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人生の振り返り〜幼少期と転校編〜


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18歳差の絆と感情の歪み


茨城県は水戸市で生まれた。
生まれた当時の記憶なんてない。


実は僕には歳の離れた姉がいて、その差なんと18歳。
もちろん血は繋がっている。間に兄弟もいない。
#この記録超えられる?
#もはや息子


厳密にいうと異父姉弟ってやつだ。
姉とは18歳差。母とは36歳差。姉は母親が18歳の時の子ってことか。
#訳ありすぎだろ


姉には本当によく可愛がってもらったし、今でも可愛がってもらってる。超絶仲良し。
想像してみてほしい。自分に18歳年下の弟ができるんだ。ほら、かわいいでしょ。
#お姉ちゃん子


振り返ると、物心ついた頃には姉は結婚していた。だから一緒に住んだ記憶はほとんどなくて、実質一人っ子。説明するのも面倒だったから中学生くらいまでは一人っ子という設定にしていた。家族3人の思い出はほとんどなくて、写真もほぼない。
ただ幸い、従兄弟は多かった。しかも10歳以上離れてるわけ。僕は末っ子みたいなもんだからみんなが可愛がってくれた。だから当時から大人びてたのか。いけ好かないわけだ。
おかげで、家族愛は感じたことなかったけど、姉や親戚からの愛情は足りていたようだ。
#価値観の種


新生児期〜幼少期はというと、とにかく手のかからない子供だったそう。
夜泣きなんてほぼしたことなくて、一度寝たら朝まで起きない。
最終的には眠くなったら勝手に1人で布団に入って寝るらしい。優等生か。
だから僕が寝た後は、父母姉で居酒屋によく飲みに行ってたらしい。
#ワロタ
#時代が時代なら炎上してる


そんな感じで育てられた影響なのか、とにかくマイペース。
周りが何をしていても気にしない。マイワールド。幼稚園では自分がいじめられていてもそれに気づかないらしい。どんだけ変わってんだ。
#ヤバイだろ
#YAVAY


感情も歪んでる。特に泣くという感覚は欠落していて、当時から泣いたことはほぼなかった。
今でも泣くことは基本ない。
それに悩んだ時期もある。
よく怒られてたからかな。泣いたら負けみたいな。
でも姉との別れの時だけは泣いていたみたい。
#唯一動物系ドキュメンタリーだけは例外



幼稚園での記憶


幼稚園は埼玉の私立へ入園した。
年中から2年間通ったが、思い出は2つ。


①木登りして全身毛虫に刺されたこと

それ以来毛虫が大嫌い。全身ただれてしまったが、そのまま病院に行けばいいのに
母親にキンカンを全身に塗られて大泣きした記憶がある。
だからキンカンの匂いが嫌い。
#早速泣いてるやん
#泣かないやつおる?
#虐待じゃね
#無知って怖い
#ムヒ派

②お泊まり保育でみんなでカレーを食べたこと
タッパーにご飯を入れて持参。カレーを作ってみんなで食べた。
とにかく楽しかった記憶。枕投げも覚えてる
#親密性の種


3歳から水泳の英才教育


父は元スイマーだった。物心つく前からスイミングスクールに通っていたから、水泳をしたいとかしたくないとかそんな感情はなかった。
みるみる上達していって、あっという間に選手コースに。
とは言っても圧倒的に速かったわけではなく、リレーメンバー4人のうち2番か3番だった。
この頃すでにNO.1にはなれないんだなと思った。
でも楽しかったな。いつも仲良し4人組で練習してた。名前は忘れたけど。元気かな。
#To be continued


我慢すること。ゲームを通じた孤独と成長


我が家は裕福ではない。めちゃくちゃ貧乏でもない。
でも基本買ってもらえるみたいのはなくて、
ゲームは基本従兄弟のお下がりだし、お菓子やジュースなんて一切買ってくれなかった。
うちにそんなの買うお金なんてないでしょ!なんて言われたことはないけど、
お菓子はないんだ。それが普通。無言の圧力。我慢しろってか。
#家にあったのは煎餅かバナナか牛乳か麦茶

だから「買ってもらえたこと」はすごい印象的で。
唯一、父親からスーパーファミコンとスーパーマリオワールドを買ってもらったことは昨日のことのように覚えている。

当時価格は7,980円
出典:任天堂ホームページ

心が躍った。
それが最初で最後の買ってもらえたゲーム。
#ゲームボーイは目が悪くなるという理由で買ってもらえなかった


僕の中でゲームの歴史はスーパーファミコンで止まっている。
もちろん64もセガサターンもプレステもPCエンジンもドリームキャストもやったことあるけど、従兄弟や友達の家だから非日常だ。
やっぱり従兄弟の存在は大きくて、色々ゲームを譲り受けた。マリオカートをはじめ、名だたる名作はほとんどがお下がりだ。
やり込んだゲームは思い出す限りこれらだ。
やったゲームじゃない。「やり込んだ」ゲームだ。


アクション系
・悪魔城ドラキュラ
・がんばれゴエモン
・ゴーゴーアックマン
・ドンキーコングシリーズ
・ロックマンXシリーズ
・ミッキーのマジカルアドベンチャー
・ボンバーマンシリーズ
・ファイナルファイトシリーズ

