見出し画像

その他、今年読んだ本(2023)

今年から本の読み方を変えて、「本は基本的に通読する」「読んだ本の内容を要約してnoteとInstagramに載せる」という事にした。本なんて適当に読み散らかせばいいとも思うんだけど、筋トレみたいに外的な条件を課してみたらなんかよく分かんない感覚が得られてヤバそう、みたいな。もちろんSNSなのだから、他者の視線を抽象的に意識するのも動機の一つではある。

要約する時の文字数は2200字以内と決めた。根拠はInstagramのキャプションの上限文字数なんだけど、全体構成を考えながら文章を書く練習にはちょうど良いボリューム感だし、これくらいだと割とずっと内容覚えてられるから良い。

とはいっても、やっぱ2000字強の文章を書くのは割と体力を使うので、それができなかった本も多かった。なので、今年読み切ったけどnoteにアップできなかった本を、年末のノリに乗じてまとめて書き留めておこうかと。あんま覚えてない本も多いので、ここは要約というよりは雑駁な印象で。こういうのを振り返る時に、瞬間的な思考を記録しておけるTwitterは便利ですね。



〇『アンタゴニズムス ポピュリズム〈以後〉の民主主義』(山本圭著、共和国、2020年)

めちゃくちゃ面白かったし、めちゃくちゃ重要な本だと思った。「アンタゴニズム=敵対」とは「アゴニズム=闘技」の対比概念であり、要するに前者はポピュリズムのことであり、後者は熟議型民主主義のことかと。近年のポピュリズムの隆盛を踏まえ、民主主義の根源がいかに雑多で不純で不合理なもの(=〈公的ではないもの〉)に規定されているかを考えないと、今の隘路は突破できないよ、ということだと思った。例えばラディカル・デモクラシー論での精神分析をめぐる繊細な議論、ロールズの「嫉妬」の概念、身体の情動や身体の複数性、群集、等々、ポピュリズムと民主主義を考える上で基本になる知見が並んでいて本当に勉強になる。これこそレジュメを切って読書会をしたい。


〇『新宗教と巨大建築 増補新版』(五十嵐太郎著、青土社、2022年)

新宗教施設を建築的観点から論じる本。施工に至る経緯のほか、その設計や意匠や構造を紹介していた。正直、その時代ごとの批評の頻出タームを個別の事例に当てはめているだけに思えてしまい、特に、社会的文脈の話と意匠の話があんまり嚙み合っていないように思えた。とはいえもちろん、個別の事例には興味を惹かれるものはたくさんあった。自分は宗教に向き合うセンスは皆無だと思っているのだけど、それでも、外部を欠いた集団の演出にうまくハマるとやっぱ楽しいんだろうなとは思った。


〇『アゲインスト・デモクラシー(上下巻)』(ジェイソン・ブレナン 著、井上彰ほか訳、勁草書房、2022年)

「民主主義を疑え!」と帯文にあるけど、ここで言われている「民主主義」とは結局、全国民に投票権を付与する選挙システムの事であり、あくまでも制度設計の問題を論じているように思えた。民主主義が抱える誤謬や矛盾や問題はリバタリアンに限らず古今東西言われている事だし、腑に落ちる所も多かったけども、技術的解決案をガシガシと出すことで理念的前提も食い破っていくのはいかにもアメリカ流のプラグマティズムって感じで興味深い。露悪的に書いてるフシもあるとはいえ、「投票者の有能性」みたいな概念をベースに議論してるのはやっぱり面食らうっちゃ面食らう。ただまあ確かに自分のことを考えても、主権者として能力を上げる機会は完全に削がれるよなーとは思った。


〇『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである コロナ禍「名店再訪」から保守再起動へ』(福田和也著、河出書房新社、2023年)

コロナ禍の東京の状況を描く侘しさが、福田和也本人の状況に重ねられているようにも思えた。本当に読まされる文章だったし、この先も福田和也の文章をもっと読みたいと思った。氷無しのハイボール、飲みたい。


〇『海をあげる』(上間陽子著、筑摩書房、2020年)

人に勧められて。読んでよかった。


〇『エコゾフィック・アート 自然・精神・社会をつなぐアート論』(四方幸子著、フィルムアート社、2023年)

著者がこれまで手掛けてきた展覧会や扱ってきた作品を面白いと思った事は多いし、過去に書かれたキレキレの文章には畏敬の念すら覚えていただけど、この本は率直に言って物足りなかった。個々の作品の裏付けのためにガタリなり何なりの思想書を持ち出す割に、作品と理論の関連性の掘り下げがイマイチ足りないように思える。一番違和感を覚えたのは、理論的な掘り下げが行き詰った様にみえると、途端に自然の形態や生態系システムへの感嘆を持ち出していた事で、その手のセンスオブワンダーとノリを共有していない身としては興醒めする。まさかとは思うけれども、この手の自然へのセンスオブワンダー、富裕層にウケるが故に書かれている訳では無いと信じたい。なんとなく、アートへの関心が薄れるきっかけになった一冊。


