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父の一周忌

今日は父の一周忌の法要であった。家族3人でお寺に行った。位牌堂でお参りしていたが、涙が止まらなかった。もう一年経ったというのにまだ辛い。お布施はしたが、お経はあげてもらわなかった。どうしても、僕の気持ちの整理ができない。

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最後の一ヶ月、医師の言うことを聞いて病院に何回も行った。

僕が父を苦しませたのだ。僕は医師のマニュアルを憎む。コルセット作ったり、何度も連れてこさせたりCTとったり、やらなくともいいことばかりだった。父はどんどん衰弱していったのだ。立てるようになったときもあったのに、トイレに行こうとひっくり返ってしまった。辛かったろうさ。僕は側で寝ていなかったのがいけなかった。

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皆僕が悪い。

今年の母の命日(2021/1/6)につまらぬことで妻と大喧嘩した。いつものように無駄使いが多い(売り上げがないのに)というような話であった。大声で怒鳴り散らしている内に、父を殺したのは自分なのだと言っていた。その時まで、薄々は気がついていたが認められなかったのだ。

皆に親孝行な息子だと褒められるたびに辛かったのだ。その時に僕は自分が悪かったことをやっと認める事が出来た。

毎日父の命日に死のうと思っていた。年金は足らないし、将来も明るくない。

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「寿命だったと思え」とか言う人間は多いだろうが、あんなに苦しむことはなかった。自分では『医師の権威』を信じないと大威張りで言いながら、父には医師の言いなりに通院してあんなに苦しめたのだ。

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背骨の圧迫骨折は安静に寝ている他無いのだ。医療マニュアルは患者を見ない。病態を見るだけなのだ。『政治的に正しい』から、医療ミスとは責められない。

患者の意志こそが重要だと言われるが、知識がなければ、専門家の言いなりになるほかない。医師に訊いたら、毎日(同じ患者は)一人くらいは来るという。すごい数である。

母も同じ様になった(立てなくなって這ってトイレに行っていた)が病院に行かないで無事に歩けるようになった。少し小さなおばあちゃんになって3年位生きて、寝ている間にコトリと亡くなった。2016年のことである。

医療のマニュアルは、金になる手順を書いてあるだけなのだ。そして間違えている。あらゆる人に効果のあるマニュアルなどはないのだ。少なくとも僕が圧迫骨折になったら、通院は拒否する。コルセットもいらない。CTもとってもらわなくて結構。

良いお医者さんもいるし、尊敬できる方もいる。しかし、問題は「経営者や所有者、医薬品メーカー」金儲けがすぎるということである。「民主主義」は金で買われている。市民は従順な「患者・消費者」であれば良いのだ。専門家は、客が無知だといくらでもつけ込んでくる。

僕は、なぜ、最初に病院行った時に「父の骨折を」もっと勉強しなかったのか、悔しくて仕方がない。

かつての医師(町内に住んでいるかかりつけ医)は、家族ぐるみの付き合いをして、患者ともっと距離が近かった。今のようによく効く薬も高度医療もなかった。盲腸でも簡単に人が死んだ時代である。結核にかかったら死ぬ他なかった。その時代がいいとは言わないが、この問題を解決するには、「医療」とは何かという事を根本的に考えなければならない。

もう少しこの80年での社会の変化を考えてから死ぬことにした。本気である。どうせいつかは死ぬ命である。父の敵討ちである。

30年かかったらどうしよう。いかん年金が足らない。

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帰ってきてから早めの夕食をした

食事は一人3000円のお弁当である。
もともとは料亭だったお弁当屋さんでやはり美味しかった。父の座っていた席。

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友人に頂いた生ハムを食べた。美味しかった。

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みんなで「桃太郎電鉄」 をした。

最初「桃太郎伝説」と思っていたので、どんな伝説だろうかと思った。
反射神経はいらないが、やはり僕が一番下位であった。昨今の「人生ゲーム」はこうなるのだなあと思った。カードや色々な仕掛けが面白い。僕の頃はバンカースだったなあ。

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酒のんで足つった。

2ヶ月ぶりの酒である。驚きだ。明後日は従兄弟とまた飲むのだ。

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ウトウトと寝たら、足がつって目が覚めた。ごめんなさい、ごめんなさいと、寝ていて起こされた。これで勘弁してもらえれば良いのだが。

都合の良い時は、薬頼みである(笑)。やはり痛いのは嫌だ。とは言っても心が苦しくなくなる薬は飲む気はしない。勝手なものである。

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このお話の続きです。


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。