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幸運な病のレシピ 2021年1月1日(2518)〜2021年1月10日(2529)

いずれ僕らは皆死ぬが辛い死に方は御免被りたい。できれば病院や施設で管だらけになって死にたくはない。高度医療で人生100歳まで健康だなどと言うが、無限に続くとでも思っているのだろうか?
若くて生きのいい臓器を買うことができればそれなりに長生きするだろうが。脳はちと難しい。秦の始皇帝に限らず金持は永遠の命を求める。医者は口先上手く永遠の命を約束するが高度医療の結末は余り嬉しくない。金で買えるものに碌なものはない。

医療のあり方は「病因」が特定の組織にダメージを与えた時に、その「病因」を取り除くところまでは納得がいく。治療に始まりと終りがあるものである(と言うか、そうでないものを治療と呼ぶのでおかしなことになる)。

結核になったらストレプトマイシンを受ける。骨折したら治療受ける。いずれも原因があり、身体自身では解決できないトラブルである。そして、これらの「治療」は「病因」が解消されることで症状も消える。ある程度ダメージが残ることは有るが元に戻ることが出来るのである。

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では、「脳・神経、心臓、血管、腎肝膵脾、肺胃腸、皮膚粘膜、眼鼻耳触」といった再生が出来ない組織の不全、細胞自身の当たり前の機能の暴走(ガン・自己免疫疾患)「膠原病・難病、リュウマチ、痛風、骨粗鬆症」は病なのであろうか?

医学は「治療」といいながら、「病因」を取り除く事ができない。なぜならば、これらの「身体の状態」は分かりにくい「身体障害」なのだ。医師はあたかも治療で治るようなことを言い、薬を売り同じ様な手術を繰り返しながら最後は「経管栄養・胃瘻・輸液」で管だらけにして、「よく頑張りました」とお褒めの言葉をくださる。僕は頑張りたくない!

僕は、「商品化された食事」に問題があると思っている。食事というのは生命を受け取り、身体というコロニーの中に細胞生命と、食事の中の生命が共に生きることなのだ。

身体というコロニーに食材の持っている数十億の細胞とその組織の水に溶け込んでいる「代謝物」が入ってきて、食材の生命を受け取り、自分の細胞をに再生していくのである。輪廻転生とはまさにこのことである。そして、食事の範囲(食物連鎖のレンジ)の中で生命(細菌・ウイルス・ホスト細胞)は共に生きていく。考えてもらいたい、「必須栄養素」という自分では作れない代謝物を作ってもらっているから僕はここに生きている。サプリメントで用足りるなどというのは余りに酷い思い上がりだ。そんな思い上がりが生活習慣病などというフェイクな病を作り出しているのだ。

ウイルスや感染症を起こす細菌や起こさない細菌、セックスをすれば体液は交わり、芽吹きの季節には花粉が舞い症状を起こす。目に見えはしないが、世界はマイクロバイオームで満ち溢れている。

しかし、商品化された食事は「乾燥・抽出・濃縮工程」を東リそのプロセスで大事なものを捨て去ってしまう。そして医者や栄養士はそんなものに太鼓判を押す。

炭水化物というコスト安く満腹になる「嗜好=依存」の食事は、これらの「生化学物質=生命」を食事から押し出してしまうのだ。医学が意味がないと切り捨てた物の中にこそ本当に大事なものがあったのだ。

---->記事の終わりに続きます。

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1月10日 101.0kg 混ぜご飯、しゃぶしゃぶ鍋、ズッキーニサラダ、ラーメン


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昼

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混ぜご飯、ポン酢で食べるしゃぶしゃぶ鍋、ズッキーニサラダ、昨日のポテサラにズッキーニを切って入れた。キュウリよりくさみがなくて美味しい。

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1月9日 101.0kg 茄子のトロトロ、刺し身、餃子、ポテサラサンド、カルボナーラ

夜

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茄子のトロトロ、餃子、刺し身(1000円になった4000円のやつ)

