「自助・共助」について

こんばんは。masaokaです。

初回のnoteにも書いたのですが、僕は誕生日が来るたびにFacebookに近況報告を名目に長文投稿をしています。しかし残念ながら社会人になるにつれ立場上書けないことも増えてきました。

今年の誕生日は当初、最近発足した菅政権のスローガン「自助、共助、公助」について書こうと思っていました。が、これはさすがにやばいだろうということで辞めました。なので今日はこのnoteに「自助」と「共助」の部分だけでも供養したいと思います。(公助はあまり面白くないので書きません。)

自助

 大学4年間で確信したことはまずひとつ。「努力」次第で人は変わりうるということ。つまり、脳筋的思考でテメエでまずは何とかしろや、ということです。100%純然たる混じり気のない「自助」です。

ただし、自分に必要な「努力の方向性」と「努力の量」が分かっていなければいけません。これは大学受験で偏差値競争に取り憑かれた18~19歳の学生にとっては簡単に把握できるものではありません。大学以降の社会に本来備わっている判断軸とは多様なものなのです。己が判断軸を持たない者は、結局就活市場に飛び込みに及び分かり易い指標に身を委ね自らの拠り所を決め、他者に対してもそのような目線で眺めてしまうものだと思います。

では、僕の大学生活の努力の方向性は何か?と言われると答えに窮するところなのですが、おそらく「組織への眼差し方」と答えるでしょう。特に経営学を学んだわけでもありませんが、自信を持って自分の言葉で言語化できるのはこの領域です。ここくらいまできたら及第点だと勝手に思っています。

ただ一方で、ゴールを見据えて逆算的かつ戦略的に人生を送るのはどうなのか。それは余りにも空虚な気がします。結局は故スティーブ・ジョブズ大先生の”Connecting the Dots”に依るのだと思います。ゆっくり時間をかけて「努力の方向性」を見定めていく。振り返れば僕の人生も数多くの点を次の点へ結んできたような気がします。この感覚。これを今後も大切にしていきたいです。

共助

先ほど努力の話をしましたが、ここで話したいのは「共助」。

「世の中ギブアンドテイクだ!」という考え方が当然のように世間では流布していますが、ここで「ウン」と頷いた方は今すぐ「GIVE & TAKE —「与える人」こそ成功する時代—(アダム=グラント)」か「負債論(デビッド=グレーバー)」を手に取って読んでください。(多分、前者の方が圧倒的に読みやすいです。今回のおすすめ本シリーズはここでおしまいです。)

例えば、小学校のころ隣に座った友達の鉛筆が落ちて拾ったときに「拾ってあげたから100円頂戴!」なんて言わないですよね?要は、「見返りなしにひとに分け与える精神こそ自然で素敵でお得」ということです。もちろんこのような甘い考えが全てに妥当するとは思いません。しかし、今までの人生でこのような理念を実現できた瞬間がいくつかあり、そこから見た世界はとても幸せでした。これからもそのような世界を自分の周囲で実現できたらと思います。

終わり

今回はそのまま原稿からコピペしました。もしかしたら将来的に僕が偉人になったときにドキュメンタリーで引用されるのかもしれない・・・(笑)という根拠のない野望があるんだと、書いておいて今日は筆を置きます。では。

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