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素材から料理を作る:自分を生かす食事のガイドライン なぜ毎日食事を作るのか?

酒を飲まないでいて25日、7kgくらい痩せた。しかし、ただ痩せても病気を呼び寄せては何もならない。僕の食事は糖尿病の食事療法の延長なのだが、医師や栄養士の食事指導とは全く異なっている。自分という「細胞のコロニー」は唯一なので、大量生産の食事を食べると無理が出る。「健康=検査値正常」になるには、「薬」が必要になる。

薬やフェイクフード(麺の顔したコンニャクや食べても腸でブロックする薬)で「今の検査値」を健康にしても「明日の健康」は望めない。逆に栄養失調(長期的で単純な因果が見えない)になる。だから、自分にピッタリの食事は自分で作るほかないのだ。

医師や栄養士は、組み合わせたり、食べ方を変えたり、よく効く薬を処方してくれる。それが商売なんだから仕方がない。しかし、それでは自分自身にも年取った時に、『辛い人生の終わり』がやってくることは分かるだろう。統計的に僕らは施設や病院で管付けられて、同じような手術を繰り返し、苦しみながら死ぬのだ。僕はそんな死に方はまっぴらなんだ。

そこでどんな食事のがいいのか考えながら毎日食事を作っている。この記事はその秘密を公にするのだ(笑)。

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1)嗜好品は程々にする

嗜好品というのは、すべての生命(細胞)が否応なく好むものだ。しびれるような快感が走り、誰も抗えない。具体的には「炭水化物」でも、際限なく食べることのできる物だ。「ご飯、うどん、ソバ、パスタ、パンにピザ」それだけ食べていれば「満腹になる食べ方」のものだ。セックスもそこに入る(笑)。

「程々にする」と言っても難しい。まずは、オカズで満腹になって、もう食べれないとなってから食べるようにしている。「別腹作戦」と呼んでいる。スイーツなども「別腹」に少し入れるのだ(笑)。

食事から炭水化物を抜いて満腹になるかをテストするのも良い。パスタから麺を抜いて満腹になるだろうか?飲み会で酒を飲まないで満足できるだろうか?女性と二人きりになって何もしないで帰れるだろうか?

嗜好品との付き合い方は難しい。人生は我慢大会ではないが、耐久試験でもない。

僕はこれを「満腹度テスト」と呼んでいる。

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ご飯60gを少しだけお刺身と食べる。人生のご褒美だ。

炭水化物は毒ではない。余りに魅力的すぎるから食卓から大事な物を追い出してしまうのだ。

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2)好き嫌いを大事にする

食事は身体の中であっという間に形を変える。これを代謝という。血糖値というのは血液中のブドウ糖の量だが、血糖値が高くなるということはブドウ糖が脂質に代謝されないからだ。血糖値が正常なヒトは下がった分のブドウ糖を脂質に変える(事が多い、コルステロールに変えたり胆汁酸で腸に排出したリ生命の代謝傾向は、一つ一つのコロニーでみな違う)。

医者や栄養学者はこの代謝ということに無知だから「バランス」が大事という。炭水化物を食べても、身体の中で脂質に代謝される人にとては意味がない。皿の上ばかりに注目しないで身体の中でどうなっていくのかを知らなければならない。

身体は自分自身の「代謝傾向」を知っているのだ。一見ご飯だが、食べた途端に脂質に変わるならばそれは脂肪と同じなのだ。

ご飯を食べれない人が居る。おそらく身体の中でご飯が脂質に代謝されるから身体は嫌うのだ。自分が嫌うものを無理に食べるとろくなことはない。

誰でも「一様に三大栄養素をバランスよくとるべきだ」という食事指導は私達を殺す。皿の上の栄養素の比率でなくて体内で代謝された後の姿を考えなければならない。そして身体はそれを知っている。

一人ひとりの個性を大事にすることが大事。

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3)作るプロセスを大事にする

僕の煮しめは美味しい。スーパーや売っている弁当に入っている煮しめとは作り方が違う。一度に何百食も「同じ品質・硬さ」の食事を作るとしたら、仕方のないことだ。

椎茸や大根や人参と言ったカットされた材料を蒸して柔らかくする。そしてだし汁にザボっと付けて容器に並べる。そこには食材のミイラしか残っていない。最近は豆を冷凍乾燥させて戻したものも売っている。柔らかくてサラダに良いが、豆の美味しさがない。

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僕の煮しめは、沢山の材料を一つの鍋でじっくりと茹でていく。それぞれの美味しさが押し出され煮詰まっていく過程で吸い込まれ、一つの味になっていく。一週間に2−3回は作って毎日少しずつ食べる。

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4)「商品化」された食事を買うのは避ける

「商品化」というのは難しい定義だ。「500g100円のパスタ」に「100円一人前のレトルト」を買ってきて茹でて食べたら、手創りの食事なのだろうか?

