仏教に学ぶ生き方、考え方「お茶くみ」
最近はお茶を差し出すことを「嫌がる」ことが多いようです。
お茶くみを「させられている」と感じたり、「女性への偏見」だと見られたり。
ペットボトルのお茶を渡して、それで終わることもあります。
でも実は私は「お茶くみ」は大切だと感じております。
もし、お茶くみを「義務感」でしていたら、それは心が苦しくなりますよね?
でもお茶くみは本来、「布施の心」を持ってするものだと思っています。
もっと言えば、ただ単にお茶を差し出すまでの「ひととき」が好きなのです。
来客があったとき、部屋に招き入れてからお茶の用意をして差し出すまでの「ちょっとした時間」で、お互いが「心を落ち着け、和ませている」のです。
招いた方は、お茶を差し出すことで「遠いところお越しいただきありがとうございます」という気持ちを表すことができます。
また招かれた方は、お茶という「ささやかな布施」を受けることで「感謝をしながらいただく」ことができます。
つまり「お茶を通して」、お互いがちょっとした時間に「感謝できる心持ち」になれるのです。
「性別に関係なく」、また「自ら進んで」お茶くみをしていければと思っています。
☆今日の一句☆
一杯の
お茶が取り持つ
布施心(ふせごころ)
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