父の帰宅 04
夢で強いパニック発作を起こしてからは、玄関の開く音や電話の音に異常に反応して、その度にパニック発作に見舞われた。父親がまた帰ってくるのではないかと思うと身体が勝手に反応してしまうのだ。マサはこの時点で薬に頼るしかないという考えはあったが周りの人間たちに遠慮して約二ヶ月間パニック発作を頻発しながら、薬なしで耐え続けた。ヒサコさんにいっている。
「ヒサちゃん、またパニック発作が起こり始めた。でも薬には頼れない。お母さんも僕がパニックをぶり返してるって知ったらまた心配させるからいえない」
マサが病院に、薬に頼れなかったのはまず母親が向精神系の薬を飲むことをひどく嫌っていたことがある。そして次女の裕美はあんたが事故を起こしたのは薬を飲んでいたせいかもしれない。だからあんたは薬を飲んでいる状態で車の運転なんか絶対してはいけないといわれた。
そしてこれはマサが事故を起こす前の話だが長女の美穂はそんなもんは薬に頼ってんじゃなくて精神力でなんとかしろといっている。これらの言葉がマサが病院に行くことを躊躇させた。マサは症状が悪化する中、このままでは外出が困難になり、引きこもりになってしまうことを懸念して、まだ左手を動かせない状態で車を運転して、パニック発作を頻発しながら外出し続けた。
パニック障害の行動療法のなかにエキスポージャー療法というものがある。これは薬物治療によってパニック発作が起こらないことを実感した上で、それまで避けていた状況や場所に徐々に挑戦していく治療法だ。マサは薬なしでパニック発作を頻発しながら二ヶ月間、今日は喫茶店、今日は川原で草野球の観戦、今日は映画と毎日自分に外出する理由を無理やり与えて外出を続けた。
これはエキスポージャー療法ではない。ただの我慢大会だ。パニック発作やPTSDのフラッシュバックの経験がある人ならば、これがどれほどの苦痛か分かるかもしれないが、わたしの想像を遥かに超えてしまっている。
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