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幸運な病のレシピ 2021年1月11日(2529)〜2021年1月20日(2541)

代謝についての本は多い。結構買ったが余りできの良いものはない(笑)。何よりも、「代謝」は全て解明されているのだと言う奢りが見えて不愉快になる。もう一つは「人間ファースト」な視点である。

代謝についてわかりやすく説明してほしいと言われた。そこのたどり着くまでに、まずは「生命」とは何かということを話したい。

僕は「身体というコロニー」と言う言葉をつかう。つまり、私達動物や植物というのは、サンゴ礁の様に目に見えない小さな生命(細菌や細胞やウイルス)が集まって出来たものを考えている。

陸上という乾燥環境に「生命」が生きるためには、身体というコロニーの内側に「海」を作る仕組みを見つける必要があった。

まずは植物について少し書きたい。

「植物」は葉の一枚一枚が生物で、互いに協力しあって「幹や根」に栄養を与え、根から生命の元を受け取り維持される「コロニー」である。

根から葉へと水は流れる。一枚の葉の中には多数の細胞が存在して、根から「水と様々なマイクロバイオーム」を受け取り、葉から水は蒸発していく。

葉から根には「デンプン(ブドウ糖の連鎖)」が流れる。根は光を浴びないから自分では光合成を行い生きることが出来ない。葉の光合成によって結び付けられた「炭素と水素+酸素(ブドウ糖:C6H12O6)」をミトコンドリアで分解して(遊離水素を使い)ADP->ATPのリサイクルを行うのだ(その意味では根は動物と同じである)。

「植物」と私達が呼んでいる「生命のコロニー」は面白い。全く異なった役割と性質を持った「根と葉を幹がつないでいる」奇妙な共同生活である。そして彼らをつなぐものは「水」なのだ。葉は水に光合成で作った「炭水化物(デンプン=ブドウ糖)」を満たす。それぞれの細胞は水の中に様々な代謝物を押し出して、デンプンを受け取る。

冬になると葉は落ちで春になると芽が出る。これをコントロールしているのは「根・芋」であり発芽のメッセージ物質も有るという。葉はおまけなのだろうか?「根・芋」が生命の主体なのだろうか?

水を組織の内側に満たそうとする「根」は土中から水を汲み出す。当然、一方通行で外には漏らさない。組織特異性が維持されるのだ。根の内側に満ちた水の中には多くのマイクロバイオームが入り込んでくる。

根は大地からの生命の入り口だ。葉から水分は放散するので上に水が得られる。冬に枯れ落ちて、春にもう一度生まれる。植物は何万年もの寿命を持っているわけではない。毎年死んで新たに生まれるのだ。

根は「茎、幹」と言う「壊れない構造体(簡単には破壊されない食物繊維で出来ている)」の中に水を満たして生体ミネラルを均一に溶かす。結果的に葉には様々な生命の要素がたどり着く。

生体ミネラルというのはタンパク質や脂質でミネラル(無機質)を包み込んだ状態のものを指す。根は外部から水を吸い上げて、葉に向かって押し上げるのだ。                後ろ半分に続きますー>

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リアルタイムの更新はインスタから御覧ください。

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1月20日 ----kg 牡蠣蕎麦、残り物軍団、煮しめ、生姜焼き、焼きそば


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煮しめを作った。

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牡蠣飯の牡蠣を蕎麦にして食べた。超美味しい。こういう食べ方も有るものだと知った。

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1月19日 99.4kg とんかつ、キャベツかき揚げ、マユのご飯


夜、娘が寿司をおごってくれた。


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1月18日 99.5kg 胸肉のグラタン、巻昆布(本乾ニシン)、パスタ(ベーコントマトソース)



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1月17日 ----kg 青椒肉絲、鮭、ヌカイワシ

夕食からファスティングを始めた。

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1月16日 ----kg カキフライ、牡蠣飯、すき焼き、身欠きにしんの昆布巻

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1月15日 ----kg 煮しめ、細うどん、パスタ

この前からパルジャーミノを使っているが激旨である。パスタソースは平野屋ベーコン。極楽である。

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1月14日 ----kg カレー

出張で少し離れた所行った。帰りにスタバ行った、贅沢である。



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1月13日 ----kg 煮しめ、焼き鳥、刺し身




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1月12日 101.2kg 平野屋ベーコンのパスタ、汁、揚げ物一式、ソーセージピーマン


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夜はパスタに汁を作った。寂しく一人でたべておった。パスタはもちろん平野屋ベーコン

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唐揚げ一式である。

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ソーセージとピーマンは大好きなのだ。

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1月11日 101.6kg 

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つまり、生命というのは、細胞の集まりであり、様々な生命が集まって「海」に浮かび、互いに様々な物質をやりとりして生きていると言うモデルである。互いに希少な価値を競うこともあれば、共に生み出す場合もある。最終的に、コロニー自身を維持することを目的にしているようにも見えるが、そうでない(好んで破壊する)ようにも見える。

医学や栄養学は、細胞は生物のパーツであり従順に機能を果たして全体はきちんと動くと言う考えかたである。まるで工場で作られた自動車のようにである。この考え方こそが、生活習慣病と向き合っていけない原因なのだ。

全ての生命の要素が「合目的」に出来ていて、壊れたら変える。病院は自動車の修理工場のような様相である。

だから、歳を取るのが病気だと扱われる。大間違えである。

自分も年取ってみれば分かる。そして、自分は病とは関係ないと思い込もうとする。それが、「病」への偏見となり、いずれ時分へ返ってくる。

僕はそんなことはマッピラである。医者の言うことを聞いていたら皆そうなる。統計的にはそうなってしまうのだ。

年取っていけば検査値は基準を離れ始める。これはアタリマエのことだ。そうなった時に、その人なりの姿に食事を変えて現実に向き合わなければならない。

ところが医師や栄養士は「政治的に正しい栄養学」を振りかざし、その食事で検査値が変わるのを病気といい、「よく効く薬」で検査値を正常にしていただける。

年取ったからと、何種類もの薬を処方され、同じ様な手術を繰り返し、「経管栄養、胃瘻、輸液」で管で繋がれて、拘束されて、ミイラのようになり、に年金ATMとしての人生の終わりを迎える。安心するがいい、最後の方は薬で何の苦痛もないから。

ピラミッドに死体を隠して文明を笑うことは出来ない。僕らは施設に老人を隠す。

石坂啓老人のえt

安穏族 石坂 啓さん、安穏族

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書きかけです。僕らは植物(根から葉までの総体)をあたかも一つの生き物のように扱うけど、そういう見方は間違えのもの。同様に、動物も同じ。

そして全てのマイクロバイオームに共通する生命のルールは存在する(様に見える)。だからウイルスは細胞生命にセックス(DNAのシェイクと増殖)を委託する。

挿し木という行為を考えるといい。水(生命の元)を共有することが出来るならば他の種でも生きていける。

DNAを全体の設計図と考えるとこれは説明ができない。細胞のプロトコルと考えると何ら問題なく理解できる。多くの神話や、物語では植物に恋する人の姿を見ることが出来る。

食事とセックスはよく似ている。と言うよりも同じものである。

セックスのほうが気持ちいけどな。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。