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アキタカタ暮らしの美術館|chapter 3

土地の力を、器にこめる。
地に足のついた暮らしの先にあるものづくり

朴禾(ぼくか) / 佐々木りつ子 さん


その人は、器をつくる。あたたかみがあり、土の香りを秘めたような器。同時にその人は、暮らしを大切にしている。畑を耕し、小麦を育ててパンを焼く。

暮らしと仕事。かつてこの二つは不可分だった。農作業も、機織りも、みそづくりも、あらゆる仕事は衣食住のためにあったから。それがいつしか、お金を稼ぐ仕事と暮らしは区別されるようになった。 

佐々木りつ子さんはそれを少しでも元に戻そうとしているのかもしれない。まずは暮らしのための仕事があって、その中に作陶もある。そういう順番で器をつくっている。


セルフビルドで工房を建てる

広い敷地に、建築雑誌に載っていそうな黒壁のシックな建物が建っていた。朴禾(ぼくか)という屋号の陶芸家、佐々木りつ子さんの工房兼アトリエである。足を踏み入れると、ほどよい緊張感と居心地の良さがいり混じった空間。今ここの半分は作業場、半分はギャラリースペースになっている。棚にはマグカップやお皿、植木鉢などの作品が空間に溶け込むように並んでいた。

この建物を、佐々木さんが友人と二人でつくりあげたと聞いて驚いた。

「はじめは『100万円の家づくり』という本に触発されて(笑)。経験があったわけじゃないので、何度も失敗しながらで、すごく時間がかかったんですけど。時々見に来てくれる大工仕事のできる友人がいて、その人に手伝ってもらったり、周りの人たちに助けられて」

建て始めたのが2004年。どうにかこうにか工房が完成したのが6年後の2010年だった。


すべては素材ありき

「どうしたらもっと地に足がついた感覚で生きられるんだろうってずっと考えてきたんです。そのためにはもっと食べることとか、土臭いようなこと、暮らしといってイメージできることをちゃんとしたいと思うようになって」

結婚を機に、工房から車で15分ほどの川根という集落に暮らし始めた。現在はそこでご主人と半自給自足の生活をおくっている。

ご主人は木こりの仕事をしながら不耕起栽培で米をつくる。佐々木さんは畑担当。夏野菜や冬野菜、小麦も大豆もつくる。パンが好きで、育てた小麦でパンを焼いたり、麹や味噌もつくったり。ずいぶん暮らしに時間を割くようになった。

そんな風に生活していると、素材に目が向くようになる。麹もパンも、素材ありき。自分で育てた素材を発酵させたり加工したりして食べものにする。それを自分が吸収して…とすべてが循環していることを意識するようになった。焼き物も同じではないか。

「それで焼き物の土も近隣で採れたらいいなと思うようになったんです。もちろん高いお金を出せばいい土は手に入るんですが、ただ四角いビニール袋に入った粘土を練っても何も感じない。それって素材が生きてないってことだろうなと」

するとある時、近所の畑が工事で大きく掘り起こされ、地面から粘土質の土が見えていた。これは使えるかもしれないと付近をウロウロし、交渉して持ち帰った。触って驚愕した。

「なんじゃこりゃ〜って。もう感触が全然違っていて。何なら石やら根っこやらも混じっているんだけど、手からぶわぁっていろんなエネルギーが感じられて。練るのがすっごく楽しくて」

土地のもつ力がぐいぐい伝わってくるようだった。
いい土があれば佐々木さんが喜ぶと知って、近所の知人たちが情報をくれるようになった。「今また工事で掘り起こしてるよ」「この土使えんかな?」「いい土があったから、一袋もってっちゃる」と声がかかる。すべての作品には難しいが、植木鉢などには近隣の土を使うようになった。


暮らしの痕跡

佐々木さんはもともと安芸高田市高宮町で生まれ育った。高校、大学と地元を離れて進学。卒業後、陶芸の道を志し、焼き物の産地、瀬戸で陶器の会社に入社。1年間訓練校で修行した後に長野の阿南町へ移り陶芸教室の講師をしながら個人で作陶を始めた。

地元に戻ってきたのは23年前。ひょんな出会いがきっかけだった。たまたま帰省していたとき、近所に面白い人が越してきたと聞いて遊びに出かけた。

「フランス料理店のオーナーだった方なんですけど、入った瞬間、うわぁってなるくらい素敵な家に住んでおられて。吹き抜けで天井が高くて。この人の家に陶芸の設備があって、今は使ってないから使ったらって言われて」

これが一つのきっかけになり、地元に戻ってしばらくはその家に通い、焼き物をつくっていた。

「その方の暮らしがまたすごくクリエイティブで。朝から今日はごみ箱をつくるんだって鼻歌まじりにインパクトドライバーもってきて、DIYでおしゃれなごみ箱をつくってみたり、鶏小屋がカラフルだったり。そういうのを見ていたら、私も暮らしをちゃんとしたくなったんです」

