自信がないCVCの中の人

国内CVCの3割「運用順調ではない」 PwC調査

記事を読む限り、偉い人の方針次第だろうと思う。

「適正な投資条件で出資できているか、自信がない」37%
「なかなか良い投資先を見つけることができない」28%
「投資担当者の熱意に押し切られ、ほぼ全案件が投資委員会を通過してしまう」26%
「事業シナジーを思ったほど実現できていない」運用期間が3年以上の担当者の27%

実際のところは「運用」が順調かどうか?を何で測るか?曖昧なのかな?
定義してあればいい。
単純にお金を測れば良いとも思う。客観的な数値で結果を表現できるので色々な文脈の人がシンプルに「良い」「悪い」をジャッジできる。これは小学生でもわかる。大きい数字の方が「良い」
別な言い方では、CVCを作った理由。VCとは違って単にお金を調達してスタートアップに出資する集まりを作った訳ではないとは思う。意図があるはず。何か思惑があったはず。それを偉い人は伝えていないだけな気もする。(もちろんVCでもお金以外の目的はあるはず)
要はよくある組織論みたいな。偉い人の問題かもしれない。


どんなメンバーなのか知らないけど、どういう人を集めたかにもよる。お金しか見れない人だとそうなったりするかもしれない。技術だけでもダメで、結局は統一感がない。
単に綺麗にリスク分散してるっぽいポートフォリオを組むって考え方があるけど、結局のところ、元の思惑が重要。なんのために自分(自分達)は存在しているのか。ってこと。


文脈を一つにまとめる必要

何かの対象物を適切に評価するのは永遠に不可能。これは会社だけなく、何にでも言える。


人が何かを評価することは美学(男の美学とかって意味ではなく、学問としての美学)視点からみると、どうとでも言える。要はでっち上げられることもある。現代芸術がバカにされたりするのはそういうこと。
みんなは現代芸術を「誰でもできる」と言って切り捨てることが多いけど、本質的に芸術の次の一手を表現したものはある。昔から。近代ではデュシャン、ケージ。フルクサス。みたいな。もっとある。
とういうか、近代はいつまで近代と呼ぶのかさえ曖昧な世界。

アートを評価するのは時代だったりも色々と文脈がある。文脈を一つに纏まった結果が価値を作る。


もっと具体的にいうと、アーティストと批評家、ギャラリスト、オークションに参加するコレクター、社会、世界の登場人物をデザインしてまとめ上げること。最終的に時代を作る。


これは運みたいなものもあると思う。要は10年前にはダメだったけど、今はイケるってのは実際あると思う。環境に存在する変数はいつも変わる。
たまたま有名なコレクターが集め始めたアーティストが単純に注目されたりもする。一言で言えば運。これはスタートアップでも同じだと思う。ycombinatorが投資したら良いみたいな。

でもその投資家やコレクターに紹介した人物はいるはずだ。そのつながりを作るのは運ではない。行動のみ。
上に「誰でもできる」と書いたけど、実際のところ、「それをやらなかった」意思決定をしたこととの違いの差が大きいと思う。「やったもの」だけが得られる。
なんというかシンプル。
実際、僕は沢山あるスタートアップの中の一つだけど、それぐらいわかる。というか僕は僕なりに技術などの文脈を繋げた結果をユーザに対して示さないといけない。示すとはアプリとか。そういう表現になる。表現しないと実現できないから。失敗すれば無くなるだけなので、会社自体はどうでも良いけど、今が良い時期だと思うからやっている。文脈次第というか。
アートと会社は表現方法は違うけど、本質は同じと思う。
なんか当たり前なことを書いてる。


文化的なこと

自信がないのなら辞めればいいと思う。ただ、これを言われてちょっとでもムカついたら、続ければいいとも思う。要は人なんだし、自信がないこともあるかもしれない。でもそれさえも糧にして、次の一手を考えて行動すること。それしかない。

正直、「何をすべきか?」わかってたら日本人は強いと思う。でも何をすべきか分からない人が多い。
よく言われているけど日本はリーダー気質な人が少ない。これは僕は「ヤオヨロズ」的なものから、日本の教育の体制。儒教。などなど。

今いる「偉いおじさん達」の影響が強いと思ってる。


そんなの無視すればいい。良いものは取り入れて。
要は、尊敬できない人を上司にするのはやめたほうがいい。せっかく一回しかない人生で、グダグダ他人のせいにするのは勿体無い。


あと、僕は「日本にはリーダがいない」のと同時に「それを盛り上げるフォロワー」もいないと思っている。要はパーティーがあまり好きではない。
神社もそうだけど、今の所、特定の「実際に存在していた誰か」をお祭りで祝うことをしない。あっても天皇誕生日とか、最初の天皇とか。要は祝日。そういうのを見ても考え方が全然違う。例えばアメリカは人を上にあげる。ヒーローを作る。祝日もそう。有名なのではキング牧師の記念日。
結局はリーダだけで物事は存在しない。フォロワーの存在がリーダーや時代を作るわけで、それはマスメディアの存在もそうだと思う。リーダが突破するだけでなく、物事の全体を引き上げるパワーもいる。

なんかこの投稿ではエモいことしか書いてない気がするけど、本質的に「適正な投資条件で出資できているか、自信がない」が37%と読んでしまったらこう書かざるおえないというか。僕みたいな若造でも思うこと。1回失敗すればいいと思う。2回目から楽だろうし。


ぶっちゃけ、単にサラリーマンとして働いているCVCの人は多いと思う。彼らもリターンがあったりすると、24時間働くかもしれない。
なので、そういう組織の設計、デザインの問題というか、その時点でも「リーダ」を作る気質がないというか、そういう文化なのだから。


でも今ある常識を疑って、それを変える事がある意味でVCの仕事な訳で、なんというか、VCの時点でそういうマインドの人達ならそりゃ成功してもマザーズ上場で終わるのを良しとするのは、日本らしい文脈だなぁとは思う。


*一応書いておくけど、マザーズで上場するのが悪いというわけではない。むしろ成功しているわけで、羨ましい!わけでもある。


*あと、根本的に「VC」に期待することは会社にもよるだろうけど、殆どが「営業パワー」があれば全て解決ことが多い。会計のサポートとかいらない。営業サポートとは、もっと具体的にいうと、営業そのもの。ユーザの母数があれば改善点発見も、改善効果も高い。けっこう色々解決する。優秀な人材も母数が多いほど高く能力を発揮できると思う。広告とか要は販売促進費に全部回すのが良い。利益なんていらないわけで。それは最初の段階から始まってるとも思う。その回転力を上げるためにVCが必要。と思っている。まぁこれは人や会社にもよるのかな?