境や「お仕事」、そのための道具を与えようとするならば、わが家はたちまち破産してしまうだろう(苦笑)

何より、通学可能なモンテッソーリの保育園や幼稚園は皆無で、勿論小学校もない。

だから、あくまで「ゆる~くやってます」という域を出ない。

そしてそれは、わが家らしく、新しい知見や未知の育児方法や子育てのスタイルにも常にオープンでいようという姿勢でもある。

やってみてうまく機能しないと思える時は、ひとつのやり方や信条に留まらず、躊躇なく違うやり方を試してみる準備もあるということだ。


あるいは、夫の廃材利用の遊具づくりにおいて。

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上記は、1ヶ月ほど前、何度目かの粗大運動の敏感期がやって来たと感じ、夫に相談した時に作ってくれたものである。

ご飯時にテーブルに登ったり下りたり(注意してやめるわけがない)、散歩中に路肩のブロックや不安定な場所を歩きたがったり、「行儀が悪い」、または「危険」と言える行動をとにかくしたがった。

バランスをとりながら大きく動く遊びをさせて!

という声が、娘の内側から聞こえてきた(気がした)。

この時期に重なるように、保育園の送迎時や買い物の時の車の乗り降りで、一瞬の隙をついて駆け出していく、という非常に危険な行為が続いてしまった。

モンテッソーリでは、基本的に「叱る」という大人目線の行為は想定されていないようだ。

大人が子の発達段階をしっかり観察し、それに基づいて環境をタイムリーに整えていれば、怒ったり、強く禁じたりする場面はなくなる、と。


わが家も基本的なスタンスとしては、上記を意識して実践している。

しかし、娘の個性と、リスクの度合いを天秤にかけて、ガスコンロを触ることは(まだ)有無を言わせず禁止しているのと、道路や駐車場では手を繋ぐまたは抱っこで移動することで娘と折り合っている。

幸い、娘は説明すると何となく理解してくれて、コンロのスイッチに触ろうとしたり、車から下りる時などに抱き上げても嫌がったり泣いたりはしないです。「いまの自分にとって望ましくはないこと」というのが、分かってるのだと思います。

あとは、食事時のマナーをそろそろ身につけてほしくて、「格好よく最後まで食べることが出来たら、美味しいデザート(フルーツ)を食べよう」という約束している。

本来これも、“ごほうび“とか“罰則”の類いに属すると思うので、モンテッソーリ的には全くスタンダードではないだろう。

ただ、娘が「分かっていて」、お試し行動でお茶の入った湯のみをひっくり返したり、カトラリーや食べ物を投げたりしていたため、、

これも夫とよく相談したうえで、娘の大好きなフルーツと引き換えに、「食べるという行為」それ自体の価値を実感して、衝動的な行動も少しずつコントロールする術を身につけてほしいという思いを込めて、ルール化している。


しかし、伝え方には配慮して、最後まで座って、モノも投げずに食べた時は、「格好よかったね!おいしく気持ちよく食べられて楽しいね」「ママも嬉しい!さぁ、デザートも美味しく食べようね!」と、ポジティブに、アイメッセージで伝えるようにしています。



「手作りおもちゃ」に関しては、

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「コスト」が最大要因なのは、間違いなく(笑)

100均のものはなるべく買いたくないと考えていた、妊娠中~出産後までの話で、、、

今やヘビーユーザーの私(笑)


何よりコスパが良いことと、、、

わが子は目まぐるしく成長して、刻々と様々な発達段階が訪れるため、ふさわしいおもちゃをひとつのひとつの吟味し用意するコストがかけられず…

今や「ブリコラージュ」&カスタマイズしたお仕事道具をハンドメイドするのが、ある意味私の趣味となっていたりする。

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時には、メルカリを利用したり…

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・自分の手を動かして遊ぶこと

・自然物に多く触れること

も意識して生活に取り入れています。


何より、自然はほぼフリー素材で、遊び方も無限大である(笑)



あとは、「手作り料理」にはこだわりがあるかも知れない。

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玄米(娘は雑穀米)、味噌汁、野菜中心で、たんぱく源はなるべく魚。

外食もするし、お菓子も食べるけど、出来るだけ素朴で添加物の少ないものを。

出来ればフルーツやナッツをおやつに。

保育園やお付き合いで避けにくいものも多く、そこは有りがたく頂くためにも。

夏は、夫が育てた有機野菜をふんだんに。


マクロビやビーガンに玄米菜食、もっとずっと前にはプロテインダイエットや食事抜き、糖質制限など様々試してきた。

夫婦で不定愁訴に悩み続けてきて、現在の私たちの最適解のひとつが、こんな食生活だ。

娘も、質の良いものを楽しく食べているお陰か、大きな病気や頻繁に呼び出されることもなく、元気に保育園に通ってくれている。



4  ブリコラージュの育児は続くよ、どこまでも


長くなったが、わが家の育児は、大体こんな雰囲気だ。


最後に、最大の特徴を挙げて結びにかえたい

わが家にはテレビがない。

=娘はテレビを家で見ない。


このことの効用かな、と思うことがひとつ。

集中力が長く続く。


長い絵本(『えんとつ街のプペル』や荒井良二作『はっぴぃさん』など)を2歳前という年齢でも好んで読みたがり、静かに最後まで聞き入って飽きることがなかったり、内容もよく覚えていて、次に読む時には一緒に呟いたりする。

おままごとなども、ひとりでしゃべり続けながら、長時間楽しむことが出来るし、実物がそこになくても空想遊びが楽しめたり。

このことは、友人や保育園の先生にも度々指摘される。


これは、ただ娘の現時点での興味と得意が、言語的な領域の遊びの範疇にあるということかもしれない。

それでも何となく、わが家の「ブリコラージュ育児」が、娘の現在進行形の発達の歯車にはまったり外れたり、部品を取っ替え引っ替えしながら、何となくうまく噛み合って機能し続けているようにも感じられるのである。

何より、親が楽しいのである。


育児を満喫するために、働き方を逆算し、その時間を確保する。

そして、あるもので、とりあえずやってみる。

試行錯誤しつつ、実践を続けて行く。


わが家の育児は、まぁ、こんな風にして続いていくんだと思う。



そんな娘を尻目に、私もデジタルデトックスを進めたいと、日々研究中である(苦笑)


アイディアを形にするため、書籍代やカフェで作戦を練る資金に充てたいです…