〇『目的への抵抗 シリーズ哲学講話』(國分功一郎著、新潮社、2023年)

面白かった。印象に残ってるのは、コロナの時メルケルの演説とアガンベンの例の記事の話。政治家は決断をするのであり、知識人は「虻」として警鐘を鳴らすのであり、両者の役割は区別するべきとだと。聴講者の質問のレベルが高すぎてビビる。


〇『武器としての「資本論」』(白井聡著、東洋経済新報社、2020年)

『目的への抵抗』で紹介されていたので。資本論を武器にして現代社会の諸々に悪口を言いまくってた。痛快な所もあったし腹立った所もあったけど、「マズいメシを食わされている事にキレる事」=「感性の再建」が今の資本主義体制に対する闘争の始まりになる、と説く結論部分には全くもって同意だし、確信を持てて良かった。無論、資本論の解説としても普通に分かりやすく、諸々の概念がめちゃくちゃ整理されて勉強になった。


〇『「かげ」の芸術家 ゲルハルト・リヒターの生政治的アート』(田中純著、WAKO WORKS OF ART 、2022年)

WAKO WORKS OF ARTでフィオナ・タンの展示を観た時に見つけて購入した、田中純によるリヒター論。やはり印象に残ったのは《ビルケナウ》の話。ホロコーストのイメージと記憶の表象と伝承の不可能性に関するユベルマンの議論をを踏まえた上で、リヒターの作品は「無意識の次元におけるコミュニケーションの回路」(P113)を切り開くもののだという事を、フロイトのマジック・メモの話を通じて論じる。リヒターの作品が「生政治的」と呼ばれる所以は、作品が鑑賞者の内的経験に働きかけるからであり、更にそれが、作家や鑑賞者、更には作品の主題となった人々の「生そのもの」と重層的に関わり合うが故であるという風に理解した。


〇『尼人』(松田修著、イースト・プレス、2023年)

美術家の松田修の本。自身が育った尼崎や、美大時代のめちゃくちゃな生活やなんやかんやを語るエッセイ集としても超面白いのだけど、個々のエピソードがそれぞれ松田の作品に帰結していくのが膝を打つ。オカンの話はもちろん、松本人志の話とか、阪神大震災の時のストリップの話とか、童貞を捨てた時の話とかが印象に残っている。無論悲しい話も多いのだけど、基本的に描かれるのは「どぎつい現実でふざけまくる」という尼人の姿であり、「マジメに見つめすぎると狂うか死ぬかの現実で、ふざける隙をみつけるのが僕の芸術だ(P88)」という作家としてのスタンスは一貫している。


〇『創造性はどこからやってくるのか 天然表現の世界』(郡司ペギオ幸夫著、筑摩書房、2023年)

内的な経験と記憶を、如何に外部化するのかという事だと思った。二律背反構造に基づくトラウマの構造等々なるほどと思う事も多かったけど、やっぱ分からない事も多く、特に著者自身の作品の制作プロセスとその動機とかはかなり怪しい。とはいえ、ペギオ先生の文章で「分かる所があった」という事自体が初めてなので、なるほどこういう事を考えている人なのかと垣間見れたのは良かった。ちょうどこれ読んでる時に広島に行く機会があり、平和記念公園や、アルフレッド・ジャーの展示を見たのもタイムリーだった。


〇『惑星都市理論』(平田周、仙波希望編、以文社、2021年)

今年一番勉強になった本。今日の社会の状況について、理論と実際の双方からめちゃくちゃ見晴らしがよくなった。「惑星都市理論」とは、「都市」と「地方」という二項対立を批判し、資本や人の動きを地球全体の規模で捉えるというもの(だと思う)。聞こえはなんだかSF的だけど、読んでみれば実に実直な内容で、近年の地理学、特に都市理論の中で提唱されているものらしい。いずれにせよ本書は多種多彩な論考から成り立っていて、例えばロジスティクスや経営理論など資本による生産管理や統治の方法論から、ヒンターランドやスケールといった地理学の概念整理、更に様々な土地を生きる人々の労働や住居や移動等々の具体的で多様な生の実相まで、豊富な視点から今日の社会の様相がよく分かる。更に、今日に至るまでの都市理論の展開も見通せるので、お得感が半端ない。ゴリゴリの理論書なのに、都市を歩いたり眺めたりするときの身体的な感覚にも響いてくるし、真摯に理論と格闘する研究者の倫理が全編から感じ取れる良書だった。各論も掘り下げたいし、これもレジュメ切るなり何なりしてきちんと読みこなしたい本。


