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人生の振り返り〜水泳人生②と中学暗黒期編〜

前回までの記事はこちら↓

これまでの人生まとめと自己紹介はこちら↓



中学は市内の公立中学へ進学。
県内公立中でも随一のマンモス校だった。(1学年300人超)


中学校でも水の中ではヒーローだった。
そりゃ競合が少ないんだから目立つのは簡単だ。


サッカーとか野球ってやる人多いでしょ?その中での争い。
でも水泳部って10人もいないわけで。


そもそも確率論からして目立ちやすい上に、3歳からの経験が上乗せされて、目立ち度合いは圧倒的。25メートル潜水とか、バタフライとか。やるだけで黄色い声援だ。


市内の大会では毎回優勝。県大会でも3位以内は確実、たまに優勝。
全校朝礼では全校生徒の前で表彰状授与。


そうやって自尊心が満たされ、満たされすぎて性格が歪んでいってしまうのだ。


本当に調子に乗っていた。
中2の担任からは「有頂天」とあだ名をつけられる始末。


僕の青春を返してくれ。
#自業自得



中学2年生の総体は関東中学まで進出することができた。
当時は中長距離種目に傾倒していた。


ジュニアオリンピック出場を逃して以降、僕が輝ける場所は中長距離しかないとコーチが判断したのだ。(たぶん)


特に50メートルとか100メートルは瞬発力がいるため、体格差やパワーの差が記録に直結してしまう。


また、中長距離を選ぶ層の方が相対的に薄いため、僕みたいに体の小さな選手にとってはまだ勝ち目があったのだ。(スタミナで体格差のカバーが可能)
#This is 戦略


でも長い距離は好きじゃなかった。理由はよく分からないけどワクワクしなかった。

そうやって徐々に水泳に対するモチベーションは下がっていった。

音楽という新しい世界に触れたことで、色々なことへ好奇心が湧いていた時期でもあった。
#詳細は音楽編で


かといって水泳を辞めるほどの勇気もなく、もちろん成長実感はあったから続けていたし、
何より承認欲求もある程度満たされていた。

いや、なんかちげぇ。もっと満たされてぇ。
オラ、ワクワクすっぞのアレが欲しい。

そんな葛藤を抱えながら、毎日練習に励んでいた。全国中学出場という目標を掲げて。


そんな折、原因は今だにはっきり覚えてないけど、僕とスイムメイト2名がコーチに練習を見てもらえなくなるという展開に。


多分、練習に身が入ってないことでコーチの逆鱗に触れたんだろう。コーチは怒るとその日の練習では相手にしてもらえないことがしばしばあった。


練習に参加しても空気のような扱い。指導もなし。


いつもならその日で終わるのだが、何日か続いたようだ。しまいには迷惑だから練習に来るなと(ひでぇ)言われて、日中街中をプラプラしたことも。サボるって楽しいよね。


流石にふてくされた。


「まじムカつく」「もう辞めよっかな」「他のクラブに移籍しようよ」


3人の会話ではそんなセリフが続いていた。


流石にネグレクト?が何日も続くとなると、親の間でも話題になり、本部へ報告されてしまう。結局そのコーチは選手コースから外され、その後退職することとなった。


結局それっきり会話をすることもなくお別れとなってしまい、なんとも後味の悪い思い出だ。


もう一度会うことがあれば、「ふざけんな、やってくれたな(笑)」とでも言ってやりたいぜ、まったく。


でもコーチとしては本当に優秀だったし、科学的なツールを使ったり、他のコーチと比較しても相当熱心だった。


もう少しだけ僕が人として立派で、器も大きかったら、結果は変わっていたかもしれないね。
#だがそれがいい
#平井コーチありがとう



その後、2人のスイムメイトは地元の別のスイミングクラブへ。
僕は大手のルネサンスへ移籍。


通う場所の問題もあったけど、当時は色んなものへの怒りがあり、
過去と決別しようという気持ちだった。
#多感な時期
#仲良しこよしに嫌気


新しいスイミングクラブといっても、所属選手とは顔見知りだし、大会でもよく会う仲。
最初こそ緊張したものの、意外とすぐ馴染めた。


でも、その環境ならではの雰囲気ってあるじゃない?良くも悪くも。


今までと違う環境ということで少なからずストレスはあったなぁと。
(別に嫌とかじゃなくて)


