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色彩のない自分の、諦めと回復 #gatebysentence

会社員を辞めたことに心残りはないけれど、遠のいてしまったことの一つに「読んだ小説について語ること」がある。大阪から滋賀へ、移住した先で過ごす人たちとは、ビジネス書の貸し借りなんかはあるけど、そういえば文芸を勧めあった経験はない。Twitterでもあんまり書かない。
前職は出版社だけあってか、小説の話題や貸し借りがやたら頻繁だったので、そこは懐かしいなぁとふと思った。

この数年で、読書に占めるビジネス書や実用書の割合がぐっと増えてはいるけど、今も空いた時間で(晩酌しながらとか、朝起きて)小説も読むようにしてる。
まぁそもそもテキストベースの世界観に浸るのが好きなので、忙しくても読まずにはいられない。森博嗣の新刊はチェックして即買いしてるし、上橋菜穂子などのファンタジー作家も密かにシリーズで揃えてたりする。

ただ、面と向かって好きな作家は?と問われると、ベタでも村上春樹の名前を出すことが多かった。読んだことのある人がやっぱり多いし、結構好みが分かれる分、「なんで?」「どういうところが?」と話題を広げやすいからだ。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

村上小説で好きなものはいくつもあるけれど、僕が挙げるのは割と「意外」と言われるこの作品。先日も少し久しぶりに本棚から引っ張り出した。

この本は、他の村上春樹の作品に比べるとずいぶんと読みやすい。語りが三人称なので文のクセもそんなに感じないし、不可解な設定があったり、「ひつじ男」のような非現実感たっぷりの人物が出てくることもない。(僕自身は『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』『羊をめぐる冒険』なんかの不思議な世界観も大好きだけど。)

主人公の「多崎つくる」は、孤独に生きる36歳の青年だ。かつて高校時代に仲の良かった仲間たちからの関係性を絶たれ、東京で鉄道会社に勤め、もくもくと駅をつくる仕事をしている。
彼のかつての仲間は、それぞれに名前の一文字を取り、互いに「アカ」「アオ」(男性)「シロ」「クロ」(女性)と呼びあっていた。つくるを入れて5人のグループで、彼だけは「つくる」と呼ばれていた。
それぞれに名前同様の個性的なキャラクターが「色」を放つ中で、(さらには後に「灰田」「緑川」という人物も登場するのだが)、つくるは自分だけが個性なく中途半端な、色彩の欠けた人間だというコンプレックスを抱きながら当時を過ごした。そして高校時代の “調和のとれた五人組” の関係が壊れた今も、そのことを自分の中で抱え続けている。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、そんなつくるが新しい出会いを通じて、過去を振り返るきっかけを手にしていく物語だ。昔の仲間一人ひとりに再会しながら、失ってきたものを取り戻し、気づかなかった “自分” を辿っていく。

「自分らしさ」の2つの考え方

村上春樹の小説は、裏側に “諦め” と “回復” をテーマにしていることが多い、と密かに思っているのだけど、この作品に限ってはかなり直截的に、それが描かれている。詳細は省くけれど、かつての仲間の一人「クロ」にフィンランドという地で再開した際の会話だけ、ここに書いておく。

「僕にはたぶん自分というものがないからだよ。これという個性もなければ、鮮やかな色彩もない。こちらから差し出せるものを何ひとつ持ち合わせていない。そのことがずっと昔から僕の抱えていた問題だった。僕はいつも自分を空っぽの容器みたいに感じてきた。入れ物としてはある程度形をなしているかもしれないけれど、その中には内容と呼べるほどのものはろくすっぽない」(つくる)
「たとえ君が空っぽの容器だったとしても、それでいいじゃない」
「もしそうだとしても、君はとても素敵な、心を惹かれる容器だよ。自分自身が何であるかなんて、そんなこと本当には誰にもわかりはしない。そう思わない? それなら君は、どこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に」(クロ)

結局、なぜ僕がこの本に惹かれるかというと簡単で、つくるの感覚がとても良く分かるからだ。多少器用だけど自己主張ができないところ、どこかちょっと醒めた感じなど、かなり似ていると思っている。初めて読んだときの「色彩がないのは、自分も一緒だな」という感想は、今も変わっていない。

