サギが来た、ペットカメラの思い出:生命の庭の話
先日、サギが来たと妻が写真をとってくれた。
池の雪囲いを取り浄化機を回し始めたので、少しずつ水が綺麗になってきている。
よくぞまあ、高い空からここを見つける。どうやら2匹が縄張りとしているようだ。時折道路を歩いている鷺と会うことがある。近所の家でも知っている人は多い。
庭にペットカメラを設置した。
このカメラは鷺の様子を見る為に買った。ワイファイで隣の家に電波飛ばすために中継機も買った(笑)。
パソコンで見ることが出来る。
去年は、どうにも出す気にならなかった。鷺対策が落ち着いた頃、父の家に設置した。様子を見るためである。父が倒れていたのも、このカメラで見つけた。カメラなど使わないで隣で寝ていればよかったのだ。そう思うと捨ててしまいたかった。去年は出す気にならなかった。
そんな事を思い出しながら、カメラをセットした。
浄水機は湧清水5型、優秀である。
この機械のことは随分勉強した。じつに巧みにできているものである。撹拌機の交換はできないが、濾材は自分で変えられる(笑)。どうやらこういうのが好きらしい。
近所の家でも使っている。僕が毎年メンテナンスをする(笑)。ご褒美に、いちごをいただける。みな年寄りで、鯉やさんも引退した。
2016年母の逝去以来、庭のメンテナンスをするようになった。最初は、隣の家の庭の草取りや掃除、面倒だなと思っていた。
所がいつの間にか、「庭と生きる」ということがどんなに大事なことをを気が付き始めたのだ。
この庭を守りたいから苦しんだのかもししれない。
近所に、父の姉の子供さんがいる。亡くなった父より1歳下だ。雪がとても多く降る山間に住んでいた方だ。
今でも、散歩している姿を時折見かける。父が在命の頃は遊びに来ては帰っていった。とは言っても、話すこともない。おしゃべり担当の奥さんたちはすでにいない。
車で一時間くらいの山間で人生を送った方である。都会(ここ)に住むということは、身体の一部をおいてきたようなものだろう。
年取った人がどんな人生の終わり方をするのかを知ることが出来た。やがて僕にも来る運命である。必ずやってくる。
馬鹿な医者は「高度医療」などと言うが、年を取ることは病気ではない。再生治療に期待していたことが有ったと思うと、自分が情けない。
樹木は何百年も生きるなどと思うかもしれないが、毎年落ちて地面につもり枯れ葉は土に戻る。「葉」が生命の単位なのだ。根と幹は葉が落ちたあとでは冬眠に入るのだ。常緑樹は、気温に関係なく葉は枯れる。松の葉は春に新しい葉が出た時に落ちる。三交代でいつもフル回転である。
根は葉からのデンプンで水とマイクロバイオームを植物の内なる海に招き入れる。そこで生命が始まるのだ。単に「水」と「栄養素」だけで生命は作られてなどいない。無数のマイクロバイオームが代謝して生命となっていっているのだ。
動物とも同じ「律」を持つ。
そう考えると死は単に生命の姿が変わるだけだとわかる。違ったコロニーで生き続けるのだ。
この庭に埋めてもらいたいものだ。土葬は禁じられたが、僕のお爺さんの世代ぐらいまでは有ったと聞く。
母の放牧をしていた友人のお爺さんは、牧場の端にある墓に埋められたと聞く。そこのお父さんは、酔っ払うと爺ちゃんを掘ってきて酒のまそうと言ったと聞く。
私達の身体が、生命の循環から僕らが切り離されたのはそんな昔ではない。
土葬が野蛮だなどという考え方は愚かで生命を分かっていない。
映画で見る、アメリカの埋葬(ガッチリした棺桶に防腐処理して寝かせるタイプ)みたいなのは気持ち悪い(ミイラみているみたいで)が、棺桶ごと土に返すのは良いなあ(笑)。身体のリンが腐敗とともに湧き上がり夜を照らす人魂になる。
12月に家の雪囲いをして、3月に外す。5月には産卵があり、一年が繰り返される。
雪が消えると、春になるのだ。
母が亡くなった年に沢山鯉が生まれた。大きくなり食べごろとなったら詐欺が来て、沢山食べられた。食べ尽くされる前に気がついて、サギ対策を始めたのだ。
カメラに捉えることが出来てびっくり。
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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。