そんな感じなので昔みたいに練習には身が入りづらいし、コーチも定期的に担当が変わったり。環境のせいにして本気になれない自分を正当化していた。
#他責思考ヨクナイヨ


そして迎えた中学生最後の総体。結局全国中学出場は叶わなかった。
#関東中学出場止まり


分かっていた。どうせ無理だと。


本気になれない自分をまた正当化するように、自分にそう言い聞かせていた。


高校受験

茨城県の公立高校へ進学した。
文武両道がモットーの進学校。ランクは中の上といったところ。
理由はスイミングの先輩たちの多くがそこへ進学していたから一点。

当然、一般入試で受かるほどの学力はなく、推薦入学を狙った。
内申点はなんとかギリギリ。


滑り止めの私立受験はなし。


冷静に考えて、落ちたらどうするつもりだったん?笑


でも行ける気しかしてなかった。根拠のない自信ってやつだ。


とはいえ受かるためならと・・・やれることは色々やった。

  • 筆記試験対策で塾の冬季講習へ参加
    →大晦日は初日の出を見るまで徹夜で勉強という根性イベントが名物

  • 志望校の体育教師へ事前根回し&受験対策のヒアリング
    →父のコネを活かして。賄賂は払ってないよ(笑)

  • 中学2年から教師陣に志望校を宣言。(内申点って大事だよね)
    →当時あんまり意図はなく、ワイは行くんや!精神

  • 生徒会に立候補(心証って大事だよね)
    →役職忘れた。選挙大変。全校生徒の前でゴスペラーズ歌った(笑)


あ、根拠のある自信だった(笑)


そして、宣言通り見事合格。
憧れのブレザー生活の始まりだ。


中学三大事変


さて。


中学生は僕の暗黒期だ。

大学生で更なるダークサイドに落ちてしまうけど学びがたくさん。だから良しとしよう。
#詳細はキャバクラ編で


色々あったんだけど(本当にいろいろ笑)、
今回は特に濃ゆいやつを三大事変としてまとめてみた。


刮目せよ。


①BreakingDown 中学生の乱


中学1年生。いつも仲の良い4人組でつるんでいた。
そのうちの1人、Aくん。チビで太っちょでメガネ。お世辞にもかっこいいとはいえない。
でもユーモアがあって、一部の女子からは可愛いと評判🦭


原因もきっかけも分からないけど、おそらくしょうもない理由で喧嘩に発展。
だんだんヒートアップしていき、最終的には殴り合いになっていた。


彼はメガネをかけていたので、顔面は殴ってはいけないと思ったのか、僕の攻撃は耳をつねったり、腹を蹴ったり。やっぱり俺優しいやん。え?根性ないだけ?


ところが彼は、首に巻いていたタオルをバンテージの如く拳に装着し、僕の顔面をぶん殴った。拳を保護することで怪我のリスクを抑えたのだ。
#シンプルに頭が良い


拳は僕の片目にヒット。あえなくKO。
打たれた瞬間、目からは火花が散った。


痛すぎて泣いた。そして情けない。悔しい。
クラスメイト全員に醜態を晒した。


そのまま眼科へ行くことになり、角膜損傷と診断。いたいよぉ。
#後日彼とは和解


実は去年、20年ぶりに彼と再開。ゴルフという共通の趣味を通じて今でも定期的に会う仲となった。人生って面白いね。


ちなみに彼は中学当時と体重が変わっていない。
身長は180センチをゆうに超え、メガネからコンタクトに。


そう、俗にいうイケメンとなっていた。
#ほんとの私、デビュー
#足長二重おじさん


②骨折で救急搬送事変


僕の通っていた中学校は地元でも有名なほど治安が悪かった。まさしく悪の巣窟。
特に中1当時の3年生なんて先生たちも手がつけられないほど。


タバコなんて当たり前。授業中は廊下をチャリで徘徊する始末。
彼らのハンドルは過剰に上に曲げられ(俗にいう鬼ハンとかカマハン)、
学ランもボンタンドカン短ランを着ていた。
#死語

