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ほとけさまのおしえ「働くということ(其の一)」

 三連休が終わり、今日からまた多くの方は働いてみえると思います。

 毎日朝早くから通勤して夕方や夜まで働く方も多いと思います。

 でも毎日、「なんのために働いているのか」と考えることはとありませんか?

 そういう私も、かつては「肩書き」を持ち組織の中で働いていた時がありました。

 当時はそれが当たり前のように毎日通勤を続け、夜遅くまで頑張っておりました。

 でもその中にあって、なにか「鈍い不安」のようなものがいつも頭をよぎっていたように感じております。

 楽しく働きながら「これこそ人生の喜びだ」と思った時もありました。

 その一方でなぜ働くのか、また「このまま一生働き続けて年老いていくのが幸せなのか?」と感じることもありました。

 そして今、お寺の住職を拝命し過ごす毎日は、「働いている」という感覚がすっかり抜けてしまったように思います。

 もちろん、お寺の住職としての仕事も多岐に渡ります。

 でも働いているというより「生き方を求めている」といったほうがいいように感じております。

 当たり前ですが仕事には「拘束時間」があります。

 つまり自分の時間を誰かのために費やして、自分が生きていくための糧を得ているわけです。

 時には有用感、存在価値みたいなものが重なってそれが見えにくくなることもありますが、基本は「お客様や雇用主、そして株主」のために自分の能力と時間を使うわけです。

 では仏教ではどのように考え働くことがよいとされているのでしょうか?

(其の二に続く) 


☆今日の一句☆

 なぜ己
   仕事しておる?
         振り返る

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