父の帰宅 26
〇歳~五歳頃までの家庭の雰囲気についてですが、先述したように僕が生まれてからほんの少しの期間を除いて夫婦仲は非常に悪かったように記憶しています。原因は父の浮気です。そのことで常に喧嘩が絶えずどちらもあとに引かないので毎日ように喧嘩をしていて両親の寝室で一緒に寝ていた僕はいつも耳を塞いで布団に包まって寝ていました。この頃父が母に暴力をふるっていた記憶はありません。
父親は何を考えていたのか分かりませんがその愛人と僕たち姉弟をスケート場に連れて行って一緒に遊んだことがあります。僕はその人が父にとってどういう人なのか分からなかったのでそのときは良い悪いの感情を抱くことはありませんでした。
その頃よく覚えているエピソードとしては次女のパジャマの袖がはさみで切られていたことがありました。僕にはまったく身に覚えがなくて必死でやっていないといったのですが母親が正直にいわなかったら警察に電話するといって受話器を持ったところで怖くなって僕はやってもいないのに自分がやったといいました。
母の化粧品が悪戯されていたときもいつのまにか僕のせいにされていました。自分のいうことが信じてもらえなかったことが悔しくて悔しくてしかたなかったです。
三歳のときに僕と長女と次女を連れて母親は愛人のいるマンションに乗り込みました。僕たちは車の中に残されていました。そのとき長女が父親の車のキーを抜いて暗闇に投げ捨てたことは今でも忘れられません。
夫婦間の話し合いは結局まとまらず離婚することになりました。その後父の方も愛人とはうまくいかず慰謝料を請求されて祖母が家の田んぼを売って慰謝料を払ったそうです。
それから母親の実家で、祖父、祖父の再婚相手の祖母、再婚後にできた二人の叔母と母の妹と僕たち三姉弟での暮らしが始まりました。祖父のおかげで経済的には問題はなかったです。
すでにこの時点で父から養育費は支払われていませんでした。祖父の再婚後にできた叔母二人は僕をよく可愛がってくれた記憶があります。母の実妹である叔母さんも当時僕が好きだったガンダムのプラモデルを買ってくれたりして良くしてくれした。
再婚相手の祖母ともうまくいっているように当時僕は感じていました。しかし四歳か五歳の僕に向かって「あんたは損得勘定でしかものごとを考えなくて父親によく似ている」といわれた覚えがあります。これは母方の祖父が亡くなってから分かったのですがやはり血が繋がってない僕の母と祖母はあまりうまくいってなかったようです。
僕自身の当時の性格についてですが、どちらかというとガキ大将的存在で保育園でも幼稚園でも活発な子として、先生をよくてこずらせていたように思います。「僕のお母さん離婚したんだ」と無垢に保育園の先生に話していたことを憶えています。
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