「商品化」というのは、「薄利多売」と言う意味だと考えるといい。カップ麺や乾麺はそれの代表だ。しかし、炭水化物は美味しいのだ。

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細うどんを食べるのだが、揚げ物を作って、トマトを思い切りたべる。1/3人前で満腹になるのだ。

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5)我慢しない

医師や栄養士の食事指導の一つに「腹八分目」と言う決り文句がある。多くのの医師や栄養士は痩せている。痩せている医師は「食べ過ぎるからデブになると思う」これは「代謝学」や「分子生物学」が発達していなかった時代の妄言である。1800年代にその萌芽のある「カロリー栄養学」の考え方だ。

僕は、一人一人は代謝傾向が違うのだから、満腹を感じながら、「つつがなく年をとっていける食事」があると信じている。

今の僕は満腹を感じながら(我慢しないで)人生を生きて食事を楽しんでいる。

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6)医師や栄養士(専門家=他人)の言うことをっ信じない、自分の身体を信じる

誰に「自分の食事作りの取り組み」を話しても、素人の民間療法と馬鹿にされるだけだった。「お前は暇でいいなあ」とか「忙しいからカップ麺でも仕方がない」とか言われる。医師や栄養士が太鼓判押している食品だから良いのだ。政府の認定マークが有るとか「世の中の健康商品」はそんなものばかりだ。

しかしね、医師や栄養士は、あなたのことを知らない。問診も家族構成や一族の病歴も知らない。そのくせ、誰にでも、当てはまる「バランスの良い食事指導をする。

大規模な食事調査やビッグデータの示す確率をエビデンス(証拠)に食事指導をしている。自分たちもコンビニの弁当や病院の食堂でラーメンかっこんでいる。今日の検査値が良いから僕は大丈夫と思い食事を変えようとしない。定年後に病院や施設で苦しみながら死ぬ(確率的にね)ということも気が付かないのだろうか?

僕は食事の価値を見直したいと思う。ワンコインで食べる食事はそれなりの人生の終わりしか迎えられない。選ぶのはあなたなのだ。

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幸運な病のレシピとは

2017年7月以降毎日食事を作る動画を撮ってyou tubeにアップしている。先に書いたように、僕の個人的な体験だし民間療法だ。何のエビデンスも専門性もない。そして僕を愛してくれた母が作ってくれた食事を思い出しながら毎日作っている。

家族を愛して、共に健やかな人生の終わりを望んだ母の食事なのだ。僕は父に5年間食事を毎日作った。その記録でもある。

死ぬまで続けるつもりだ。仕事が忙しい時はメタメタになる。しかし「人生に求める志」はそれ以上に大事だ。

動画を見てもらえれば、僕が実際に作っていることをみってもらえる。そして食べているものも見ることができる。今度食べにおいでよ。

「食事には価値がある」ということを伝えたい。

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酒への依存から抜け出せたのだろうか?

2020年6月23日は国体の中止が決まった。僕の会社は国体の集計システムで成り立って居るのでもう潰れるほかないということになった。しかし、20年頑張ってきた会社を潰すのは辛い。父も3月に亡くなったので、生きていなくともいいと考えた。そこで1年後に死ぬことにした。そうしたら、なんと禁酒が出来たのである。今まで何度も禁酒したがせいぜいで半月であった。それが今回は長い。

この長い道行きの先に何が見えるのか楽しみだ。

人生の節目、色々なことが起こると人の体型は変わる。母が亡くなった時は体重が80kgまで減った。この時は、とんでもない状況でまさに人生の四面楚歌であった。なんとか生き延びたのだが、また体重が大きくなって、105kgにまでなった。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。