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仏教に学ぶ生き方、考え方「なぜ見返りを求めるのか?」

 狭い道で、道を譲ってもらったら、すれ違うときに手を挙げたり、頭を下げたりしてお礼をします。

 道を譲ったときも、挨拶を確かめてすれ違います。

 ところが、道を譲っても挨拶もお辞儀もなくすれ違う人がいます。

 そういうときはなぜかちょっと損をしたような気分になります。

 人によっては御礼の挨拶がないとあからさまに怒りを表す時もありますよね。

 きっと心理としては、「わざわざあなたのために停まって道を譲ってあげた」という意識があるわけです。

 だから「せめて見返りに御礼の挨拶をしてほしい」と思うものです。

 でも実は仏教では「見返りを求めない」ことが求められます。

 これはなぜかと思いますか?

 実はこれは「自分の心の有り様」を見つめているのです。

 「道を譲ったらお礼をする」ということにこだわることで、「苦しみを抱えこむことにならならようにしている」と言ってもいいでしょう。

 布施とはつまり「こだわりを手放す」練習とも言えるのです。

 ☆今日の一句☆

 道譲る
    心も譲って
        手放そう

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