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【適応障害休職中】それでも今が一番充実していると思う理由。

自分自身をフェアに観察するために。
似たような状況、悩みのある方に向けて。

1 現状把握


診断から10日が過ぎ、経過は順調と言える。

夫も「だいぶ元気になったよ」と言うので、客観的に見てそうなのだろうと思う。

「適応障害」と人に伝えてしまえば、「大変だねぇ」とか、自宅で療養しているイメージを持たれるのかも、と想像する。

実際、はじめのうちはただ疲れやすく、人に会いたくない(特に会社の人)し、急に泣けてきたり無力感に襲われたり、「あの時ああ言えば良かった」「違う対処をすれば結果も違ったかもしれない」など栓なきことを反芻したりしていた。

しかし、3~4日自宅で過ごすうちに、今度はずっと家にばかりいるのを続ける方が、事態を悪化させたり、陰鬱な気持ちを助長するのではないかという危機感を持ちはじめた。

※経過や考え方は、症状の程度や段階、生活歴、持病や二次障害の有無などにより、大きく個人差のあるところかと思われるので、あくまで私の個人的な体験談であることはご留意頂き、読み進めて頂きたい。

その理由は、いくつか思いつく。

☑️軽度の段階で受診を決め、休養に入った。

☑️私が軽度のADHDであること。

→まだ体力・精神力がエンプティにはなっておらず、回復力を引き出すのに時間がかからなかったのと、もともと多動傾向があるため。

☑️以前にも似たようなパターン、かつより重症を経験したことがあったため、既視感からくるアラームが鳴っていた。

☑️うすうす、仕事内容・量・進め方に違和感を感じ続けていた。

☑️私の仕事の進め方が、上司に受け入れられてはいないと感じていた。

☑️転職してまた3ヶ月程だった。

☑️担当業務が一山越えたところだった。

→見きりを早めにつけることが出来た。「私がいないと」「周りに迷惑がかかる」と考えてズルズル引き伸ばさずに済んだ。

今の仕事<自分+家族=現在・未来の幸福度

という価値観の軸がぶれないことが一番、という決意を持っていたことが幸いしたのだと思う。


また、わたしがADHD傾向にあるということもミソだ。

元来、外に出て人と言葉を媒介としたコミュニケーションを取ることが好きな性質で、ひとつのことを地道に継続するよりは、興味の持てることなら好奇心の赴くままに、たくさんのことに首を突っ込むタイプだと思う。

割りと回復しつつあって、外交的なADHDである性質が加わり、現在の状態にあるのだと思う。


2 適応障害+ADHD=…?


メンタルクリニックでは、自らお願いしてADHDチェックをしてもらい、軽度のADHDの疑いもあると診断を受け(非公式)、「やっぱりな」という長年の疑惑が解消されたカタルシスだけなく、自分自身との付き合い方も固まりつつあり、なんとなく次に踏むべきステップの選択肢のアイディアも集まりつつある。

これまでの人生において、「メンタルが弱い」「レジリエンスがない」「物事(特に仕事)が続かない」「真面目すぎる」「普通の人が当たり前にしていることが出来ない」などと、私自身のパーソナリティーや性格に責任を回帰して、引け目や劣等感の原因になっていたことが、遺伝的もしくは生育環境によってはじめから内在していた、「そもそもの私の一部」であり、「特性や個性」だったのだとハッキリしたことが、かえって私に鮮明な思考力と、具体的に行動するための力を与えている。


何度か、

就職→心身不調→離職→回復・静養→転職→心身不調(「またか…?」の自己不信感・自己不全感・無力感)→離職…

というパターンを経験したが、今回に関しては、

心身不調(「またか…?」の自己不信感・自己不全感・無力感)

の部分が短期間、かつ少々変容した形で現れるかな、と想像している。


人生において、何度か同じパターンが現れていたにも関わらず、私はこれまで医師の診断やまして投薬なども選択せず、ここまで来た。(そう言えば、新卒で就職した学習塾を辞めるために診断書を出してもらったことはあったが…)

