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あの女(ひと)探し【エッセイ 掌篇】一六〇〇字

 昨年の3月14日にアップしたエッセイの再掲です。
 (「誰かさん」のご指摘を受ける前に白状しておきます。ただし、大幅にリライトしました。念のため)
               ※
 平成最後の春、ニューヨークに行ったのだが、その旅の準備中の話である。
 はじめてのNY。ガイド本よりは、エッセイストの視点がいいと、常盤新平さんの『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』を手にする。すると文中に、半世紀も前に知り合った女性と同姓同名、同じ年頃、NY州北部の出身、日本の高校の留学経験があることなど、あの女(ひと)と思わせる件(くだり)を、目にする。
 あの女(ひと)は、出身高校の交換留学生として、北海道滝川にいた。私は、札幌で浪人中だったのだが、演劇部の後輩の練習を見に行ったときに、知り合う。彼女のカレシも演劇をやっていることから、部活に参加しているとのことだった。以降、滝川と札幌で、何回か会う。来日して間もなく日本語は片言。私といえば、英語は大の苦手。辞書を片手に、筆記での会話だったが。70年封切の『レット・イット・ビー』も、札幌で、2人で観た。
 翌年、私は東京にいたのだが、羽田で彼女を見送ったのだった。その後、何回か手紙を交わすも、そのまま終わってしまっていた。
 その人は、当時の人気雑誌『ホットドック・プレス』と、JALとの連載エッセイのタイアップ企画で、常盤さんが取材でNYを訪れた際、NY支社のJALの社員。ガイド役を務めた、ようだ。雑誌を古本ネットで探すも、ない。しかし、その連載が、『キミと歩くマンハッタン』というタイトルで書籍化されていることを知り、あの女(ひと)を、探す。
 すると、あった。「パット・スミスに誘われて」というページ。取材日記本ではローリー・ブラウンだったが、パット・スミスになっている。エッセイでは本名を使わないだろう。そのページには、留学先は、なんと北海道。髪が薄茶色。顔も躰も小づくりの可憐な美女。瞳は、ブルーとある。完全にあの女(ひと)、ローリー・ブラウン。出身はNYの北部とあった。

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 常盤さんとは、私が17年いた翻訳教育会社の時代に、仕事で何度か接触があった。が、すでに逝去されていて、確認不能。そこで、母校に調査を依頼する。すると、北部かどうかは不明だが同州出身の同名の留学生がいたとの、返事が届く。半世紀前のこと。無理は言えない。むしろ、年度末の忙しい中、調べてくださったことに感謝し、菓子折りを送った(翌年、ミドルネームがエリザベスとの連絡もあった)。
 が、最後の手段が残っていた。出身大学同期で、同じバイト先にいたMくん。『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』の出版元K社で、書籍部にていたのだ。彼なら常盤さんの取材に同行した編集者に確認することも可能だろう。と、彼にメールする。すると、彼からの返事は、こうだった。
 「30年以上前の書籍ですし、、担当編集者も、おそらく、もうK社にはいないと思います。雲をつかむような話ですし、この件に関わると、おそらく数十時間、数百時間拘束されかねません。私が主体的に関わる理由がみつけにくいです。何のために探すのか? ということですね。大変申し訳ありません。この案件、ご遠慮させてください。お気を悪くしないでください。ご容赦を」
 冷たい返事。でも、なんとなくわかることがある。
 学生時代。3年から付き合った女性Yを、彼も想いを寄せていて、3人で私の部屋でおでんパーティをやった日。宴が終わり一緒に帰ったはずのYが、「送って」と言いに戻ってきてきたのだった。むろん、彼とは気まずい雰囲気で東西線に乗ったのを思い出した。

 結局、NY在住なのか、(日本人の建築会社の男性と結婚したとの件もあったので、日本かもしれない)わからなかった。が、ローリーがいたであろう、その街に、向かった。13時間かけて。

リライト前の八〇〇字エッセイ


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