17歳のカルテ

「女子の生き様」というリリーさんの本があって、たしかそれを俺は高3くらいのときに読んだんかなぁ。
なんとも女子の世界は大変やなぁ。という印象を持ち始めたきっかけやったと思う。

それからいままでに付き合った人とか幼なじみの女友達とか、いろんな場面で女性の方と出会ってきたけど、その人たちになにか影響されて自分が少しずつ作り上がってきていると思っている。

この映画はたしか20歳の頃に一度観たことがあったけど、ウィノナライダーの可愛い顔面とアンジェリーナジョリーの唇しか記憶に残っていなかった。

でも、10年以上経って昨日鑑賞したら、ここまで自分の感情が変わっているのかとこの映画で実感したね。

俺はこの映画に出てくる女性たちが大好き。
みんな綺麗な心やなぁと思う。
こんなこと20歳の頃には思えていなかった。
だからこの映画は印象に残っていなかったんやと思う。

この映画の中でも特に響いたのは、なんでヤリチンは批判されないのにヤリマンは否定されるのかということ。
これと全く同じことを三輪ちゃんがいうてたな。

俺の出会ってきた人達はどちらかというと男性経験が豊富な女性たちが多かった。
だからそのような女友達は「師匠」と呼んでいる。

地元には師匠が何人かいて、1人は自分のことを「うちタイガーウッズの病気と一緒やねん〜」と昔言ってた。

もう1人の師匠は「あのさ、相談したいことあんねんけど、うちってヤリマンなん?」
という質問をしてくるような師匠で、これはマイケルジャクソンって整形なん?と同じくらいの問いかけであったから余計に答えに戸惑った。

とてもポップな話である。


そんな師匠達は、素直で真っ直ぐでときには弱くて強い。

そして綺麗。

もがきながら生きているという生き様を教えてくれるかっこいい女性達だ。

その師匠達がこの映画のように否定される理由はどこにもない。
女性の多くはそんなときもあると思ってる。

なんだか話が師匠達の武勇伝になりそうなのでここで引き返そう。

さらば冬のかもめ編の投稿にも書いてるけど、
正常と異常の線引きなんかないと思っている。

この映画の時代背景は60年代。
これは公民権運動やベトナム戦争でアメリカが揺れ動いた時代。
ロックンロール、ドラッグ、フリーセックスという、
いわゆるカウンターカルチャーの時代。
親達は自分の子供のそんな姿を見たくなかったんじゃないかな。
だから自分には受け入れられないことを病気という言葉で片付けた人たちもきっといる。
これが正常と異常の境界線の正体だと思っている。
エクソシストもそういったものなんでしょう。

映画の途中でザ・バンドの曲が流れるシーンや、弾き語りのシーンなどなど音楽だけでもグッとくる。
アメリカ人にとって自由を考えるときはきっと「イージーライダー 」を連想するんやろうな。

同じ精神病棟の映画である我らがジャックニコルソンのカッコーの巣の上でとはまた違うけど、ほんものの女子の生き様をこの映画で観れてなんだか嬉しい気持ちになりました。
なんか「17歳のカルテ」の話よりも師匠達の話になってしまったけど、きっとこの映画が好きな女性には響くやろう。

ちなみにいまでは師匠達も良いママになっている。

このご時世にちょっと良い話。

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