当時二人乗りにはハブステップが流行 ※二人乗りは違法です
amazon.co.jpより引用 

そんだけ治安が悪いから、駐輪場の屋根にはトイレットペーパーなどのゴミがたくさん。
#2階から投げ入れてる模様


そしてある日の大掃除。僕は担任の指示で屋根上に登ってゴミを回収していた。


学校のために、綺麗にしたったぜ。気分はまさにヒーロー。


全てが終わり、良い気分で屋根から飛び降りようとしたその時。



屋根を留めているビスにジャージが引っかかり、1回転しながら地面に落下。

お分かりいただけただろうか。

幸い受け身を取ったおかげで頭は無傷。その代償に右手首を骨折した。
#ヒーローになれなかった


とはいえ胸部も強打しており、苦しくて動けない。


気づいたら学校隣の整形外科まで救急車で運ばれることとなった。
その距離わずか50メートル。まじで怒られろ。


③無視事変


水戸市立の中学校では、中学2年生を対象に「船中泊」という自然教室が行われていた。
船に乗って北海道へ行き大自然を満喫する、修学旅行よりも長い4泊5日間の名物企画だ。
#修学旅行の京都はあまり記憶ない


苫小牧港に到着後は、札幌、小樽、富良野など、さまざまな観光名所を回った。


各行程中には自由時間なるものが設けられており、各班に別れて行動することとなった。


小樽の訪問の日。とある商業施設に向かった。
僕は3歳から水泳をやっていたこともあり、プールの塩素の影響で髪の毛は金髪になっていた。当初検査では毎回理不尽に怒られていたなぁ。好きで金髪になってないっちゅうの。
#ふざけるな


加えて、まるで異国の地に来た開放感。僕はYシャツを出し、風を切りながら歩いていた。
イタい。イタすぎるぜ。
#pikoのビーチバッグ笑
#Lサイズで丈があってない


その時、とある不良軍団に声をかけられる。


不良「お前、調子に乗ってんじゃねぇぞ。ちょっと今からトイレに来い」


俺「え・・・?( ̄・ω・ ̄)」
 「おーい、トイレに来いだってぇ(みんなに呼びかける)」


当然皆そそくさと逃げていく。あたりめぇだのクラッカー。


終わった。。。。


と絶望していた矢先、見回りの先生に見つかり、なんとか事なきを得たのであった。
ただただ笑って誤魔化すしかなかった。脇汗マシマシ。
#僕のBPMは180超え

・よしもと劇場でステージに上がったこと
・買った3秒後にソフトクリームを床にぶちまけたこと


そんなことがどうでも良くなるくらい衝撃的な出来事だった。
ウルトラマリンを嗅ぐと思い出すのさ。なんてほろ苦いんだ。
匂いと記憶って密接よね。
#プルースト効果と呼びます



そんな噂はあっちゅー間にクラス中に広まった。気づけばクラスメイトほぼ全員から無視。
さっきまであんなに仲良く喋ってたのに。ひどくねぇが。

そんな中普通に接してくれたごく一部のクラスメイト、ありがとう。



当時好きだった女の子から目があっただけで
「うわーこっち見てる〜きもーい」



傷ついたよ。
浜崎あゆみのSEASONSとともに。
なんという虚無感。エモい。



思い返せば、当時クラスでは誰かが定期的にハブられるという事案が発生していた。


ほんの些細なことでも急にハブられたりするんだ。
「お前のは些細なことじゃない」というツッコミは受け付けておりませぬ。


「あ、俺の番が来たのか・・・」


そう思い、心を閉ざし、それから他人の目を気にする性格になってしまった。
気にしいの爆誕。おめでとう。


みんなもいじめをされたり、いじめをしたり、傍観したり、何かしらいじめを近くで見ていたことってあると思うんだ。


絶対にいじめられないやつっていなかった?
#共感したらコメントくれよな


なんていうか、主犯格的な。
うちの中学にもいたのよ。BOSS的な。


ジャイアンみたいなやつかと思いきや、イケメン、運動神経抜群、バスケ部。
めっちゃモテる。勝てねぇ。水の中だけしか。
#水を得た魚


僕はやっぱり心の広い人間じゃなくて、彼のことだけはどうしても許せない。
10年以上前に同窓会で再会した時も、当時の記憶が蘇ったのはここだけの話。

許せるって強いなぁ。と思いました。
まだまだ伸び代あるってことだね。


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