書くことと、届けることの間で。 #gatebysentence
ライティングコミュニティ『sentence』のアドベントカレンダー、4番手の佐々木です。滋賀在住、フリーでいろいろやっています。書いたり、編集したりします。
今年8月に、気になっていたsentenceの一員となりました。多彩・多才なメンバーが集うグループの中では、公開された記事の裏っ側を深掘りしたり、お互いの文章をあれこれコメントしあったりしてます。
11月末に突如(!)立ち上がったアドベントカレンダーにも気になる書き手が並んでて、読む側としては、更新されてくのがめっちゃ楽しみですね。
ただし。実際これを、書き手の1人として眺めると…
いきなりトップバッターのモリジュンヤさんに「書く意味」の本質を正面から問われ、Yuheiさんには僕もちょっと書きかった「言語表現と思考」について唸るほどのクオリティで文章にされてしまい、フクダアヤさんには得意のイラストと文章のコラボで魅せつけられての、今日4日目。
さあどうしたものかってなっています(ほんとに)涙。
でも、大事なバトンをここで止めるわけにはいかず。とにかく書くしかない。
そう考えたときふと、「とにかく書く」ことすらできなかった過去の自分に思い至りました。出版社に10年勤め、最近は畏れ多くも「編集者」の肩書きを頭に置いて仕事するようになってる自分ですが、実は昔は書くことが大嫌い。
読書や各メディアを通じて、人の文章を読むのは好きだったからこそ、いざ自分が書くとその言葉の薄っぺらさに絶望して、書いては延々消すを繰り返してきました…。
今は仕事でライティングを請けることも増え、自分でも多少書けるようにはなってきたかなぁと思いますが(もちろん出版社出身だし、丁寧な原稿を上げることには多少の自信もあるけれど、)それでも「自分に書く才能がある」なんて気持ちは1ミリも感じたことはありません。
なので今回はこれまでの振り返りも兼ねて、「文章好きだけど、自分じゃ書けない」ことについて、アドベントカレンダーに寄せてみます。
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「書くことにコンプレックスを持ったのはいつからだろう」
子どもの頃を思い返しても、文章を褒められた記憶はぜんぜんありません。
苦手でひたすら時間がかかった小学校の作文。入試や就活のとき必死に書いた小論文。筆が進まず、無理やり書いては直しを繰り返していた僕の机の上は、いつも消しゴムのカスだらけでした。(今もPCで打ったあとめっちゃ直すところは変わってません。)
特に苦手なのが、自分の「感情」を言語化すること。書いてはみるものの、感情と感情の間に生まれる飛躍が、文意を追って読み返すと気持ち悪くてたまらず、すぐ消してしまう。メモもノートも捨ててしまう。今思えば完璧主義すぎたのかもしれないなぁと思います。
そういう状態でも書くことを積み重ねておけばよかったのだけど、昔はそれを許すことができず。結果、思考に落とし込みやすい、分かりやすい感情や論理以外の言語化からは、どんどん遠ざかっていきました。
それでも小説や漫画を含めて、本を読んで文章に触れることだけは、ずっと好きだった気はします。こういう人、結構多いんじゃないかなぁと思うんですが。
すらすら書けることと、「言葉」に寄り添うことは別。
コンプレックスは大人になっても変わらないまま、ふとした縁で「言葉」を扱う仕事に携わるようになり、気づくことがありました。
自分にはすらすらと一筆書きのように流れる文章は書けないし、誰かを魅了するようなストーリーも思いつかない。人を巻き込むような思想もない。(悲しいくらいに。)
でもそういう力は、「言葉」を扱う仕事の主役ではあるものの、すべてではないなあ、と。
「編集者」という仕事をさせてもらってると、そのことが良く分かります。
主役たる執筆仕事においては、まずはグッと自分のなかに深く潜り込んで、書くべきことを一気に書き上げる方が多いと思います。(もちろん書くアイテムの性質にもよります!が、そうでないと執筆のペースはあがりませんし。)
ただし編集者は、そこで異なる役割を果たします。一緒に潜りながらも、常に現在位置を把握する必要があります。
そもそもの段階で、「誰から誰に向けてどんな言葉を放てば、より届くのか」「言葉を受け取った人が、どんな感情を抱いてほしいか」までを、企画時に客観視できることがまず重要。もちろん「実際にどんな言葉を使えば、想いを伝えられるのか」を考え、執筆者と違った視点を持って文章に伴奏するのも編集業です。
(尊敬する編集者の藤本智士さんはこれを『魔法をかける編集』の中で“勇者”と“魔法使い”の関係で表してます。めっちゃ良い本なのでぜひ。)
執筆者としては自分に没入しきれず、やたら時間がかかっちゃう僕ですが、逆に俯瞰して見ること(それはちょっとした「てにをは」だったり、語尾の良い回しだったりから、文章全体の構成や接続など)は結構得意ではあるし、考えるのも好きだったりするのです。
たまたまですが最近、何人かの方と「やっぱり編集とライターの適性は全然違うね〜」って話もしていて(Webではここを横断して仕事をしている人が多いから、結構見落とされがち)、自分がどっちの特性を持っているかは、しっかり意識した方がいいかもと思いました。
特にWebの媒体は「ライターはいるけど、編集者が足りていない」と聞くことも多いので、「言葉」が好きで、客観性の強い方(だからこそ「すらすら書けずに苦しむ方」)は、ぜんぜんチャンスあるのでは!?と思ったりもします。
余談ですが、先日「sentence」の運営でもある編集者兼ライター長谷川賢人さん、モリジュンヤさんのトークでこんな会話がなされていました。(僕は新宿駅で迷いイベントに遅刻したので、一緒に参加してた人のツイートで引用します…ありがたい!)