それは最後は何だかんだ自分を「信じたかった」のもあるだろうし、親や結婚や休職、資格取得、移住など、「仕事以外に逃げ込める場所やモノやヒト」があったからだと思う。

甘えと言えば甘え、それは否定出来ないし、選択肢があるだけ恵まれているとも言えるが、(自己陶酔的に言えば)セーフティーネットを自分で構築してきたからだとも言える。

しかし、いくらセーフティーネットがあっても、また「同じパターン」が表出してくることがあると、たちまちセルフコンパッションは激しく失われ、損なわれてしまう…

そしてそれは、しばしば(ほとんどと言ってもよいかもしれない)私の場合、「仕事」においてであり、いつしか「仕事=鬼門」となっていたのだ。

私の人生の問題度々、仕事とセルフコンパッションの課題で満たされてしまった。


それが、である。

私はADHDの特性を持っている可能性が高い、と専門医が言い、自分でそれを認識出来たことで、視野狭窄が一気に解消された感覚があった。


ーだとすれば、これからどういう戦略を取れば良いのか。

という、未来へのベクトルへ視点が切り替わった。

今では、

適応障害+ADHD=独自の生き方を発明するための戦略を与えてくれる要素

と捉えるようになった。


3 武器を持って、戦略を練る


これまでの「感情論」から脱却出来たことが、今が一番充実していると思える最大の理由だ。

個人的には、「感情」はものすごく大切な人間的要素だし、今後の生き方を決めて行くうえで、まず自分自身の「感情に気付き、受け止める」ことが、全てのスタートラインであると考えている。

しかし、私の職業選択に限って言えば、感情論に終始するあまり、「戦略」を持てなかったことが、最大の失敗だったように見える。(戦略を持てていないことに、気づけていなかった、という方が正しいかもしれない)

今、私は自分を知りつつあり、「戦略」を練ることが出来る段階に来たと思う。

ひとつ、過去の自分を認められることにも気づいた。

それは、戦略を練るための「武器」は、ひょっとしたら既に幾つか手に入れ、手入れも続けていたかも知れない、ということだ。

(もっと以前には、戦略を練るのに必要な「武器」すら持ち合わせていなかったわけで、我ながら無謀な旅をしていたと思う…)

私が思う武器とは、ざっとこんな感じだ。

○健康な身体

○思考力と言語化能力

○仕事関係以外の、人との関係構築

○タイムマネジメント


人並にこれらを出来るようになっていた(そう、以前はこれも難しかったのだ!)のには、理由があって、すべて「行動し続けてきた」からではないかと思っている。

☑️睡眠を7時間以上、何より優先する。

→育児中でも、子どもと一緒に寝れば可能!

☑️食生活を整える。

→玄米と野菜を中心に、おやつはナッツ…をベースに、それ以外はあまり制限せず、食べたいものをストレスなく、わが家は肉体労働なので一日3食。

☑️モーニングルーティーンを自分のための時間に。

→散歩(雨の日はヨガ)、ジャーナリングはマスト。オンライン英会話、読書、必要な勉強は都度時間配分をして。「続ける」ことが目的、量は決めずに1ページでも「やった」という実績重視で。

☑️会いたい人とだけ、コンタクトを継続して取り、感謝を伝える。

→人間関係も断捨離。自分にとって大切な関係を見極める過程で、私自身への理解も深まってきたような気がする。

☑️情報収集とアウトプット。

→noteの活用。読書。家事しつつYouTube聞き流し、ブログ、「ゼロ秒思考」のメモ術もスタート。

☑️時々、人生を俯瞰する時間をもつ。

→マインドマップ、コラージュの作成、親友と制限を設けず語り合う。


恐らく、上記のようなことが、私に幾つかの武器を与えてくれたように思われる。

そして今、休職中に次のステップ、そのステップから続く道をイメージし、戦略を練りたいと考えている。


無理な理想を追い続けるのではなく、私という実体をつぶさに観察し、特性、能力、指向性を見定め、社会(仕事も含まれる)のニーズとの落としどころを調査する。

少しのチャレンジや野望も自然体で開示出来る環境づくりは自分で努力するにしても、少しの理解は周囲に求められることを願いつつ。



アイディアを形にするため、書籍代やカフェで作戦を練る資金に充てたいです…