精神病の療養は楽なものだと思っているあなたへ

「まあよかったじゃない、一年半もゆっくりできたんだからさ」

というようなことを先日従妹から言われたので、

「療養中なのに、楽?」

と私が強めに言い返したら彼女は黙っていた。自分がいけないことを言ったというよりは、私を怒らせたことに反応しているようだった。

彼女の発言を経て、同じセリフを母親に言われたなと思ったので記しておく。

私は2017年の9月の末、同僚に叱責されて動悸と涙が止まらなくなり、マネージャーに一報入れて次の日にメンタルクリニックを受診し「適応障害」の診断を受けてそこから先日、2019年の3月初めまで「治療のため療養」していた。

初めの三か月は、眠れなかった。覚醒しているような、眠っているような状態で、味覚も視覚も聴覚も鈍ってしまい感情にも膜が張ったように動きがない。ただ、悲しい、悔しい、ゆううつ、死んでしまいたい、消えてしまいたい、自分には存在価値がない、そのような気持ちがさざ波のように押し寄せては返して、押し寄せては返してを繰り返す。体力は落ちており、200mも歩けば背中が痛み、ミシミシと全身から音が鳴るような感じがして、熱いのと苦しい、背中が痛い、泣きたいという気持ちになる。

それが過ぎると薬の調整に入っているので、妙な高揚感が出ていたり、もしかしたら大丈夫かもしれないという希望も生まれるが、体調面では睡眠サイクルがくるってしまうたびに、ゆううつにさいなまれる。自分は無力で、愚かで、このまま死んでしまいたい、消えてしまいたいと思っている。だが、表面上は体力を回復するために努めていますと、周りには言わない。薬の調整は、飲むたびに吐き気が来たり、猛烈な眠気で寝たり、酷い頭痛で寝込んだりする。それでも、昼寝はするな、寝るなと家族には言われたりする。せめて外に出ろと言われるが、体力がないため1時間ほどで背中が痛くなる。

このまま回復して会社に戻っても、きっと私は、無価値のままではないのか。同じことの繰り返しだと、このころはまだ感じている。

2018年の初め頃、鬱や精神病、ADHDへの理解がない実家から東京の自宅に戻る。

ここからはひたすら、睡眠サイクルが乱れると落ち込み、眠るために歩き回るが5キロ程度で次の日からだが痛くなるを繰り返している。緩慢的なPMSの影響である全身の痛みとゆううつと、躁状態にさいなまれる。その状態でも、家族などからは「将来はどうするの?会社は?実家に戻ってくれば?心の病は気からというから外に出ろ」というようなことを言われて連絡を絶つ。

雲が厚く心を覆っているような感覚だったのが、変わってきたのは、この辺でマインドフルネスを主治医から勧められたのと、ずっと続けていた創作で周りから評価を得た。そしてその評価によって人間関係が広がり、その相手に「あなたは別に人より劣った人間ではない」と告げられたことによる。

この辺から、マインドフルネスをしようとしても無理だったりしんどかったりが続く。雲が覆ってきたり、風が吹いて晴れたりを繰り返し、体調面では睡眠サイクルが乱れたり、食欲が低下してしまう。

2018年、夏ごろから主治医に胃腸や体調面の補助となる漢方を処方される。食欲はよく低下するが、この漢方によって食べなくなるということは減る。また、プールに行き初めて、回数はこなしていないが外に出て体を動かせる自分に気づく。

このころに会社に復帰を希望するが、体力面で主治医とカウンセラーに止められる。

ようやく、PMSの治療をしようと思い立ち、婦人科の予約をする。皮膚もボロボロになっていたので治療するために方法を模索する。

納得のできる婦人科に2018年9月ごろ予約でき、治療開始。それまで月の半分はPMSのメンタルの波と、心身に及ぼす影響で動けない日もあったが、定量ピル治療により頭痛が続くがメンタル面での安定や、客観的に自分を評価できるようになってくる。

このころに自分は小説家になりたいが、落選した作品やイラストを描きたいという気持ちを踏まえて絵本を書き始める。そしてイベントに出て、本になった自分の絵本を見て自信を持つようになる。そのころから、自分を大切にしない人間には誠意を出さないと決め、実行するようになる。

2018年11月ごろに、復帰をいつにするかという話し合いが上司とはじまり、体力回復に完全フェーズ移行が決まる。

睡眠サイクルが乱れたり、ここらへんで経済的に完全に貯金を失い、傷病手当支給の期限が目前に。実家に帰るか貯金をすべて使い切り一人で復帰を目指すかを選択。

手元にある貯金を守るために、実家に帰り、アル中で買い物依存症の父親とアル中の父親と共依存で無自覚なADD(無自覚なパニック障害、躁鬱)の母親のもとに帰る。乱暴な猫に振り回されながらも仲良くなり、復帰を目指す。

2019年3月無事復帰。

ここまで来て、精神病の何が恐ろしいかというと「自分で自分の命を絶つ」可能性があるということ。私は、それを誰にも言わなかった。2018年の10月ころようやく、カウンセラーに明かせるようになった。

私はずっと、死にたかった。心を暗雲が覆うたびに自分が何者でもない無価値なものであると自覚するたびに、消えてしまいたかった。

体はとにかく「しんどい」に尽きる。症状は千差万別だが、鬱はとにかく心ではなく体に大きな影響を及ぼす。私は背中が痛くなり、体力はなくなり、数メートルで腰が痛くなる。眠りは浅くなり、悪夢を見続ける。すっきりと起きることなどなく、夢遊病のような気持ちで自分を取り残して世界が猛烈なスピードで進んでいく。

薬を飲むまで辛い物が苦手だったが、薬を飲み始めてから味覚が変わった。聴覚も変化し、聞こえなかった人の声が聞こえる。人の視線の動きが目につき、心の動きも読むようになった。常に自分は「特別である」という気持ちで光が指しているという思い込みをしなければ家から一歩も出ることはできない。また、多少肌が汚くとも化粧をして自分を「武装」して出ることも増えた。

「その一年半は貴女に必要だったのよ」

という人もいる。その障害があったからこそ、あなたは今輝いているからと。

そういうことを言っちゃう自称「いいことを人に伝える伝道師」たちに伝えたい。

ようするにダンプカーで念入りに体と心を轢かれるような目にあったのだ。あなたは、交通事故に合った友人や知人、家族に果たして同じことが言えるのだろうか?

ちなみに私の母は、この手のことを平気で言う。つまりは想像力、客観性ががないのだ。


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