この「ライターは客観的すぎるのはだめ」がマジで刺さる…。でもそういえば昔、飲み会の場を回すのがうまいって褒められたことがあるなあ。なんてふと思ったりしました。
編集者のもう一つの仕事は、届くための“関係性”を生み出すこと。
企画を考えること、文章の論理構成を考えて文をつなぎ直したり、言葉の重複や誤りを直したり、というのは編集の大事な仕事ですが、最近はその「編集者」が活躍できる領域が、広がってきそうだなあと感じてもいます。
先月末に参加した『PR3.0 Conference』には、広報やいわゆるPRパーソンだけでなく、編集者も何人も参加されていました(※ Twitterで見かけた感じですが。)
Public Relationsを説明し始めると今回のnoteが終わらないので触れませんが(ヤバイもうすでにめっちゃ長い)、編集における「誰から誰に向けてどんな言葉を放てば、より届くのか」「言葉を受け取った人が、どんな感情を抱いてほしいか」という思考方法は、PRと極めて近いと感じています。
インターネットが出てきて、SNSが登場して。シンプルに誰でも発信できる“良い時代”になったがゆえに、情報は完全に供給過多。「どうやって伝えるか」「どうやって届けるか」が、かつてないほど重要視されるようになりました。
Relationship(関係性)の構築は、そこを乗り越える最大のキーワードであり、手段として「編集」に求められることも、これから増えるんじゃないかと思います。
(というかむしろライターも、広報も、マーケターも、採用担当も、なんだったら経営者も、全部この考え方で、やるべきことがすっきり整理されるかもしれません。結局「誰の、何を解決したいのか」が目的なのはみんな一緒ですからね。)
偉そうに書いたけど。
こんなことをつらつらsentenceアドベントカレンダーで書いてることに、実は途中から猛烈に後悔してきました。なんでこんな話になったんだろうと思って、そうだこの記事は僕が執筆で、担当編集がいないからだ!と納得しました(!)笑
何が言いたかったかというと、結局、僕は「言葉」が好きで、すらすらは書けないけど、それでも言葉を扱う世界で多少なりとも役立てることはあったから、踏み込んで良かったなあと単純に思ってるってことです。
これからのリッチコンテンツ(動画とか音声とかその先の何かとか)の時代でも、人が言語を元に思考していく以上、「言葉」の役割が無くなることはないでしょう。きっと。
『言霊』とも言うように、どんな言葉を自分の周りにおくかは結構大事。だから来年は、誰かがちょっとでも“良い言葉”を身近におけるような記事を、たくさん生み出したいなあと思います。
このnoteは、マガジン『gate, by sentence』へ寄せたnoteです。ライティングを学び合うコミュニティ・sentenceのメンバーが、毎月のテーマ or 自由投稿のかたちで記事を更新しています。12月のテーマ「#来年やってみたいこと」&今回はsentenceアドベントカレンダーに合わせてお届けしました。
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さて、めっちゃ真面目に書きました。前回のnoteは「飲みに行きたい」ってだけなので、我ながら落差がすごいです。笑
でもまあ、書きたいことを書いたってだけで自分を褒めたい。お付き合いいただきありがとうございました!
明日以降のsentenceアドベンドカレンダーもお楽しみに!
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