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仏教に学ぶ生き方、考え方「除夜の鐘」

 今年も残すところあと一日となりました。明日はいよいよ大晦日、そして大晦日の夜にはほとんどのお寺で「除夜の鐘」を鳴らします。

 除夜の鐘というと、人間の煩悩の数に合わせて百八つの鐘を鳴らします。
 
 都会の何処かのお寺には、「除夜の鐘を百九つ鳴らした」とクレームが来たそうですが、自坊の除夜の鐘はしっかりとは数えていませんので、皆さんが鳴らしたい数だけ鳴らしていただく予定です。

 でもどうして煩悩は「百八」あると言われるのでしょう?自分の心の中にある煩悩は正確に数えられるものなのでしょうか?

 実は百八になった「いわれ」はいくつかの説があるそうです。それぞれ「なるほど!」と納得させられますが、それほど多くの煩悩を持っているのだと、考えていただければいいのかなと思っています。

 その中でも代表的な煩悩は三つあり、皆さんもご存知の通り「三毒の煩悩」(さんどくのぼんのう)と言われております。

 この煩悩は、「貪瞋痴」(とんじんち)と言われ、心や体を蝕(むしば)む「猛毒」にもなるので、わざわざ「毒」という字を付けてこう呼ばれるのです。

 逆にこの「三毒の煩悩」さえなくせば、心も体も穏やかでいられるのですが、なくすことは実は「甚だ」難しいのです。

 でも、まずは「貪瞋痴」という煩悩があることを「知り」、それを「正しく観る」だけでも、随分と心持ちが変わってきます。

 実は貪瞋痴の中にいるときには「自分を見失っている」ことが多いのです。でもそれを知っていれば、「もう一人の自分」が少し離れたところから、心の中を冷静に見つめてくれるのです。

 ということで、わざわざ大晦日に鐘を鳴らすことで、「自分には沢山の煩悩がある」「自分は煩悩でできている」ということを確かめているのだと思います。

 ここで大切なのは、自分もそうですが、これは「世の中の人全員に当てはまる」ことなのです。例えば「怒っている人」、「愚痴を言っている人」に出会っても、「今まさに三毒の煩悩に蝕まれているのだな。」と思えるのです。そしてまずはその煩悩を知らせ、落ち着いて考えるように促すことができます。

 「鐘を鳴らす」ことで、みんなが「煩悩を持っていて」、みんなが「煩悩に苦しめられている」けれども、みんなで「そのことを知れば、慈悲の心で助け合える」。そんな願いを込めて鳴らしていただけるとありがたいかなと思っております。

 ☆今日の一句☆
  お互い様
    みんなが持ってる
           貪瞋痴


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