ちょうどその頃、今の工房の建っている土地と出会った。その場所に、ゼロから大きな建物を友人女性と二人で建ててしまったというのだから、すごい。

結婚するまではこの建物で作陶しながら、その友人と二人で暮らしていた。自分たちが居心地がいいようにつくった空間。庭の畑で野菜を栽培したり、馬も飼い始めて理想の暮らしを手に入れたはずだった。

「それが何というか。すごく楽しいんだけど、ここにいるとずっと地に足のつかないふわふわした感じで。その違和感が拭えなかったんですね。いつまでもおままごとしているみたいな」

結婚して今の古い家に住むようになってふりかえれば、工房には長い年月をかけて積み重なった人の営み、その気配が感じられなかったからかもしれないと思う。

いま暮らす川根の家は、建物、土、周囲すべてに、過去に暮らしてきた人たちの歴史と営みの痕跡がある。居るだけで安心感があった。自然に囲まれた環境で、田畑仕事に向き合い、食べものを自分でつくるようになり、おのずと地に足のついた感覚が得られるようになっていった。


暮らしの延長にあるものづくり

川根の家でも納屋を片付けて、もう一つの工房として使っている。農業が忙しくなると田畑と工房を行き来する日々。土まみれになりながら「田んぼの泥だか、陶芸の土だかわからなくて」と笑う。

自然に近いところから生まれるものだからか、佐々木さんの器はしっくり手になじみ、どこかほっとする。

暮らしに時間を割くようになって、制作のペースは以前の10分の1ほどになった。

「以前はとにかく器をつくることに時間も労力もかけていたので。展示会になると夜中まで仕事したり、食べることがおろそかになって身体を壊したり。それをずっと続けていく作家さんももちろんいると思います。数をつくればそのぶん上手になるし。でも私に合ってるかって考えたら違うと思ったんです」

たくさんつくってたくさん売る、売れっ子作家になるより、もっと地に足をつけた暮らしから生まれるような器がつくりたい。そう思うようになった。


心からつくりたいものでつながる

佐々木さんは、自分は職業としての「陶芸家」ではないと思うようになった。
だがその境地に至って改めて自分にとって陶芸が大切なものであることに気づいた。

「以前はどこか、これなら売れるだろうという思いが頭の隅にあってつくっていたようにも思うんです。それが今は、こういうのつくりたい! って気持だけでつくることが増えて。本当に好きでつくったものを、どうですかって世の中に送り出すような」

そうした気持でつくった作品を〈Instagram〉で発信すると、「欲しい」と言ってくれる人たちと直接つながり始めた。

オーストラリア在住の人からメッセージをもらうこともあれば、同じ小麦を育てていてつながった北海道のパン屋から器のオーダーがくることも。島根の「くらしアトリエ」という山陰のものづくりを発信するNPO法人の運営者が気に入ってくれて、毎年開催される器の企画展にも出展するようになった。

「そのお店のお客さんともつながりができて。展示会の最後の2日間は大きい古民家で開催したんです。去年はコロナでほとんどオンラインでしたが、お客さんに直接見てさわって買ってもらうことができるのが、ああやっぱりいいなって」

結婚してご主人の稼ぎもあり、自給できることも増えて、お金を必要とする割合は減っている。

でもお金は別にして、自分が好きでつくったものをいいと言ってくれる人が一人でもいることが嬉しい。

最近では身の周りでも、作品が売れるようになっている。

「マグカップを使ってくれた美容院の人に新しいのを持っていったら、たまたま来ていたお客さんも買ってくれて。クリスマスプレゼントにしたいとか、奥さんにとか。結婚祝いにも使ってくれたりして。前の窯で焼いた分がほとんどこの冬の間に売れたんです。自分のつくったものが身近なところで循環していくのがいいなって。それがまた活力になっています」

田畑で育つもの、陶器の材料となる土など、あらゆるものを土地から吸収し、形あるものに変換してこの世に生み出す。それが誰かの役に立ち、間近に見えるよろこび。自分を媒介にしてできる循環。

今の佐々木さんは、暮らしと作陶の両輪でしっかり世の中とつながっている。そして以前にまして自分の内からあふれ出すものを形にしている。「自分は陶芸家ではない」と思ったところから、より陶芸家らしいものづくりが始まったのかもしれない。

(文・甲斐かおり)


甲斐かおり
ライター、地域ジャーナリスト。日本各地を取材し、食やものづくり、地域コミュニティなどの分野で生きる人の活動を雑誌やウェブに寄稿。著書に『暮らしをつくる』(技術評論社)、『ほどよい量をつくる』(インプレス)


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