【片桐はいり x 森下圭子 x おおすみ正秋】昭和のアニメ 対談 第一回
「静止画表現とは? 〜巨人の星の裏話〜」
対談の前に、慶應義塾大学での授業をおさらい。テーマは『静止画(リミテッドアニメーション)。授業内容を軽く説明すると・・・。
【静止画表現(リミテッドアニメーション )とは・・・】
日本のアニメはディズニーアニメのような滑らかな動きとは対照的に、キャラクターが静止している箇所が多々ある。それはのちに「リミテッドアニメーション」と呼ばれ、日本特有の洗練されたアニメ技法といわれている。しかし、実際は制作費や制作時間を削減するために採用せざるを得なかった、制限から生まれた技法だった。
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さて授業を受講した片桐はいりさん、森下圭子さんと慶應義塾大学のラウンジにて対談がスタートです。
片桐
授業でリミテッドアニメの例として紹介していた「巨人の星」もおおすみ監督だったんですか?
おおすみ
パイロットフィルムはね。
片桐・森下
え〜〜!
おおすみ
クレジット上の正式な監督は長浜忠夫さんになりましたが、実は僕も一緒につくった作品です。
片桐
オバQ、ムーミン、ルパンに留まらず、 あらゆる私の根幹にあるものが、おおすみさんの作られたものだったという(笑)
森下
何も知らないで観てましたけど(笑)
おおすみ
巨人の星って、よく見ると絵がほとんど動いていない。手の込んだ静止画を数枚使うことで、枚数をたくさん描く手間を省いている。 「耐える」という心情は、静止でこそ苦悩を伝えられるから、本来ならば動きが多いと想定される野球モノでも、枚数を減らしながら無理なくストーリーを作っていけたんですよ。巨人の星は、情熱を体にため込んだ精神性の高いシーンをしつこく描いたからこそ、大ヒットしたんです。
片桐
おおすみさんは、人形劇団のから入られてアニメの知識があまりなかったからこそ、他の人と違う新しい発想ができたんでしょうか?
おおすみ
アニメ青年じゃなくて、映画青年だったんですよ、僕は当時。演劇やっていた人間たちも、手伝って欲しいと呼ばれたらその日から監督をやらされるんですから。アニメーションの専門的な勉強などはしてないのに。ひどいもんでしたよ(笑)
森下
だから面白かったんですかね?
おおすみ
当時アニメは「漫画」と同じと思ってた人が制作者の大半の考え方だったんだけど、僕はアニメは「映画」と同じと思っていた。映画文法と照らし合わせてみたら、当時のアニメはすごくおかしなことになっていると思った。
森下
へえ。
おおすみ
テレビアニメの演出家は、最初から徹底して枚数を使わないようにと言われていた。僕は映画青年だったから、アニメと言ったって、「映画」と思って作っていた。映像は、時間芸術ということ。記録されたものを編集することによって、一方的に時間をコントロールする。それが時間芸術。でも当時の漫画青年たちが演出していたアニメは時間のコントロールが全然できてない。コマ割り漫画と同じじゃないかと思っていた。
片桐
はいはい
おおすみ
絵を描くことでエネルギーを使っちゃっているから、別の発想を思いつく余裕がないんだよね。
森下
授業でも言われていた、静止画イコール精神性って子供の頃に全く考えてなかったけど、その当時はすごくドキドキしながら見ていた。何にもないシーンなのに。
片桐
確かに改めてみると、巨人の星だって同じ絵ばっかり出てきますもんね(笑)
おおすみ
アニメを実際作ってるプロも今日みたいな話を聞くと、へえそうですかって驚く人もまだ多いんだけど、そんなことに気づく暇もないくらいに絵を描くエネルギーって大変なんですよ。実際カメラ回して撮影してたら、編集が大前提だから時間をコントロールするという概念があたりまえだけど、アニメはそれがないから。初めからこのカットは2秒って決めて描くんだからね。
森下
なるほど。
片桐
昭和のアニメならではの手法が「制限(枚数)」から生まれたということを、観ている人はほとんど知らないですよね。それが私にとってはオバQから始まって、ムーミン、巨人の星も見て育って。だから今日、授業を聞いていて本当に面白いなあと思って。私は完全にドラえもんよりはオバQ世代ですからね(笑)
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話題は小津安二郎とオバQの関係性に・・・。
第二回「日本人ならではの表現 〜オバQと小津映画の共通点〜」ににつづきます。
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第一回
静止画表現とは? 〜巨人の星の裏話〜
第二回
日本人ならではの表現 〜オバQと小津映画の共通点〜
第三回
歌舞伎とリミテッドアニメーション 〜古典芸能の動きの秘密〜
第四回
演技と演出 〜すべてに意表をつきたい〜
第五回
キャラは関係で描く 〜ムーミンをヒッピーの世界へ〜
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