昼

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僕サンド

妻弁当

妻のパートのお弁当を作った。いつもは揚げ物だが、パスタがあったのでサラダバーになった。ポテサラは、僕の大好物。

朝

パスタ


アーリオオーリエを平野屋ベーコンで作った。美味い。パルジャー味の使った。ぜんぜん違う。

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1月8日 101.2kg 

1月5日からこちら酒のんどらん。あっという間に体重は下がる。問題はこのまま続くかである。食事(「過食拒食依存自傷」)は関係性の中で起こる。関係性の中で自分が殺されようとするときに起こる心当たり前の反応なのだ。家族というシェルターが機能していないのである。

夜

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動画は準備中

餃子とすき焼きのつもりが疲れ切ってすき焼きのみになった。餃子は明日。

昼

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揚げ物は残ることが多い、こうして食べることが一番。
レバカツも入れた。なんでも入れられる。竹輪だけを卵で閉じると「木の葉丼」と言うそうだ。バイト君が言っていた。

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1月7日 ----kg 揚げ物、牡蠣鍋、タルトタタン


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仏壇に供えたりんごを使って、タルトタタンを作った。父はいつもヨーグルトを喜んで食べていた。僕は生のりんごが嫌いなので、生では食べられない。あまり古くなると悲しいのでタルトタタンにしてヨーグルトに乗せて食べた。薄切りにしたリンゴをバターでジクジクにして、シナモン、ナツメグ赤ワインと砂糖で煮る。夜食であった。

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揚げ物を作った。妻がパートなので週に2-3回はあげる。5年もやっていれば上手になる。夜は牡蠣鍋、一人であった。

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1月6日 -----kg イワシ、おでん風煮しめ

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1月5日 103.0kg ヌカイワシ、汁、ソーセージピーマン


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1月4日 -----kg カレー、カルボナーラ


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おせちに飽きてカレーである。パスタも食べた。

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1月3日 -----kg カルボナーラ、お寿司

夜

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昼

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カルボナーラ

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1月2日 -----kg 八宝菜、豚味噌焼き、

夜

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トンカツ肉を味噌で炒めてもらいたいと言いうリクエストで、味噌につけたのだが、フライパンで炒めたものはどうもスキでない。焦げてしまうし、脂がビチョビチョ感があり、好きにならない。
トンカツ数日前にしたので違ったものが食べたかったので魚焼き器で焼いてみた。最初から弱火で5分刻みで返していった。
うちの使っている魚焼き器の重要なコツは頻繁に返すことと火力調整だ。ガスの魚焼き器ではまた違うので面白い。催事なことは頻繁に手をかけてやることである。相手は生き物である。マニュアル通りには行かない。

昼

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ホームベーカリーで作った餅と、その他諸々である。僕は納豆餅がスキ。昆布巻きは随分嬉しい味になってきた。

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1月1日 -----kg 昆布巻、黒豆、お雑煮、


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朝はお雑煮を作った。夜は肩ロースの炙り肉にそばサラダ、その他色々である。夜中に昆布巻と煮豆をを作った。


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「再生が出来ない組織」は幾重にもガードされている。解剖生理学を学ぶと、巧みに重要な臓器が守られているのが分かる。しかし、1980年台を分水嶺に商品化された食事はあらゆる所に蔓延する。

「自己免疫疾患、揉めば治る炎症、アトピー、花粉症」と言ったサイトカインストームと言われるトラブルは食事を素材化ら作っていた時代にはこれほど顕著ではなかった。

「政治的に正しい栄養学(注)」が私達を殺しているのだ。

僕が自分で食事を素材から作り続けているのは自分のためである。

そして多くの人と共に食事の価値を信じたい。

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注)政治的に正しい栄養学

食事行政は医学の裏付けが必須である。行政の提供する食事で疾患が起こったら訴訟沙汰になる。しかし、問題はどんな食事ならば「政治的に正しい」のでろうか。人の内部は一人一人違う。本来食事はその違いに対応して違わなければならない。「誰にでも効く食事」などというものはない。

感染症には誰にでも効く薬があると思うかも知れないが、それは「病因となる細菌」の持っている特異的な代謝系に対して効果があるのだ。人に聞いているわけではない。時に人にも効果が起こることがあり、それを傲慢な医学は「副作用」と呼ぶ。何も「副」なわけではない。当事者の細胞生命にとっては当たり前の効果なのである。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。