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納得【エッセイ】八〇〇字

 早大のオープンカレッジ「エッセイ教室」。冬講座が、1月8日(土)にスタート。6課題。七転八倒、七難八苦の日々が続いたが、ついに最後のお題、「納得」(800字)。これは意外に難しい。けっこう悩む。そこで思い出したのが、過日書いたチャーリー・マッケジーの絵本『ぼく モグラ キツネ 馬』の言葉。

『ぼく モグラ キツネ 馬』【エッセイ 感想文】八〇〇字

 書き終えて、note仲間(いや、「キリギリス同盟」名誉顧問^^)の宮島ひできさんに、「宮さんなら、どう書きますか?」と投げかけた。すると、その翌日に書きあげてしまった。なんという速筆! しかも宮島エッセイらしさ、満載!。それが、これ↓。

エッセイ 菊地教室『納得』

 菊地教室なんて・・・(-_-;))。恥ずかしい限りであるが、宮さんに書いてみてよと言っておいて自分が非公開にするのは、仁義に欠けるので、恥を忍んで・・・。(-_-;)
(さて、きょうは3回目接種。が、「うつらない」「うつさない」は続く、のだろうね。嗚呼)

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 「いちばんの時間のむだって、なんだとおもう?」と、〝ぼく〟が訊く。〝馬〟が答える。「じぶんをだれかとくらべることだね」、と(チャーリー・マッケジー著 絵本『ぼく モグラ キツネ 馬』から)。

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 商業主義丸出しの五輪なんぞ、全く興味はない。とは言うものの、根がスポーツ好き。横目でチラチラ観ていると、あることが気になった。成績不振で落ち込む姿を見せるのは、日本人選手に多いような。外国人は、下位であったとしても、手でハートマークを作ったりして、笑顔で、背筋がスゥーっと伸びているひとが、目立つ。日本との「教育」の違いかなと思っていたところで、ある記事が浮かんだ。
 「折々のことば」に、岡本太郎の言葉があった。「人間はその数だけ、それぞれ、その姿のまま誇らしくなければならないんだ」と。

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 「順位に関係なく『独り、誇り高くそびえ立っている人間』こそ、頼もしい。(中略)そしてこの喜びを『開発し、自覚させる』のが教育の目的だ、と言う。成績は悪くても人間的には誰にも負けていないと言う人がいたら、それもまだ順位に囚われている」とも。
 私も、落ち込む選手と同じだったかもしれない。順位を意識し、他と比較して生きてきた。が、その力みがとれてきたのは、バブルがはじけ経済低迷のどん底の時代に、17年勤めた会社を去り47歳で起業せざるを得なくなったときから、と思う。インターネット黎明期に、得体のしれないWEBを選び、他のひとがやらないことをどこまでできるか、やれるだけやって、その結果がどうであろうと受け入れようと、一種の「諦め」があったから、と思う。
 冒頭の「馬の回答」に、大谷翔平が浮かんでくる。「投手としても、打者としても、超一流。脚だって速い。背が高い、脚が長い、イケメン、頭も、性格もいい」。暗澹とする、ワタクシ。そこで、〝モグラ〟の言葉が救いになる。「いちばんのおもいちがいは、かんぺきじゃないといけないとおもうことだ」、と。
 彼を見ると、「大谷は大谷」、「自分は、自分」と、思えてくる。そりゃ~そうだ——————(ソーダネー)。

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