フリーで独立すると周りはキャラクターの濃い起業家ばかりで、彼らのように自己の語りが強くないといけないのかと焦る。でも焦ったところで、僕には自分の中にフツフツと湧き出るほどのものがなかった

でもほんとに最近ようやく、これを自分の中でポジティブに捉えられるようになってきた。それにはざっくり、2つの考え方をしている。

① 色彩をもたない自分でかまわない( “諦め” )

薄々感じていた、自分の属性を認めることにした。熱量高く、周りを巻き込んでいくタイプではない。強烈な個性もない。でもクロの言葉を借りるなら、「空っぽの容器でも、中身は誰かに入れてもらえばいい」のだ。
note&Twitterユーザーなら見たことがあるかもしれない、このサクちゃんさんのnoteで言うまさに「叶え組」なのである。自分はこの1年程で、そのことがよく分かった。

ポイントは、これを決してネガティブな “諦め” と思わないこと。出発点として自分のステータスを受け容れることが大事、という意味で考えている。透明であっても、色を持つ人の側でできることはあったからだ。

② 過去と現在を行き来しながら、自分の色をさがす( “回復” )

「やりたいことがない」「個性がない」と今悩む多くの人の原因は、受けてきた教育や育った環境に依るんじゃないかと僕は思っている。(他人のせいにしたいわけでも、今から変わることができないと言いたいわけでもない。ただ、そうなりやすい環境で、僕たちの多くが今まで生きてきたかもと自覚する必要はあると思う。)
保育や子育てを通じて素直に感じるけれど、人としての原点は幼少期だ。そこを発端に、ほとんどが大人になるまでに基本の人格(原色)が形成される。つくるも、幼少期なぜそうなったかは描かれていないが、高校生時代にはほぼ自分の “透明性” を自覚している。

僕も自分の原色が何なのか、すでに分からない。ただ透明だと思う今の自分から “回復” するためには、過去を辿る必要がある気はしている。

上で引用したクロの発言を、もう一つだけ記しておく。

「君は色彩を欠いてなんかいない。そんなのはただの名前に過ぎないんだよ。私たちは確かにそのことでよく君をからかったけど、みんな意味のない冗談だよ。君はどこまでも立派な、カラフルな多崎つくる君だよ。そして素敵な駅を作り続けている。今では健康な三十六歳の市民で、選挙権を持ち、納税もし、私に会うために一人で飛行機に乗ってフィンランドまで来ることもできる。君に欠けているものは何もない。自信と勇気を持ちなさい。君に必要なのはそれだけだよ。怯えやつまらないプライドのために、大事な人を失ったりしちゃいけない」(クロ)

村上春樹の小説で描かれる “回復” は、成し遂げられずバッドエンドに終わることもあったし、この作品も実は、その途中で終わる。でもかつてないほど直截的に、“回復” すべきものは自分の中にあるというポジティブなメッセージが、伝わってくる気がするのだ。

できることを、コツコツと。

いま自分が、何かを編集するのが好きなのは、そしてインタビューやストーリーテリングの記事づくりが好きなのは、自分の色を意識して抑えていい仕事だからだ。(少なくとも僕は、そのイメージを持って臨んでいる。)
自分が空っぽになることで人の色彩を引き出し、それを伝えることに集中できる。“諦め” てみることも、そこでは活かせられる。

逆に自分の言いたいことになると、まだまだ言語化できていない部分が多い。このnoteだって酷い文章だなと思うけど、過去を辿る一環だと思って、苦しみながら書いている。

焦っても、自分の色は見つからないと分かった。なら人の色彩を引き出す仕事をコツコツ重ねながら、ゆっくり自分の色も探せばいい。過去を辿るなんて簡単じゃないのだから、それくらいの気楽さでもいいと思っている。


今回は、マガジン『gate, by sentence』へ寄せたnoteです。ライティングを学び合うコミュニティ『sentence』のメンバーが、毎月のテーマ or 自由投稿のかたちで記事を更新しています。
10月のテーマ「#色彩」、そしてnoteのお題企画「 #推薦図書 」に合わせてお届けしました。

Twitter @masashis06

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編集者/'83年生まれ。大阪の出版社→’17に滋賀移住/cururu代表。Webメディア、採用広報、いろんな編集業ほか/保育士/『このひより』https://note.com/konohiyori で、人の大切な記憶を言葉にしています/3歳双子+0歳双子のおとうちゃん。

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