シューティング系
・極上パロディウス
・グラディウス

スポーツ系
・キャプテン翼
・プライムゴール(世間はエキサイドステージだが関係ない)

レース系
・ワイルドトラックス
・ドリフトキング首都高バトル

RPG系
・スーパーマリオRPG
・ドラクエⅢ、Ⅴ、Ⅵ
・クロノトリガー
・大怪獣物語シリーズ(世界観が好きすぎる)
・MOTHER2(1の方が面白いよ)

本当はまだまだあるんだけど、止まらないのでこのくらいで。
#思い出せないだけ

そして優勝は「超魔界村」

出典:任天堂ホームページ



鬼畜ゲーと言われるあの超魔界村。でもファミコン版「魔界村」より遥かにマシ。
どれくらい鬼畜かというと、
1−8面まであって、ボス手前の7面クリアした時点で1面に戻される。
女神の腕輪じゃないとラスボス倒せないだとな。
#絶望感
#というかシンプルにめんどい笑

でも女神の腕輪弱い。魔法使えないし。射程距離短いし。
ほんでラスボスは弱いというオチ。
#クソゲーやん


そんな感じで友達とかほとんどいなかったから、
学校以外では水の中にいるかゲームの中にいるかの2択。
寂しい。
#共通項は没入感




そしてほどなくして、従兄弟からファミコンを譲り受けることとなる。
そのソフトの数100個以上。
#時代に逆行

当時はこれよりもっと大きいやつ。
出典:任天堂ホームページ

実は名作と言われるゲームはスーファミよりファミコンに多いと感じているし、
プレイしたゲームの数も多い。難易度も高い。
#ドット絵かわいいよね

ハマったゲームはたくさんあるんだけど、今回は割愛。
#需要があれば番外編でやります




クリスマスの悲しい現実


当時はマンションに住んでいた。
今でも覚えている。ヴィラコヤス弐番館(笑)
そしていつぞやのクリスマス。
サンタクロースを本気で信じて、僕はサンタに手紙を書いた。

「レゴのお城のやつをください」

隣に住んでいた子も同じ小学校の男の子だった。
たまに遊ぶような仲で、聞くとどうやら彼もレゴをお願いしたと。

僕がお願いしたLEGOお城シリーズ
出典:レゴ公式サイト
彼がお願いしたLEGO海賊シリーズ
出典:レゴ公式サイト


結果は惨敗。
ミッキーマウスのジグソーパズルとクリスマスブーツのお菓子。
隣の彼はお願いしたLEGOを一本釣り。

あれ?何かがおかしい。


俺なんかした?
あの時の悔しい感情は昨日のことのように覚えている。
#日頃の行いか


そんな話を学校でしたんだよな。クラスメイトや担任の先生にも。
友達との会話は1ミリも覚えてないけど、先生の話は記憶してる。


「サンタクロースなんていないわよ。親がプレゼントしてるのよ」

幻想が一気に崩れ去った。
全てに絶望して、全てを諦めた。
それ以来、サンタには一度も手紙を書いていない。
#娘のサンタへのお願いは全て叶えてる


当時、僕は先生からは嫌われていた。
とにかく落ち着きがないし、言うことを聞かないから。
イタズラしてクラスメイトのポロシャツをハサミで切って穴を開けるほどの問題児。
だから、何か問題を起こすたびに連絡帳にその旨を書かれた。
別に大した問題じゃないからね。
#ポロシャツの件はどうかしてた

家に帰れば母親に怒られるから、毎回その先生のコメントを消してたんだ。
そしたらある時から消せないように赤ペンで書きやがった。
#学習するやん
#性格悪っ!

今でも顔を覚えてるよ。
色付きのメガネをかけてたね。
小笠原先生、元気?
#怖くね
#笑い話だよ


憧れの先輩たっちゃん


当時、世間は空前絶後のJリーグブームだった。
ご多分にもれず、僕はJリーグチップスを買った。
もちろん親に内緒でだ。
家にはお菓子がないから、買ってその場で全部食うんだ。
そう、目当ては付録のカード。当時は浦和レッズとヴェルディ川崎のファン。
#福田の家が近所だった
#ポテトチップスは別に好きじゃない

学校での記憶といえば、先輩たっちゃんのサッカー姿くらい。
当時小学校5年か6年で、1年から見た6年生ってもう大人やん?
すげぇでけぇな・・・とサッカーうまっ!足速っ!いう記憶しかない。
とにかくかっこよかった。話しかけられないけど、ずっとプレーを見てた。
#女子かよ

ある時、一緒にサッカーに混ぜてくれて。
水泳しかやってきてないから球技は大の苦手。
でもビギナーズラックってやつ、あるよね。
ゴール手前でたっちゃんからのセンタリングをシュート。
ボールはそのままゴールの斜め上に突き刺さった。
まるでキャプテン翼の世界。

たっちゃん「おぉ!上手いじゃんか!」

と頭をポンポンされた。

赤い実がはじけた。
#女子かよ



小学校3年生の春。父親の仕事の都合で転校を余儀なくされる。
悲しい感情はなかった。あぁ学校変わるのか、くらい。
さらば浦和。

そして生まれ故郷、茨城県は水戸市へ舞い戻る。

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