見出し画像

悪く言うと?

スポ根。根性。

今の時代こそ大切かもしれない。

40代は、子どもの頃意味もわからず【根性】でなんだかんだ身体が動いて、【反骨精神、ハングリー精神、負けてたまるか!】と力が湧いて動けた。

数年前には、根性論が悪になり、スポ根という言葉も悪に。


だけど、その中身はスポーツやっていたら『目標』がみつかるし、そのスポーツでやり遂げたい事が出てくる。

それは、簡単に手が届かない。

挫折して、きつくて、嫌になって、伸び悩んで、1つクリアしたらまた壁が現れて。
そして、目標に到達できる。

この時に、目標達成までの道のりや過程、やるべき事ややらなくてはいけない事が出てきて、それを一つ一つクリアして行く事が大切で、あと少しのところまで来ると『やり遂げたいと言う気持ち』で動く。

根性と言う言葉がない、理論がない欧米のスポーツ先進国のトップ選手達は、接戦で勝利した時に『最後は自分を信じていけると言う気持ちで、、、』という言葉が出てくる。

これを、わかりやすく説明しなくても一言で伝えるのが【根性】だろう。

キツくて、止まりそう。だけどここで止まると目標の自分に到達出来ない。『絶対到達する!』と言う気持ち。これが根性。

気持ちです。


スポーツでその気持ちを養ったり、成長を身につけたら『スポ根』。
意味がわかれば悪じゃない。

受験と同じ。

あの大学へ進学したい!合格したい!

寝る間も惜しんで勉強。遊びを犠牲にして勉強。問題解けるまで勉強。

一浪しても二浪しても、絶対に合格するまでやる!
そのためには、、、、

と言うのを、根性だして勉強しろよ!我慢して勉強しろよ!という自分がいるはず。

勉強根性。

だけど、論ぜるように『問題の解き方』があるわけで理解の仕方がある。

スポーツは、それを身体を使って行う。

ただただ『悪にする』ではダメなんです。

理由があって、これを乗り越えないと届かない。届きたいならどうする?です。

それは、やるかやらないかの気持ち。

根性だせ!から気持ちを入れろ!になるわけなんです。

誰かのために。でも良いかもしれない。


トップ選手は、相手の強い部分を把握している。同時に弱い部分も見つけることができる。
自分の相手を侮辱したり、相手が弱かったなんて言わない。

それを言えば、自分の価値へもつながる。それ以前に相手が目の前にいる、いてくれる、戦う楽しみを共有していること自体に価値があり尊敬があるんです。

対戦相手=自分と同じ土俵の人

自分の鏡でもありますからね。

少しそれましたが、根性をしっかりと『気持ちとして』伝えていけるようにならなくては。


強制ではない。あくまでもプレーヤーが自身に植え付けることが大切です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?