〇『福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇』(辻野弥生著、五月書房新社、2023年)

森達也の映画を観て読んだ。地道で綿密な取材に基づく考証で非常に勉強になったし、改めて最悪な事件だと思ったけども、同時に、今日の人権感覚に照らしてこの事件を語る事については直感的な違和感があった。この違和感が正当なのかどうかはまだわかっていない。


〇『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(加藤直樹著、ころから、2014年)

これも森達也の映画の流れで。宇多丸さんが推していたのも大きかった。関東大震災の後の流言蜚語に起因する虐殺が、相当に広い範囲で行われていた事実に驚愕する。事実否定や正当化に勤しむネトウヨやクソ政治家どもは論外としても、あれやこれやと論じる前にまずは知っておくべき事だと思った。


〇『高橋ヨシキのサタニック人生相談』(高橋ヨシキ著、スモール出版、2018年)

高橋ヨシキの『激怒』という映画が面白かったので。やっぱめちゃくちゃ頭いい人なんだなと。質問に向き合って対話する作法というか仕草というかそういうのが心地よくて、素朴な言葉で根拠を示すのが上手いと思った。「「人を殺していいか」と質問してくる奴は倫理的判断を誰かに委ねる可能性があるので、その質問が来たら「絶対に人を殺してはいけない」と答えるようにしている」とか、なるほどと思う事多かった。あと、これはネットでも読めるけど、希死念慮に関する回答には本当に救われる。


〇『訂正可能性の哲学』(東浩紀著、ゲンロン、2023年)

人間の不完全さやしょうもなさに真正面から向き合わない限り、今の民主主義の隘路は打破できないよ、という事かと。訂正可能性というコンセプトは生活の実感と地続きで腑に落ちまくるし、アレントにせよローティにせよ個々の思想家の要約と展開が分かりやすすぎてビビる。ルソーの振舞いを明らかに東浩紀自身に重ねている感じもエモい。具体的にうまく言語化できないのだけど、『一般意志2.0』や『観光客の哲学』等々とリアルタイムで追えていたので、東浩紀の思想や立場の微妙な立場の変化が感じ取れてよかった。個人的に一番好きな東浩紀の本は、震災の後に書き溜めた短文を集めた『テーマパーク化する地球』という本で、特にあそこに再掲されている『一般意志2.0』の文庫版あとがきや、あるいは加藤典洋論が印象に残っているのだけど、震災やポピュリズムの隆盛を受け、「転向」のような分かりやすいパフォーマンスではなく、真摯に思想を変化させていく感じには頭が下がる。一人の思想家の本を長く読み続けるのは良いなと思った。


〇雑感:noteについて

何年も前、はてなブログでこういう風に読んだ本をまとめていた事があったのだけど、今年から再開するのにあたって記事を全部noteに移した。

noteというメディアはよく分かっていなかったけども、デザインはとてもよくできていると思った。基本的にあまりユーザーにアレンジの余地を与えず、誰がどうやってもそれっぽいルックになるようにしているのだと思う。これは今のwebサービスや、飲食や小売チェーンのサービスにも似ているような気がしていて、設計上想定されているもの以外の行動パターンを許容せず、エンドユーザー個々のカスタマイズの余地は最小限にする、という感じな気がする。

殊に文章に限って言えば、このやり方はとても良いと思う。おそらくそれは、自分は文章を「素材」として考える癖があるからだと思う。下線や太字みたいな文章装飾はあってもなくても良いし、ぶっちゃけあれで読みやすくも読みにくくもならないと思っているので、プレーンテキスト流し込むだけでそれっぽく見えるnoteはとても民主的だと感じる。もちろん、やろうと思えば色々できるんだろうけど。

ただ、若干の説教くささも感じた。ユーザーの事を「クリエイター」と呼ぶのも閉口したけど、自分が獲得したメンションの数だけじゃなくて、自分がしたメンションの数までいちいちアラートしてくるのには驚いた(あなたは今週は〇〇件いいねしました!みたいな)。もちろん収益化なんて全く興味ないので、こうしたらリーチが伸びるだの何だの言われてもなあ、とも思う。労働者としての市場価値を高め続ける主体がロールモデルとして想定されてるんだろうし、おそらくは広報ツールとして活用する団体にも向けてるんだろうとかとも思うけど、まあ単純に、TwitterとかInstagramよりは投稿のハードルがめちゃくちゃ高いのでユーザーの行動を活性化するのが大変なんだろうと思う。